第5話

「何でこう……あれもこれも"無料"で求めてくるかな……」


 ふうと溜息し、瞳は空を見上げた。


 社会人になってかれこれ八年が立つが、この間ずっと、瞳は強く感じていることがある。それは、"ブラック企業の生みの親は消費者"だということだ。


 ブラック企業での自殺問題があると、世間は一斉にブラック企業を叩き始める。テレビでもネットでも、みんなして叩く矛先は同じだ。

 しかし、そもそも企業のビジネスなりサービスは"求める人"がいて、初めて成り立つものだ。


 便利になり過ぎた現代では、多くの消費者が『もっと早く! もっと安く! もっとたくさん!』を求めている。求めている人が存在する以上、供給側はそれに応えなければならない。


 瞳が身を置くWEB業界は、人と人との"顔"が見えない。だからこそ、顧客からの要求がエスカレートしやすい傾向にある。

 しかし、顧客の要望全てに"無料"で答えていたら、現場で働く社員の身が持たない。健全な生活環境がないことには、健全な仕事をすることも不可能だ。


 瞳は事業を管轄かんかつする側の人間として、チームメンバーみんなの労働環境を守ってあげたいと常に思っている。社長が"いい加減"だからこそ、自分がしっかりせねばと。


 席を離れてから五分ほどが経ち、室内へ戻ろうとしたとき、オフィスのドアが向こう側から開いた。


「瞳さん、大丈夫ですか?」


 顔を出したのは、晴太だった。


「あ、うん。ごめんね、さっきは。取り乱したりしてさ」

「いえ、オレは大丈夫っすよ」

「ありがとう。そう言ってもらえて、すごく心が楽になったわ」


 心配してくれた晴太に対し、瞳は感謝の気持ちを伝えた。


「さっき、詩織ちゃんのご実家に電話してみました」

「え?」


 富永のことで頭がいっぱいだった瞳は、思わず素っ頓狂すっとんきょうな声を出してしまった。


「……で、どうだった? ご両親には連絡取れたの?」

「……」


 聞き返す瞳に対し、晴太の表情は曇っている。こんな表情をする晴太を見るのは初めてだった。


「それが、電話が繋がらないんです」

「え? 留守ってこと?」

「いえ、繋がらないんです。電話が」

「……」


 晴太が言っていることをどう理解すればいいか、瞳は困惑している。


「この電話番号、現在使われてないんですよ」


 電話番号が使われていないという事態を、瞳は全く想定していなかった。その為、どう対応すればいいのかが、すぐには思い浮かばない。


「……そう」


 やっとの思いで絞り出した言葉が、この一言だった。

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