第一話-04

 流石に学校にまで持って行くのは恥ずかしい。と思ったが、鞄の中に仕舞ったままでも構わないと本人が言うので、花飾りのついた、派手だが可愛らしい簪はそっとリュックのサイドポケットに入れて持ち歩いた。

 時々「苦しくない?」「壊れたりしないよね?」と色々声をかけてみても、返事は同じだった。

「私は物よ。例え密閉されてても苦しくなることはないわ」

 最近のものとは違って、繊細な細工もそうそう簡単に壊れるものではないらしい。納得はするが、何か釈然としないものもあった。

 何事も無く過ぎた時間に安堵しながら迎えた放課後。どうしてもまっすぐ家へ帰る気になれなかった姫生は、行きつけの喫茶店へと入った。

 いつものカフェオレを注文して、少しの間ぼんやりと穏やかに時間を過ごす。スマホを開いてネットニュースを見れば、よくある事故や事件、政治関係の話が溢れていた。楽しいことや面白いことは無さそうだ。

 いずれのニュース記事も開くこと無くスマホを仕舞い直し、席を立つ。バイトはしていない。用が無ければ帰るだけだ。

「あ、」

 背負ったリュックから声がして、しゃらが何かを見付けた気配に小首を傾げる。結局よく分からないまま会計を済ませて店を出ると、上げた視線の先に昨日見知った顔があるのに気付いた。

「やっぱり、しゃら。ということは、貴女は御先様ですね」

「え? ……和臣?」

 ぱっつりと揃えられた前髪と、後頭部の高い位置でひとつに纏められた艶やかな黒髪。だけどその様子は、昨日とは何かが違う。先程の発言も違和感があるが、見た目的には服装のせいだろうか、と視線を少し落とした。

 着ていたのは、よく言えばシンプル、ラフ。悪く言えば地味でダサい洋装だった。昨日の着物でも目立っただろうが、お洒落な人の多い都会の中心地でこの格好は非常にダサく目立つ。それ以前に、この服は女性用ではなかろうか。

 くす、と小さく、柔らかく微笑んだその人は、僅かに首を傾けた。

「私はあの子の主です。『和臣』の名は姿を映した時にあの子が望んだので与えました。今の名を、史枝しえといいます」

 そんなことを言って、所々含まれる言葉に姫生が困惑した表情をするのを見てから、その人──史枝はふっと視線をリュックの方に向ける。

「詳しいことは話していないのですね」

「事情があるんです。どうせなら史枝様から説明していただけませんか?」

「構いません。その前に『事情』というのもちゃんと説明してくださいね?」

「勿論です」

 淡々とした口調でのやり取り。それは、和臣が昨日「今は話さない」と言ったことに関することだろう。それを、今日は話してくれるというのか。

 正直、昨日の今日で状況が理解出来ているかと言われれば、まずそれは無い。だが話を聞かないことには何も分からないし、分からなければこれから先どうすればいいかを考えることも出来ない。

「教えて、ください」

 しゃらを含む、彼女達が「何」で、自分が「何」で、どういう関係なのか。 自分は彼女達に何かを求められているのか。

 付喪神など非現実的なことだと思う、だがそれが確かであると証するように簪になったしゃら。それが普通であるかのように振舞った、和臣をはじめとしたあの寺の者達。

「今日はお時間ありますか? 無ければ後日改めてでも構いませんが」

「時間はあります」

 大学の講義が終われば、どうせバイトもしていない暇人だ。家事はしなければならないが、随分と手を抜いていることもあって話を聞く時間が無い程ではない。文明の利器は使ってこそ。

「それでは、松縁寺しょうえんじで話しましょう」

「昨日、私達と会ったお寺よ」

「あ、はい」

 二人の声に短く返す。昨日の寺──今日もあの人達が居るのだろうか。和臣は他にも居るような口振りをしていたが、その辺りはどうなのだろう。

 そういえば、あの山はずっとあるのだろうか。大学に入る際にこの辺りに引っ越して来て、それなりには経つが昨日初めて気付いた。都会の真ん中あたりに、あんなオアシスのような山があったなんて、よく講義帰りや休日に出歩いているのにちっとも気付かなかった。

 考え事をしながら史枝を追うように歩き、また昨日のように路地からあの山に入る。微かに耳元で何かの音がしたような気がしたが、気のせいだろうか。

「ここはこの辺りの付喪神の聖地となっています。付喪神以外のものも沢山居ますが、山の全域が寺の敷地でもありますし、ほとんどのものは何の害もありませんから大丈夫ですよ。緋影山ひえいざん松縁寺です」

「比叡山?」

「いいえ、緋い影の山で、緋影山です。付け加えますと、松の縁の寺で松縁寺ですよ」

 聞き覚えのある響きに思わず浮かんだ文字に置き換えてみると、くすくすと笑いながら訂正される。笑いながら言われているのに嫌味っぽく聞こえないのが何だか不思議だ。

 母と言うのか、仏と言うのか。どう表現すればいいか悩むところではあるが、彼女の纏う空気は何だかとても落ち着いた。

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