第2話

 翌日、詩織は会社に来なかった。


「星野さん、どうしちゃったのかしら……今まで、一度も欠勤したことないのに」


 ふうと溜息し、瞳は缶コーヒーを手にした。

 午前中の煩雑した業務を捌き終え、今しがた昼食を摂り終えたところだ。


「瞳さん、昨日きつく言い過ぎたんじゃないですか?」


 一メートルほど離れた座席から、総務部長の天野晴太あまのせいたが話しかけてきた。手にはスマホを持っている。


 四年前、瞳と同じ日に入社した同期社員の一人だ。瞳より三歳も年下だが、社内で唯一"下の名前"で彼女を呼んでいる。当初は、下の名前で呼ばれることを禁止していたが、全く聞き入れられなかったため、今の呼び名が定着してしまっていた。


「そうなのかしら。でも、流石に昨日のミスはひどかったと思うんだけど」

「そうでしょうか? オレはむしろ、今までの詩織ちゃんが凄かっただけだと思いますけどね。入社して一年間、ノーミスだったんだから」

「それは確かに、そうなんだけど……」

「あーあ。ノーミスの最高記録、今までオレが一位だったのにな。詩織ちゃんに抜かされてしまったー」


 晴太はチャラい外見と性格をしているが、仕事は社内で一番さばける男だ。彼の仕事ぶりに関してだけは、瞳は一目置いていた。


「それはそうと、今年もまたやってますよ。"会社員オワコン論争"」


 自分のスマホを操作しながら、その画面を瞳に向けてきた。


 毎年、四月から五月にかけて、インターネット上では"会社員オワコン論争"が盛り上がる。これは、情報発信でお金を稼いでいるインフルエンサーたちが、社会人経験の浅い若者に向けて『早く会社をやめて自由になれ』と、脅しをかける論争だ。


 ゴールデンウィーク明けは、五月病で精神的にダウンしている若者が多数出てくる。それに比例して、年間の自殺者数が急増する時期でもある。

 心に不安を抱えている若者は、インフルエンサーにとって絶好の"食い物エサ"なのだ。


「まるで、成人式やハロウィンみたいね。この盛り上がり方は」

「まあ、ネットではこういう過激な発言がバズリますからねえ」

「バズれば、何したって許されるのかしら?」

「今は、バズがお金になる時代ですから」


 そう言いながら、晴太はタイムラインをさかのぼる。


「どれだけお金になるとしても、こういう情報発信だけは絶対にしたくないわね。WEB業界に携わる身としても、人間としても」


 瞳が初めてホームページを作ったのは、今から七年前。二十三歳の頃だった。当時はまだSNSが盛んではなく、WEBで情報発信ができるのは”自分でホームページを作れる人だけ”だった。


 しかし、TwitterやFacebook、Instagramなどが流行るにつれ、情報発信のハードルがガクンと下がった。今や、スマホを持っている人ならば、誰でも気軽にネットに投稿できる。YouTubeだって、スマホ一台で配信できる時代だ。


 だからこそ、ユーザーは"自分じゃない自分"を演じ、ネット上で華麗かれいに立ち振る舞おうとする。まるで、ハロウィンのコスプレパーティーように。


 インターネットで世界中が自由で便利になった反面、新たな弊害へいがいも生まれた。それは、コンテンツの"生産疲れ"だ。


 日々、吐いて捨てるほどのコンテンツが世界中で大量生産されている。その海の中で埋もれないためには、発信者が生産量と質を上げないといけない。

 だが、一人では生産量に限界がある。


 そこで、株式会社ドルフィンスルーは"アウトソーシング"としてWEB制作事業を始めた。ホームページ制作を始めとし、バナーやアイキャッチなどのイラスト制作、写真撮影と加工、ブログやメルマガの記事執筆代行などの業務を請け負っている。


 日々の仕事で忙しい中小企業の社長や個人事業主にニーズはあるのだが、色んな業種に手を出しすぎて、社員各自が多忙で疲弊ひへいしていた。


「……さて、そろそろ昼休みも終わりね。午後も、頑張りましょうか」

「はーい」


 空き缶を手にし、瞳はゴミ箱に向かおうとした。

 それとほぼ同じタイミングで、オフィスの扉が開いた。


「月島主任、すみません」


 飛び込んできたのは、WEBライターの小早川由衣こばやかわゆいだった。

 入社四年目、社内でも古株の彼女が、珍しく慌てている。


「どうしたの?」

「今日締め切りの記事なんですけど、入稿が間に合わないかもしれません……」

「え? どうして? 読ませてもらった原稿には、何も不備はなかったけど?」

「はい、記事は出来てるんです。ただ……」

「ただ?」


 瞳が聞き返すと、由衣は視線を下に向けた。視線の先は、詩織のデスクだった。


「アイキャッチと挿絵イラストが、Googleドライブに上がってないんです……一枚も」


 瞳はすぐさまパソコンを開き、Googleドライブをチェックした。作成したイラストは、いつもなら指定のフォルダに入れられているはずなのに、そのフォルダには何も入っていない。


「……」


 空っぽのフォルダを見て、瞳は絶句した。


 社内でイラストを描けるのは、イラストレーターの詩織しかいない。

 しかし、その詩織が不在だ。


 絵に関して素人の瞳たちがイラストを描けるわけもなく、今から何をどう頑張っても、アイキャッチと挿絵イラストは用意できない。


 胃にずっしりとした重みを感じながら、瞳はつぶやいた。


「この忙しいときに……次から次へと」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る