第9話
瞳と詩織は、園内のベンチに座って缶コーヒーを手にしている。
先程まで居た場所は二人組の女子高生と揉めたせいで、周りの通行人達から迷惑そうに見られるようになってしまったからだ。
この場所は園内の端っこの方にあるため、ほとんど人通りがない。大事な話をするのにもってこいだ。
あれからしばらく泣いていた詩織も、ようやく落ち着いてきていた。
「……実はわたし、ずっと隠していたことがあるんです」
「そうなの? それが、さっき言ってた"どうしたらいいか分からなくなった"のと関係があるわけ?」
「はい」
一呼吸おいて、詩織は言葉を続ける。
「……わたし、
「……? そうきょ……?」
聞き覚えのない病名に、瞳は首を傾げた。
「……ざっくり言うと、うつ病の親戚みたいな感じです。うつ病と違うのは、気分の上がり下がりが激しいというところ……でしょうか。うつ病はただ気持ちが落ち込むだけの病気ですけど、双極性障害は気持ちが落ち込む時と、ハイテンションになるときが交互にくるんです……」
「そう、なんだ……」
こういう話をされたとき、どうリアクションするのが正解かは誰にも分からない。ただし、知ったかぶりをするのが一番失礼なことだと思うので、瞳はただ話を聞くことにした。
「高校二年生の頃に、家庭で色々あって……あと、進路のことでも悩んでたんですよね。ちょうどそのタイミングで、今の病気を発病しました。一時期は布団から出られない時期が続いたんですけど、絵を描くことだけはずっと楽しくて……で、どうにかイラストの専門学校に通えるようにはなったんです」
詩織は一口、缶コーヒーを口にする。
瞳もまた、コーヒーを啜った。
「それで、専門学校に行き始めてからは病状も出なくなって、普通の生活を送れてたんですよね。アニメショップでバイトもしたりなんかして……でも、この前のゴールデンウィーク中に、久しぶりに発作が出てしまって……それからずっと体調を崩してました」
「ゴールデンウィーク中に、何かあったの?」
「……彼氏と、付き合って初めての旅行に行ったんです。そしたら、思ってた以上に人が多くて……旅行中に過呼吸発作が出て、救急搬送されちゃって」
「……救急搬送って、体調的にかなりヤバかったんじゃないの? 大丈夫?」
「私も初めて過呼吸で救急搬送されたので、当日はかなりパニックになってました。でも、彼が救急車呼んでくれて、付き添いもしてくれたので……何とか大丈夫でした」
瞳はこれまで大きな病気や怪我をしたことがないので、救急搬送に乗った経験もない。
だけど、救急車に乗るほど体調が悪かったということだけはすぐに理解できた。
「彼、優しい人なんだね……ってか、星野さん彼氏いたんだ!? 何か意外……って、失礼なリアクションしてごめんね」
「いえ、わたしも自分で驚いてますから。まさか、自分が誰かを好きになるだなんて思ってなかったし、ましてや自分から告白するだなんて……」
これまでずっと、瞳は詩織のことをロボットのような、与えられた仕事を淡々とやるだけのイメージしか持っていなかった。
しかし、詩織も年頃の女の子と何ら変わらない"乙女"だったのだと、この瞬間に認識が変わった。
「星野さんって、結構行動力ある性格だったのね……私、人生で告白したことなんて無いわ。フラレたら
「月島主任は美人でモテるから、相手から寄ってきそうですよね……羨ましいです」
「いやー、そうだといいんだけどね……って、私の話は今はいいとして。で、その優しい彼と何かあったの? ケンカしたとか?」
「……いえ、ケンカとかじゃなくて。わたし、彼にも双極性障害のこと言ってないんです。なのに、救急病院でもずっと付き添っててくれて、おまけに心配も迷惑もかけて……最低ですよね。わたし、そんな優しい彼にずっと"嘘"をつき続けてるんですから」
そう言うと、詩織は視線を地面に落とした。その
「それで、旅行から帰ってからも、彼と連絡とるのがどうしても苦しくなって……スマホの電源をずっと落としてたんです。でも、やっぱり本当のことを話したくて、カミングアウトするかどうかでずっと悩んでました」
「……そうだったのね。誰か、友達とか親とか、相談しなかったの?」
「いえ、誰にも相談してません……友達いないし、親とは絶縁状態にあって……」
「……」
"本当の自分"を打ち明けるのには、途方も無いくらいの勇気がいる。その相手が好きな人や大切な人なら、尚の事だ。嫌われたり拒絶されたら、そこで関係性が終わってしまうのだから。例えそれが、何年もの長い付き合いだったとしても。
そういった人生の局面を左右するほどの選択を、詩織はずっと一人で抱え込んでいたのだ。誰にも相談できず、一人きりで。
「……わたし、どうしたらいいんでしょうか? 彼に"本当の自分"のことを知ってほしいです。でも、それで嫌われるくらいなら、今のまま"偽りの自分"でいたほうがいいのかな……とも思います。もう、何が正解かが分かんなくて……」
相手がいい人であればあるほど、嘘をついている"偽りの自分"が
「……私にも、何が正解なのか分からないわ。特に、持病のことに関しては、人によって反応が違うと思うから。肯定的に受け入れてくれる人もいるだろうし、否定して拒絶する人もいると思う」
瞳は、そう前置きをした上で自分の失敗談を話し始めた。
「私ね、前に
「……」
詩織は涙を拭きながら、瞳の話をじっと聞いている。
「元々、今の会社で働く前は書店で働いてたんだよね。で、当時、職場恋愛して三年くらい付き合ってた彼がいたんだけど。すごく優しくて、いい人だったんだ……私には勿体ないくらいに」
空を見上げながら、思い出す。
子供の頃から、読書や作文が好きだったこと。
好きなことを仕事にしたいと思い、書店員になったこと。
書店員になって"好きな本"や"好きな人"に囲まれ、楽しい時間を過ごしていたこと。
綺麗な夜景を見ながら、彼からプロポーズされたときのこと。
大好きだった彼を拒絶し、職場に居づらくなったときのこと。
「彼からプロポーズされた少し後にさ、うちの母親が
一呼吸おいて、瞳は話を続ける。
「あとさ、結婚したら親同士が顔合わせとかするじゃない? その時に、"実は私の母は自己破産しました"とか言えないし、言いたくなかったんだよね。だからと言って、嘘を付き続けてまで結婚する勇気もなかったし。それで私、彼の前から逃げ出しちゃったの……」
職場恋愛の最大のデメリットは、相手と別れた後も顔を合わせないといけないところだと、その時の瞳は感じた。ラブラブのときには至福に思えたその環境が、一転して針のむしろのような地獄へと変わったのだ。
「……で、職場でも居づらくなって、逃げるようにして今の会社に転職してさ。まあ、元々個人でホームページ作ってたりしてたから、そのスキルを活かせそうな業界にも興味はあったんだけどね。でも、結局は"逃げ"でしかないの」
詩織は先程と変わらず、黙って話を聞いている。
「WEBディレクターの仕事は楽しいし、私に向いてる仕事だと思う。みんなで一つのプロジェクトが達成できたとき、嬉しいしね」
更に瞳は、話を続ける。
「でもね、今になってたまに考えちゃうんだ……もし、もしもあのとき逃げずに、彼に"本当の私"を打ち明けていたら、今とは違う未来になっていたのかな……ってね」
そう言うと、詩織に向き合い彼女の目をじっと見つめた。
「だからこそ、私は"逃げは必ず後悔する"と伝えたいの。星野さんがどちらの選択肢を選ぶとしても、どちらも正解なんだと思う。でも、逃げると必ず後悔するというのは、覚えててほしいな。私みたいになってほしくないから……」
残りのコーヒーをぐいっと一気に飲み干し、瞳は話を切り上げた。
「……って、ごめんね。長々と話しちゃって」
「……ありがとうございます。月島主任の言葉、胸にグサッと刺さりました……わたし、覚悟決めます!」
詩織は勢い良く立ち上がり、デニムジャケットのポケットからスマホを取り出した。電源ボタンを長押しし、スマホを起動させる。
「……月島主任。今から彼に電話してみていいですか?」
急な展開に、瞳は一瞬反応が遅れる。
「……え? もしかして、今からカミングアウトするつもり? 急すぎない?」
「はい、急だと思います……でも、この勢いのままじゃないと、また先延ばししてしまいそうで……」
詩織はスマホをぎゅっと握りしめ、瞳を見つめている。
「……分かったわ。それで、カミングアウトはどうやってするの? 電話? それとも会うの?」
根負けした瞳は、彼女の意思を尊重することにした。
「……会って、直接伝えようと思います!」
そう言うと、詩織はスマホを操作し彼にLINEを送った。
彼女の目元はまだ赤みが残っているものの、その表情は決意に満ちていた。
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