第一話-02

 困って姫生が振り返ると、少年も心配そうな表情をしているし、天雅はにこやかにただ姫生の返事を待っている。

「……分かりました。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」

 言えば、満足げに笑んだ女性と、ぱあっと表情を綻ばせた少年がそれぞれに奥の方へと入っていった。間もなく戻って来た少年の手にはタオルが握られていて、それを差し出される。

 風呂が沸くまでは、とりあえず拭いて待っていろということだろうか。礼を言ってタオルを受け取り、まずは水気が乾いてパサついていた顔を覆う。タオルは柔らかく頬を包み込んでくれて、そしていい匂いがした。

 使っている化粧道具は水性だ。きっと濡れたことでぐちゃぐちゃになってしまっているだろう。風呂に入ったらまず、顔を洗わせてもらおうか。あんな綺麗な女性が居るのだ、洗顔フォームくらいはあるだろう。身体や髪は、帰ってから洗うのでもいいだろうから、とりあえずさっと流して湯船に浸かって温まろう。


 *


 戻って来たしゃらを見た男性は、手に持っていた本を閉じて顔を上げた。

「覚えて、無さそうでしたね」

「そうね」

「しかし御先ミサキが現れたのは確かです。これでようやくわたしも隠居出来ますね」

「勝手に隠居すんなガキ」

 風呂へと姫生が入った後、四人はそれぞれに言う。明らかに天雅よりも年少に見える少年からガキ扱いされても、彼はただ苦笑するばかりだ。

「冗談じゃないですか」

「冗談に聞こえない」

 そんなことを呟いて眉を寄せため息をつく少年は、柱に預けていた背をゆっくり離してその場を後にした。

 続くように、女性も立ち上がる。

「しゃら?」

「ここで私達が話していても意味がないわ。実際に御先と話をしないと。彼女がいつ出て来ても良いように、準備をしてくるわね」

 すっと部屋を出て行く女性を見送って、残った男性は手元の本を開いた。

「しゃらの言うことも尤もです。上人様も、外のを帰して来た方が良いのでは?」

 淡々とした口調で言われて天雅は縁側の方を見る。先程本堂の前で天雅を囲んでいた子供達が、興味津々に建物の中を覗いている。いつ振りかの御先の姿を見に来たといったところか。

 だがこれでは姫生が驚いてしまうだろう。出逢ったその日から警戒させるのも怯えられるのも困る。

 苦笑した天雅は、仕方ないとため息をついて彼らのもとへと向かった。


 *


 風呂上がった姫生は、脱衣所の衣類カゴにあったのは自分が着ていた服ではなく、旅館などに置いてあるような浴衣である事に気付いた。

「あなたの服は洗濯してるから、それ着ててね」

 戸惑っていると、脱衣所の外から先程の女性の声がする。気を遣わせてしまったようだ。そこまでは思っていなかったのだが、確かにあれほど濡れていれば見る方は気になるだろう。せっかく風呂に入ったのにまた濡れた服を着るのも、自分も気分が良くない。ということは、乾くまではここに居ることになる。

 ……大丈夫だろうか。

 浴衣に袖を通しながら考える。湯に浸かっている間も考えていたが、自分は今、逃げてきているのだ。もしここに居ることがその相手に知られてしまえば、天雅をはじめここの人達に迷惑をかけることにもなりかねない。先程外に居た子供達のことも気になる。

 早く出て行った方が良いような気がするのだが、どういうわけか、ここに居るとひどく心が安らいだ。

「あの……服、ありがとうございます」

「気にしないで。私がしたくてしてるだけだから。それにアナタ、今日はもう少しここに居た方が良さそうだし」

「え?」

 脱衣所を出て礼を言うと、さっぱりとした返事の後に思いもよらないことを言われる。どういうことなのか、姫生には検討もつかなかった。

 だが当の女性はぱっと笑顔になり、さらりと話題を変えてしまう。

「上人様とは自己紹介し合ったのよね? 私はしゃら。さっき居た、ちっさい方はぼん、でっかい方は瑞慶ずいけいよ。よろしくね、姫生様」

「っ、あ……」

 寺に住む、故の名だろうか。変わっているような気もするが、妙にしっくりくる。そして姫生の名前は、天雅からでも聞いたのだろうとは考え付いたが、こちらはどうもしっくり来ない。

「あの、様付けは、しないでもらえると……」

「それは難しい相談ね」

 何とか絞り出すように言うも、笑われてしまった。

 ──どうしたのだろう。笑うことには慣れた筈だ、話すことは出来るようになった筈だ。昔とは違うのに。ここに居ると『本来の自分』が出て来てしまうのは、何故だろう。

「……髪、整えましょ? そのままじゃ出歩けないでしょう?」

「整える?」

「ほら、ここ」

 にこりと、笑ったしゃらが姫生の髪に触れる。胸まである姫生の髪は、一部だけが不自然に短くなっていた。

「きっと短くても素敵よ、姫生様なら」

 そう言ったしゃらの笑顔が眩しい。申し訳なさもあるのに、どうしてかやっぱり拒む気にもなれなくて、姫生は大人しく彼女の後を追った。

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