⑧
また目をそらした。
一週間くらい前のスパーリングで見つけた新たな癖だ。こちらがジャブを打つと目をそらす。きっと、反射的にやってしまっていることだから治すことは難しいのだろう。だが、それを治さなければ展開は同じになる。
目をそらしたと同時に、顔面のどこかにパンチを入れて怯んだところに追い込んでコーナーへ詰める。今日は顎を狙って左アッパーを出してみた。思った以上に顎にクリンヒットして後ろへよろける。それを見て連打をする。
「はい。ストップ」
今日はコーナーに詰める前に会長が声をかけた。グローブを合わせて挨拶をしてリングを降りると相手をしていた四回戦ボクサーはリングの下でグローブを外してもらいながら早速会長にぼやかれていた。
「お前、また負けるぞ。ウチには負けるとわかっている選手を出す余裕はねぇんだよ」
彼は少ししょぼくれように軽く会釈する。そしてグローブを外して俺のところへ来た瞬間にはもう満面の笑みになっていた。
「いやあ、変わらず強いね。ますます強くなっている」
「お前が下手なだけだ。馬鹿!!」
後ろから珍しく強い口調で会長に言われると、すみませんと彼はまた会釈していた。俺もそんなことないですよと言葉では謙遜してみせたが、俺が強くなったわけではなくて、何度も戦っているうちにいろんな癖がわかってきてしまっているからいつも同じ結果になっているんだろうなと心の中で思っていた。
「おい、ちょっと来いよ」
と、会長がグローブを外し終えた俺に向かって声をかける。
「ありがとうな。いつも相手してもらって。今度の試合がサンスポーでお前、中々センスがいいからな。いい練習相手に使わせてもらっているよ」
「いいえ。自分の練習にもなっているんで」
「自分の練習か。。。」
会長は何か言いたげだったが、口をつぐんでいた。
「お前、あいつのことどう思う?」
四回戦のボクサーを顎で指し訊いてくる。
「え? どうって」
ボクシング技術を訊いているのだろうか。それならば、他のジムにいるプロボクサーがどんなレベルかはわからないが、素人の俺に優勢に試合を運ばれるようでは本番で勝つことは難しいのではないかと思った。
「まあ、いいや。ところでさ、来月の日曜日暇?」
「あ、予定はないです」
「じゃあさ、あいつの試合観に来いよ」
「試合・・・ですか?」
「ああ。4回戦ボクサーの試合だけど、きっとお前の参考になると思うよ」
参考になる。正直最近ではジムへ練習に来るたびに彼のスパーリング相手をしているのに、さらに試合を観戦することで参考になることでもあるのだろうか。それは俺の奢りなのだろうか。それに、プロボクシングの試合自体に興味がない。
「決まりな。その日しっかり予定開けておけよ」
「ええ。はい」
断る余裕もなく行くことになってしまった。また面倒なことになってしまった。
「そういえば、お前と仲がいい女の子4人組さんはまだ練習に来てないな」
「仲のいい女の子って、黒島たちのことですか?」
ジムを見渡すと確かに彼女たちの姿がない。
「仲いいだろ? いつも話していて」
「いや、仲がいいわけでは」
「あの子たち、入会してからジムがやっている時は休んだことなかったのにな」
ジムは会員になればジムが空いている時間はいつでもひと月何日でも練習に来ることができる。俺はジムに来るのが週4回とかでたまに練習を休むことがあったが、彼女たちは毎日休まずに来ていたんだと知る。
と、そこに練習再開のブザーが鳴る。
「よし、悪かったな。長話させてしまって」
会長の元を離れ、サウンドバックに向かってパンチを打ち始める。それ以降も練習の合間にジムを見渡したり入口に目をやったりしたが、黒島たちは現れなかった。どことなく今日の練習は味気なく寂しい感じを覚えた。
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