第5話

 真昼が僕の家にやってきて数日経った。真夏の暑さは変わらず、TVでは連日、今年の最高気温更新を連発していた。

 僕は暑いのが大の苦手だが、今年は快適に過ごせそうだ。もちろん、自分以外の誰かと迎えている夏という実感がそう思わせているということは、言うまでもない。

 ベランダから、夏の大気を含んだ風が家の中に吹き込む。窓の向こうの、背の高いビルの合間から、青い海が見える。太陽の光で水面が輝いている様が、ここからでもわかった。

 僕も真昼も、なにも変わらなかった。ほんの小さな喜び幸せを、それぞれ紡ぎ合うようにして、二人で過ごしていた。


 僕は真昼のいる生活に慣れてきたところで、自分の時間を作ることにした。

 真昼がソファでくつろいでいるのを横目に、食事兼用で使っている作業机の下にある木箱から、プラスティックの収納ケースに収められた絵具と、手になじむようにグリップをつけた鉛筆と筆、スケッチブックを取り出した。

 それから、真昼が家にやってきてからはキッチンの窓辺に乾かしたままでずっとほったらかしだった筆洗いを準備した。

 一通りそろえ終わったら、深く息を吸う。

これが普段の僕の日常だった。絵を描くこと。それは僕にとって呼吸のようなものだった。

 コンピューターグラフィックが売りの昨今、僕はアナログで絵を描くことを生きがいとしていた。ただの水彩画を描き続けて食べていくにはそれなりの覚悟と運が必要だ。美術専攻の大学の旧友達も、入学当時にはそれなりに夢や希望があったはずだ。自分が作り出した作品で名声を得て、自分だけの個展を開いたり、ゆくゆくはアトリエをもち、芸術という名の人生をひたすら進み続ける。

だが、夢というのは現実があってこそ成り立つものだ。そして、現実には結局太刀打ちできないのが事実なのだ。

 毎年その道の将来を渇望した若者たちの中で、己の才を発揮し、極めていける人間なんてごくわずか。実際僕の周りでは、いいところで美術の教師や、工学を専攻したやつの中には、ゲーム会社でデザイナーになったりもしているらしい。美術とは無縁の、一般の会社に就職する人間だってゴロゴロいる。

 僕はあぶれてしまった人間だった。

 変にプライドだけ持って、どこにもいけなくなった。

 親のすねを、かじるだけかじって、結局何にもなれず、ただ宙に浮いたまま。

 大学を出た後は、バイトをつないで一人暮らしを続け、たまに雑誌の絵の賞などに応募を繰り返したりもしたが、結果はまさに、この生活が示している。今はただ、綺麗な景色を見たときに、それをスケッチする。という風なスタンスになってしまった。

 このままでもいいなんていう甘えは許されない。今のうちに、僕のような人間を雇ってくれるのであれば、なんでもいいから職を探さなければいけないのはわかっている。けれど葛藤という名前の逃げが、鉛筆を、筆を握らせる。そしてまた、思ってしまうのだ。僕にはどうしても絵をやめることができない。……とんでもない堂々巡りだ。

 スケッチブックを開き、膝の上に乗せた。開け放したベランダからの景色を、僕は眺めた。学生時代から馴染みの4Bの鉛筆で、白い画面の中にアタリをいれていく。僕はあまり下書きを入れるのが好きではない。アタリに頼りすぎてしまうと、かえって画面に描きこむ際に窮屈になるからだ。風景を見たまま、鉛筆の先に神経を集中させる。

 建物の線は、幾何学的にも不自然に見えてはならないため、力強く、時間をかけてひく。建物の輪郭が見えてきたら、息を吸って、ハッチングで陰影をつけていく。手前に見える緑を、構図をまとめるようにして画面の中に納めていく。そうしていくうちに、絵の中にリズムとバランスが出てくる。最後に、海の波を描き入れ、ようやくデッサンが終わる。

 真昼の歌を聴いていると、僕の内で激しく波打っていたものが、不思議と自然と凪いで行く。絵を描く時は、眼で捉えたものに自分の命を預けなければならない。描いたものに命を吹き込むために。

 真昼の歌声は、それを教えてくれるようだった。

 真っ白なスケッチブックの前で、僕がどうあればいいのかを。歌声は、僕の5感すべてを通して教えてくれる。歌のテンションが上がるにつれて、僕の筆も進むのだ。

 夏の鼓動が僕たちの上に降りてくる。彩色の為に見上げた空に、急に胸をうたれた。夏が愛しい。絵を描き、歌を聴き、安堵している。人としての幸せを考えた時、僕はこの瞬間をいつまでも思い出すのだろうと思う。

空の色を頭に思い描く。こみ上げてくる青のカラー。セルリアンやアクアよりももっと、凛と冴えわたるプルシアンブルー。

 絵具をパレットに導いた。筆に水を含ませ、パレットに水分をいきわたらせる。パレット上で生まれる色は、二度と同じものが作れない。その時、最高の色を作りだすことが、僕の仕事なのだ。

 突き抜ける青を塗りあげ、続いて建物のグレイ。影の濃いところからぼかしをいれ、暗い部分を際立たせる。仕上げに海。ウルトラマリンは、僕の一番好きな色だ。あえて海全体を塗るのではなく、筆先の青を転々とキャンバスに置いて、海を彩る。最後に、極限まで薄めた青を全体にのせる。これで完成。

 出来上がった絵を、スケッチブックから丁寧にミシン目に沿って切り取り、机の上に置いた。いつも使っている分銅で、外からの風で飛ばないように固定しておき、乾いたらビニールシートに入れて保存する。棚に保存してある僕が描いた絵は、ここ数カ月で膨大な数になっていた。考える代わりに絵を描いてばかりいるんだから、仕方ない。

 久しぶりに描いたせいか、どうも色のノリがいまいちな気がした。これから感覚を取り戻していくには、また毎日のように描かなければならないだろう。

 長年かけて積もってしまった埃のように、ラックの中には大量の絵が置かれている。どの絵も、海や川、あるいは町並みが描いてある。

 僕は、人物画を描くことができない。学生のころから人物のデッサンだけはどうしてもうまく描くことができなかった。描こうとしても、鉛筆の先が紙の上で止まってしまう。風景や静止画ならどんなに長時間かかろうが、長期間であろうが完成するまで描き続けられるのに、人物を描こうとすると自分でも驚くほどに嫌になってしまうのだ。

 僕が大学時代そのとこを講師に相談した際、はっきりとこう言われた。

『お前はたぶん、人間が好きじゃないんだよ』


 真昼はまだ無邪気に唄い続けている。

 いつの間にか、ベランダの外がオレンジに染まっていた。僕は絵を描いていると、時間という概念が頭から消え去ってしまう。真昼がどこにでもいるごく普通の女の子で、単に僕の彼女としてここにいたのならば、ひどく怒ったことだろう。……そんな生活にも憧れる。でも、そうだとしたら、独占欲はいたって普通のものであったと思う。家の中に閉じ込めてしまって、僕だけとの生活なんて望まない。普通に恋をして、夜が来たら自分の家に戻って行って、オヤスミのメールを送ったりして、次のデートの約束をする。

 だけど真昼は違う。

 そんな平凡な関係ではないからこそ、僕は真昼を守りたくて、傍に置きたくて、誰の眼にも触れさせたくないのだ。


 淋しい夕焼けの蜜柑色。パレットに作るとしたら、どんな色を混ぜたらできあがるだろう。遠くでトンビが旋回している姿が見えた。潮風は優しく、ゆりかごを揺らす母親の手のように、下がっている洗濯物を揺らしている。真昼の歌は子守唄だった。その歌を聞いて安心しきっている僕は、胎児だろうか。

僕は洗濯物を中にしまい、夕飯作りに取りかかった。

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