第6話
平日の昼間にふらふら外を出歩いていると、ふしぎな感覚を覚える瞬間がある。あの、小さい頃によく買ってもらった、身体に悪そうな極彩色のお菓子を口に入れている時のような。たまごボーロを食べている時には一切感じなかった。たまごボーロが台所のお菓子入れにある時よりも、へんな色のお菓子がある時のほうが幸せだった。そんな気がする。
いまが幸せ、というわけではもちろんないんだけれど。
いや、幸せじゃない、というわけでもない。幸せでも不幸せでもない、なんてことはない時間。贅沢な奴だと言われてしまいそうだ。
図書館までは歩いていける。これまで、会社に行っていた時には図書館に行くという発想自体がなかった。でも、思いだしてみれば、学生時代のぼくは図書館のヘビーユーザーだった。足が向かないようになったのは、単純にオフの時間に休息以外のことをしたくなかったからだと思う。
図書館に行こうと思いたったのは、先日、駅前に出向いた時のことだった。じぶんとは別のだれかの人生を見たくなった。それが最も手っ取りばやくできる場所が最寄りの駅前で、ぼくは、ひとを待つふりをして、レンタルショップの前の、一本の木を囲むように作られた円形のベンチに座っていた。そこからは、改札に向かうひとの背中と、改札を抜けてくるひとの顔が見える。
ずっと眺めていると、背中にも表情があることがわかる。それから、顔に表情がないひとがいることも。ぼくは、背中を見ているほうが好きだった。スーツの背中。猫背の背中。腰に手を添えられた背中。暗い背中。子どもを肩車した大きな背中……。
人生がそこに映されているようで、見ていてちっとも飽きない。うす暗い改札の向こうに、十人十色の背中が機械的に吸いこまれていく。その向こうにある、ぼくの知らない世界、営みを想像していると、一日があっという間に過ぎていく。日によってまちまちだけど、今日みたいに昼下がりからやっていると、気づいたら夕方になっていたりする。
「あ」
しゅっと背すじの伸びた背中とすれ違うように現れた顔に、ぼくの口から、ちいさな声が出た。茶色いチノパンに白いTシャツ、その上に黒いカーディガンを羽織った小平さんが、改札を抜けて少し歩いたところで、あたりをきょろきょろしていた。とっさに、ぼくは顔を伏せた。
どきどきする。よく、わからないけど。
なぜ小平さんがこの駅にいるんだろう。こないだぼくの部屋に来る時、電車のなかでどこに住んでいるのかきいた。職場よりもさらに向こうの町だと言っていた気がする。なにかの用があって、ここまで来たんだろうか。友だちがこの駅のそばに住んでいて、会いにきたという可能性も。
ゆっくりと、ぎりぎりの位置まで顔を上げると、小平さんはもう歩きだしていた。ぼくがいるのとは、反対の方向へ。数十メートル離れたところにある小平さんの背中は、やけにちいさく見えた。ぼくはベンチから立ち上がった。
立ち上がって、どうするつもりなのかは全然考えていなかった。ただ、立ってしまったからには動きださなくちゃいけない。そのままつっ立っているわけにはいかないし、もう一度座りなおすというのもへんな気がした。ぼくはそうっと、さびかけた機械仕掛けの人形のようにぎこちなく歩きだした。これ以上は無理という遅さで、小平さんの後をつけるようにして。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます