もうここへは二度と来ないと思っていた。

 あいつのいる病院の前に立つと入るか入らないか足が止まる。

 交通事故に遭った直後はあいつが意識を取り戻すまで毎日通っていた。そして病室で寝るあいつの顔を見るたびに俺がしてしまったことの重大さを突きつけられた気がしたものだった。

 病室は以前と変わらず、病院を入ってすぐの階段で2階へ昇り、緑の廊下を歩いていく。

 あいつの病室へ近づくと叫び声が遠くから聞こえてくる。聞いたことのある声だった。

 個室を覗くとあいつがベッドをリクライニングにして座っていて目の前のテーブルにあったものを手当たり次第に投げつけていた。

「カズ君。分かったから。落ち着こう」

 隣で病院職員らしき制服を着た若い男性があいつをなだめている。あいつはまだ肩で息を吸っていたが、投げるのを止め、その職員を睨みつけていた。

 やはりあれはあいつではない。

 顔は確かにあいつだが、あいつの顔をした別人だ。

 来るべきではなかったのかもしれない。引き返そうとした。

「あの人、誰?」

 振り返るとあいつが俺の方を見ていた。

「こんにちは。カズ君のお知り合いの方ですか?」

 若い男が挨拶をしてくる。

「はい。えっと、中学の頃の。。。」

 病院関係者なら事故の経緯とかを知っているだろうから、友達と言うのは気が引けた。

「ホントですか? 僕はカズ君のリハビリを担当しているものなのですが、良かったらこれからリハビリなんで見に来ませんか?」

「リハビリやんないって言っているだろう!!」

 カズがリハビリ職員と名乗る若い男性に怒鳴りつける。

「まあまあ。カズ君の友達もお見舞いに来てくれたよ。いいところ見せないと」

「お、俺は友達なんて…」

 あいつは俺の方をチラリと見つめて、黙って頷いた。よし。行こうと言って、靴を履き近くにあったベッドから車いすへ移乗した。                  

リハビリをするというリハビリ室は一階にあるということで車いすで一緒に移動した。その間、あいつの現状をいろいろと教えてもらった。

 入院して目が覚めた頃は、自分で起き上がることもできなかったこと。今は自宅復帰に向けてトイレ動作を自分でできるように練習していること。

 それを聞いて、正直こんな事思ってはいけないのだろうけど、全部今の俺ができることだし、前のあいつができていたことだし、1人で生活できるようになっても、あいつの将来、仕事とかどうするのだろうか、どう生きていくのだろうとか浮かぶのは悪いことばかりだった。

「さあ、友達に歩けるところ見せようか」

 リハビリ室に入ると、7mくらいの二つの平行な棒が両側にある場所に向かいそこで歩行を始める。左足を引きずりながら後ろをスタッフに介助してもらいながら向かい側の椅子まで歩ききった。

「よし。いいね。少し休憩」

 あいつは不機嫌そうに顔をしかめて足を組む。その姿を見て俺は口を開く。

「明るい奴だったんです。いつもニコニコしていて。そんな、怒ったり、人を睨みつけたりする奴じゃなかった」

「そうだって、ご両親から聞きました」

 残念そうにリハビリスタッフの男性は言う。

「もう元のあいつには戻らないんですかね。脳の損傷で記憶喪失や性格変動があるのは聞きました。俺のことなんか思い出さなくてもいいんですけど、家族のこととか、自分の性格とかどういう人間だったとか思い出してほしい」

「どうでしょう。難しいかもしれない」

 男性は少し唸っていた。俺は困惑させることを聞いてしまったのかもしれない。

「すみません。何も知らないのに」

「そんなことないですよ」 と、男性がカズに手を触れると手を乱暴に振りほどく。

「カズ。。。」

「いいんですよ。カズ君はリハビリ嫌いなんで。でもそれでもいつもやってくれていますよ」

「優しいんですね。俺はそんなことされたらもう関われないかもしれない」

「ありがとう。でも、みんな運動は嫌ですよ。辛いし。きっと、僕らが当たり前のようにできることが今のカズ君にとっては凄く大変なことだろうから」

「ですよね。俺、観ていて辛いんです」

「うん。でも、僕は仕事だけど年下のカズ君が一生懸命リハビリして、日に日に良くなっているのを見ると自分も一生懸命やらないとなと思いますけどね」

 確かにその通りだった。カズは今自分にできる最大限のことを全力でやって生きている。ただ、できることが俺とは違う。それだけだ。

「それに今、友達のこと思い出してくれないと言っていたけど、家族とか知り合いとか来てくれるとさっきみたいに反応するし、リハビリもいつも以上にやる気になるんですよ」

 あいつは変わった。でも、変わらないところもある。

「さ、車いすへ戻ろうか」

 そう言って、棒の間を歩き出した。また、近いうちに会いに来ようと思った。

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