第11話

 リズの車を見送り、僕は公園を出てからずっと夜の遊歩道を歩き続けた。波の音が暑さを和らげてくれているようで、心地よかった。僕は家に帰ることができなかった。真昼に会って、どう接していいかわからなかったのもあるし、ゴミと化した絵を見るのも、今の僕には辛すぎた。

 一睡もせず、僕は波の音を聞いた。そして、歩いては立ち止まり、なにも考えなかった。これからのこと、真昼のこと、考えては打ち消す繰り返しだった。

 やがて空が白んできて、朝を迎えた。

 考えがまとまらない。真昼と離れるのは、仕方ないことなのに。

だけど、どうしても、頷けない自分がいる。

 あの夏の日、海で真昼を見つけた時から僕達が彩ってきたものは、こんなことで壊れてしまうものだったんだろうか。

 時刻を確かめようとして、僕はポケットに手を入れ、そして、何かに触れた。取り出してみると、それは家から持ってきた買ったばかりのウルトラマリンの絵具だった。

 僕の、一番大好きな色だ。青系統は他にもたくさんあるのに、絵を描くときには、絶対にこの色を一枚の中に使っていた。影の一部分として入れたり、アクセントとして混ぜたりして。その色が欠けると、僕の絵は僕の絵でなくなってしまう気がしたのだ。

 欠けたら、僕の存在がなくなってしまうように。


 急に、すべての音が僕から遠ざかった。代わりに、胸の奥で澄んだ水の音がする。光のない深海で鼓動が息づくように、不安で、淋しくて、何億年も一人でそこにいたような孤独が、僕を襲った。


 “ウルトラマリン”には、“海を越え、来る”という意味がある。


 僕は、絵具のチューブを思い切り抱きしめ、足元からその場に崩れ落ちた。そして、声をあげて泣いた。

 早朝のジョギングをしている人が僕をジロジロ見ていたが、気にしている余裕なんてなかった。

 僕がほしかったのは、たった一人の少女だった。

 絵は、また描けばいい。濡れた床は綺麗にすればいい。君が一人だと感じたなら、振り返って、隣に行ってやればいい。それだけの、ことだったんだ。

—————真昼。

 迷った僕を、君は嫌うだろうか。だけど、鉛筆を、筆を持ち、愛する君の為に朝ご飯をつくるためのこの手で、今度は君を抱きしめるよ。

 僕が駈け出した瞬間、僕の計り知れない胸騒ぎを感じ取ったように、蝉の大合唱が始まった。僕はがむしゃらに足を前に出した。もしも大気を泳ぐことができたなら、僕は迷わずそうしていただろう。だけど、僕は魚でも人魚でもない人間で、この足で走ることしかできない。頼りないこの、二本の足で。

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