第2話 思い出の場所
僕が伯父の家に久しぶりに来たのは数年前に亡くなった祖母の七回忌に参加する為だった。本来なら父が列席するはずだが、ここの所体調が良くないので代わりに僕が参加することになったのだ。
伯父の家には子供の頃、毎年夏休みになると一週間ほど泊りがけで遊びに来ていた。今もそうだが、あの頃も僕が住んでいた街とは違い、自然が多く残っていたからだ。従妹の正孝や明美と近くの小川で泳いだり魚釣りをしたりして遊んだものだった。二人とも僕と歳が近いので話題も共通のものが多かったので、朝から夜寝るまで遊んだものだった。
そんな想いを持ちながら家の中を歩いて見ると過去の記憶が蘇るが、今の家にはかっての喧騒はない。そんな寂さを感じた。
祖母の法事は明日なので余裕を持って今日来たのだった。明日の土曜は泊り、明後日の日曜に帰るつもりだった。
明美が来られないのは自分の仕事のこともあるが、旦那の事情もあった。旦那が明日、海外から長期出張から帰国するのだ。そんな時に家を空ける訳には行かないという理由だった。まあ仕方ないとは思うが、本音では明美と祖母とは仲が良くなかったそうだ。祖母は長男の正孝ばかり可愛がり、明美の事は殆ど無視していたという。最もこれは明美の言い分だから本当の事とは限らないと僕は思っている。事実は明美は理由をつけてまで祖母の法事には出たくなかったという事だった。
夕食までは時間があった。僕は半ズボンに着替えると近くを散歩することにした。数年ぶりだから、かって遊んだ場所にも行ってみたかった。伯母に
「サンダル借りるよ」
そう言って適当な足に合うサンダルを物色していたら、純子さんが
「お出かけですか?」
そう尋ねて来たので」
「ええ、近くをぶらつこうと思って。サンダルを物色していたのです」
そんな返事をしたら、純子さんは下駄箱から真新しい男物のサンダルを出して
「これをお使いください」
そう言って僕の足元に揃えてくれた。
「ありがとうございます」
僕は礼を言って新しいサンダルに足を通した。サイズは丁度良かった。木戸を潜って表に出ると後ろから純子さんが
「私もご一緒してよろしいですか?」
そう言って後ろから声をかけられた。僕は別に嫌ではないので
「ええ構いませんが純子さんには詰まらないかも知れませんけど宜しいですか?」
反対に僕が尋ねてしまった。
「彰さんは子供の頃に遊んだ場所に行くつもりなのでしょう?」
驚いたことに僕の行動の予測までしてしまった。
「ええ、でもどうしてそこまで分かったのですか?」
僕の質問に純子さんは
「なんとなくです。私なら子供の頃に遊んだ場所に久しぶりに来たなら、ちょっと覗いてみたいと思いますから」
それを聞いて僕は純子さんは、もしかしたら僕と思考のパターンが似ているのかも知れないと思った。
僕と純子さんはバスの通っている道をバス停の方に向かって歩き出した。すると不意に純子さんが赤い傘を開いた。
「本当は日傘があれば良かったのですが、生憎これしか目に付かなくて」
傘は雨用の赤い傘だった。それを開いて純子さんが僕に傘を差しだした。僕はそれを受け取り二人で傘の中に入って歩き出した。何のことはない「相合傘」だ。まあ見ている人なぞ居ないとこの時僕は思った。
「この先の追分から山に入った所に小川が流れていましてね。この時期だと水量が多くなって、そこらあたりが小さな池みたくなってましてね。そこで遊んだものでした」
僕は昔の思い出を語りながらバス停の先の追分を細い道の方に入って行った。反対側はバスが通っている広い道だった。
「こっちへは来たことがありませんでした」
確かに通常はこの道には入らないだろう。バスの通りにはこの先に日常のものを売ってる店もあるし。ラーメン屋もある。何もないこちらへは来る用事がないからだ。
「まあ、普通は来ませんよね。この道は山に向かう道ですからね。山に用事がなければ来ませんよね」
道を進んで行くと脇の雑木林の木の背が高くなって来た。こうなるともう遠くからは二人の姿は見え難くなる。日差しも木の影で大分遮られるようになって来た。
「確かここを入って行くのだったと思います」
右の方には更に細い道が別れていた。普通の人なら不安で決して入っては行かないだろう。
「大丈夫なのですか?」
純子さんが不安そうな問いかけをする。
「まあ大丈夫だと思います。僕も数年ぶりですから。正直どうなっているのか判りません」
無責任な答えだが、ここまでの景色が全く変わっていないので、恐らく大丈夫だろうと推測したのだった。僕は純子さんに傘を手渡して先に小径に入って行った。純子さんも黙って僕に続いた。
百メートルも歩くと僅かに水の流れる音が聞こえて来た。振り返ると純子さんも気が付いたのか表情が明るくなった。
更に進んで行くと突然景色が開かれ、目の前には水を湛えた池とそこに流れる小川があった。昔のままだった。
「こんな場所があったのですね」
純子さんが驚きの表情を僕に見せた。少なくとも少しは純子さんを楽しませたと考えるといい気分だった。
「ここで泳いだのですね」
「ええ、三人でよく泳ぎましたよ。魚釣りもね」
伯父の家で海パンや水着に着替えてそのままビーチサンダルでここまで走って来たのだった。
「今でも泳げるのでしょうか」
そんな純子さんの質問に
「今はこの辺りの子も学校や公園のプールに行くのでしょう。今日は結構暑いですが、誰も居ませんね」
もしかしたら偶然、今は居ないだけかも知れない可能性はあったが僕は今どきの子が小川で泳ぐなんて考えられなかった。
「私泳いじゃおうかな」
純子さんはそんなことを言って怪しげな笑みを浮かべると、サンダルを脱いでワンピースの裾を両手で持ち上げて小川に入って行った。長く白い脚がまぶしかった。
「冷たくて気持ちが良いですよ」
ニコニコしながら僕に笑顔を見せた。それを見て僕も小川に入って行くことにした。サンダルを脱ぐと純子さんの後を追った。
小川の水は確かに冷たく、あの頃もこんなに冷たかったのかと思った
「いや本当に冷たい。こんな水温でよく泳げたと思うな」
僕の独り言のような呟きに純子さんは
「子供って体温が高いから結構平均なのだと思います」
そうかも知れなかった。今の子がここで泳がないのも、水温と関係があるのかも知れなかった。
「それにしても純子さんは綺麗な脚をしていますね」
思わず本音が出てしまった。すると純子さんは
「うっかりしていました。恥ずかしいのを忘れていました」
そう言って浅瀬に来るとワンピースの裾を下ろして小川から上がってしまった。余計なことを言ったと思った。
仕方ないので僕も小川から上がって
「帰りますか」
そう言って元来た道を引き返した。その途中
「私、水着を着ていたら泳いだかも知れません。あ、一人ならですけど」
そんなことを言って僕を驚かせた。普通は今日初めて会った人間にはこんなことは言わない。純子さんは僕にシンパシーを感じているのだろうかと思った。
その後家に帰ると正孝が来ていた。
「彰ちゃん。久しぶり。今夜は飲もうな」
そう伯父と正孝は酒が強い。強いと言うより底なしと言い換えてもよい。ウワバミなのだ。
案の定、その夜僕は三人で呑んで強か酔ってしまった。
「彰は酒に弱いのう。少しは強くなったかと思ったがな」
伯父のそんな言葉を朦朧とした状態で聞く
「純子さん。悪いが彰を部屋まで連れて行ってくれんかのう」
伯父に言われて純子さんが僕の腕を掴む。僕も何とか自力で立とうと頑張る。結局、純子さんの力を借りて離れに用意された自分の部屋に行き布団を敷いて貰い横になった。その後意識がなくなった。
どのぐらい経っただろうか、人の気配で目が覚めた。
「大丈夫ですか、水を持って来ました」
薄明りに照らされた純子さんは浴衣のようなものを着ていた。それは寝間着だったのだろう。
「正孝と伯父さんは?」
「もうとっくに寝ましたよ」
薄明りの中で純子さんが笑っていた。
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