夏にて

まんぼう

第1話 出会い

 田圃の中のバス停で降りたのは僕ひとりだった。バスの前の出口で料金を払って降りるとドアが閉まって、バスは僕に埃っぽい風を放って去って行ってしまった。

 雲ひとつない夏の午後の太陽が僕を遠慮なく照らしていた。蒼い空が都会の育ちの僕には思いの外キツかった。

 汗を掻きながら、バスに乗って来た一本道を少し戻る。凡そ三分も歩いただろうか、子供の頃に見慣れた伯父の家の大きな赤黒い門が見えて来た。伯父は僕の父の兄で長男だった。父は三男だった。

 門そのものは確か車とか大きなものが出入りする時以外は開かず、通常は横の木戸を使って出入りしていた。大門が閉まっているところを見ると、多分今でも変わりは無いのだろう。

 横の木戸には木の取っ手が付いていて、これが閂と一体となっていて、横にスライドさせ押すと簡単に木戸は開いた。昔と変わらない。昔から、この木戸には鍵もかかっていなかった。今はどうか知らないが、恐らくそう変わりは無いのだろう。この辺りの家では、この木戸やここより小さい門の家では門や木戸にインターフォンや呼び鈴が付けてある家が多いが、伯父の家の呼び鈴は門の中に入って家の玄関のところにある。つまり門の内側には入ろうと思えば誰でも入れるということなのだ。

 木目調のアルミサッシで出来た一見豪華そうな玄関の扉の横の呼び鈴を押すと中から返事が聞こえた

「は~い。どなたですか?」

 若い女性の声だった。この家の若い女性となると見当がつかなかった。従妹の明美は東京で暮らしているはずだし、昨夜、伯父の家に行くと言うと

「両親に渡して欲しい」

 と言って封筒を渡されたからだ。中身は両親への手紙と幾ばくかの金銭だった。

「ボーナス思ったより貰ったから恩返し」

 少し照れながら真顔で語った。だから明美のはずが無かったのだ。

 ガラガラと音を立てて玄関の扉が横に開いた。玄関の内側には見た事の無い女性が立っていた。歳の頃なら三十手前で二十台後半だろう。少し痩せ気味で、少し背が高く百六十五センチぐらいはあると思った。赤いノースリーブのワンピースを着ていて白い肌が露出していた。

「東京から来た柳瀬彰です」

 今日来る事は伯父には伝えてあった。この女性が留守番なら伝わっているだろうと思った。

「ああ伺っています。遠いところをようこそ」

 そう言って微笑んだ時に風が抜けて彼女の肩に僅かにかかった髪の毛が揺れた。その時の感じがとても印象的だった。

「どうぞ上がってください」

 僕の持っていた小さなカバンを受け取ろうとするので

「あ、大丈夫です」

 そう言って断った。こんなものを若い女性に持たす訳にはいかない。

 玄関を上がって長い廊下を歩いて行くと皆が集まる広間がある。伯父の家族はこの部屋で食事をしたりくつろいだりしている。ちなみに娘の明美は今は居ないので伯父夫婦とこの女性だけだろう。長男の正孝は隣の敷地に家を建てて別に暮らしている。既に男女二人の子持ちで奥さんは陽気な人だったと記憶している。

 その居間では伯母が待っていた。

「あきらちゃん、良く来たね。暑かったろう。純ちゃん何か冷たいものでも持って来てやって」

「はいおばちゃん」

 純ちゃんと呼ばれた女性は台所に去って行った。

「座って」

 言われた通りに伯母の向かいに座ると程なく純ちゃんと呼ばれた女性が大きめのグラスに麦茶を入れて持って来てくれた。

「あ、すいません」

 お礼を言ってから

「伯母さんこの女性は? さっきおばちゃん、と呼んでいたよね?」

 僕の質問に伯母は

「ああ、驚いたかい? この子は私の姪でね。芦田純子って言う子だよ。半年前からウチで預かってるんだ」

「芦田純子です。よろしくお願い致します」

 純子さんはそう言って頭を下げて挨拶してくれた。

「柳瀬彰です。伯父さん伯母さんからは甥っ子になります」

 僕もそう言って挨拶を返した。でもこの時僕の目は先ほど純子さんが挨拶をしてくれた時に大きく開いた胸に目が行ってしまっていた。痩せているのに思ったより豊かな谷間に少なからず驚いたのだった。悲しいかな男の性で目が行ってしまう。

「果物でも剥いて来ましょうか?」

 純子さんは伯母にそう言うと再び立ち上がって台所に向かった。今度はすらりとした脚に目が行ってしまった。すると伯母が

「綺麗な子だろ。実はね、あの子出戻りなんだよ」

 声を潜めて前かがみになって僕に告げた。

「出戻り……離婚したの?」

「そう半年前にね。私の実家も田舎だから、嫁に行った娘が帰って来るなんて言うと騒がしいし、色々と噂を立てられるから、こっちでホトボリが冷めるまで預かることにしたんだよ。そのうち落ち着けば東京で暮らしたっていいしね」

 伯母はそう言って台所の方に目をやった。

「子供は?」

 僕はそれが気がかりだった。今のこの家に子供の気配は無い。もしかして置いて来たのかとも思ったのだ。親権が向こうに行ってしまったとか。

「ああ、それは大丈夫。子供は出来なかったからね。それで旦那が他所でこさえたんだよ」

 それを聞いて納得した。

「何年結婚していたの?」

「三年半かね。世の中には十年出来なくて苦労して出来た夫婦もいるのにね」

 伯母の声が最後の方が小さくなったのは純子さんが西瓜を切って来たからだ。大きめのガラスの器に西瓜の赤い果実の部分だけをカットして盛って来たのだ。

「この子は西瓜をこういう風にするんだよ」

 伯母が半分呆れ半分笑いながら言う

「だってこの方が無駄なく食べられるし、食べる方だって楽でしょう。スーパーなどではこうやってカットして売ってるし」

 確かに僕の家の方のスーパーでもカットして売っている。僕は一人暮らしだから買った事は無いが結構買う人は多いみたいで、閉店間際に行くと売り切れている事が多い。

「横のフォークで刺して食べてください」

 純子さんに言われて小さなフォークで刺して赤い西瓜の果実を口に運ぶ。西瓜は僕の創造より甘く冷たかった。

 その後明美からの頼みを思い出した。カバンから預かった封筒を出してテーブルの上に置いた。

「これ明美ちゃんから頼まれたんだ」

 封筒をまじまじと見た伯母は

「何だいこれ?」

 そう言って不思議な顔をしたので

「中に手紙と色々入っているみたいだよ」

 そう言ったら封筒を開けて手紙を読みだした。すると伯母の目がたちまち真っ赤になり、そのまま封筒を持って奥に行ってしまった。

 何事かと呆然としている純子さんに僕は少し事情を説明した。明美は中学から高校の頃に悪いグループと付き合っていた事があり伯母さんが学校に呼び出されたのも一度や二度ではなかった。そのことを知っていれば今回の事も伯母が目を腫らしたのも納得できる。幸い純子さんも明美の事もよく知っていたので直ぐに理解できた。

「明美ちゃんも伯母さんや伯父さんに心配掛けたから」

 それが全てを語っていたと思う。

 二人だけになった居間で僕は純子さんに色々と質問をしてしまった。後から考えると随分失礼な事をしたと思う

「純子さんは幾つなの?」

「今年で二十八、彰さんは?」

「僕は誕生日が来ると三十。でも最初は驚いたなぁ、だって伯父さんの家にこんな若くて綺麗な人がいるとは思わなかったから」

「彰さんて見かけより口が上手いのね」

「お世辞でも何でもないよ。僕は本当の事しか言えない性分でね」

 これは本当だった。もう少し口が上手ければもっと出世したかも知れなかった。同期より僕は出世が遅かった。

 後から考えると僕はこの時に一目惚れをしたいたのかも知れなかった。でも今はそれを考える余裕もなかった。

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