3(たぶんそれは無理ですよ)
どういう都合によるのか不思議なのだけど、一つのグループがぼくのことをのけ者にすると、それとは関係のないクラスメートまでそれと同じようなことをするようになる。
理科の実験で、共鳴現象というのがあった。物質には固有の振動数があって、二つの音叉の片方を鳴らすと、もう片方も鳴りはじめる、というやつだ。人間関係でも、それと同じようなことが起きるのかもしれない。
けれどそんな科学的な理屈がわかったとしても、ぼくの置かれた状況が変わるわけじゃない。教室にいると、針のむしろにでも座っているみたいだった。休み時間になるたびに緊張して、授業中だけが何とか安心していられる。
その日は、体育の授業が自習になった。グラウンドなり体育館なりを使って、好きなことをしていいという。
当然だけど、ぼくは困ってしまった。好きなことなんて言われたって、誰もまぜてくれるはずはないのだ。体育館の隅に一人で所在なく座っているというのも、ひどく気の滅入る話だった。
ぼくは少し考えてから、誰もいない校舎の裏に行って、そこで時間をやり過ごすことにした。みんながわいわい言いながらグループを作っているのを横目にしながら、できるだけ目立たないようにしてその場をあとにする。
校舎の裏は日陰になって、じめじめしていた。角のところまで行くと焼却炉があって、そこだけ陽があたっている。ちなみに、最初に靴の片方がなくなったときは、この焼却炉の前に落ちていた。
ぼくは校舎の壁に背中をつけて、座り込んだ。何だかそのまま、灰色の影の中に体が溶けていくんじゃないかという気がした。念のために手をのばして、自分の手がまだそこについていることを確認する。
――その時だった、声がしたのは。
「あれ、奥津城じゃん。何やってんの、こんなところで」
慌てて振り向くと、そこには同じクラスの
何だか、とても嫌な予感がした。
「別に、何も……」
言いながら、ぼくはそろそろと立ちあがった。いざというときは逃げられるようにしておいたほうがいいと思って。
「一人でここに来るの、見てたんだよ。――なに? もしかして自分一人だけ授業さぼるつもり?」
ぼくの考えを読んでいたみたいに、江波たちとは反対からもう一人が現れた。逃がさないつもりなんだろう。
「そんなつもりじゃないけど……」
四方を囲まれたせいで、ひどく息苦しさを覚えた。
「じゃあ、どういうつもりなわけ?」
「…………」
それを自分で答えるのはごめんだったし、答えたところでこの四人がどこかに行ってしまうとは思えなかった。
「黙ってんじゃねえよ、口もきけないわけ?」
一人がすごんできた。ほかの二人も同じような口調で言う。
「何とか言ったらどうなんだよ」
「どうせ本心じゃ、自分のこと特別だとか思ってるんだろ」
そんなことは、ぼくは知らない。
でも、何を言ったって無駄なのはわかっていた。台風とか、地震とかと同じだ。黙ってやり過ごしてしまうしかない。いずれは相手だって飽きて行ってしまう。
ところが、四人はちょっとした遊びを思いついていたらしい。
「一人でさびしい思いをしてるかわいそうな奥津城のために、実はこんなものを持って来てやりました」
江波はにこやかにそう言って、さっきから持っていたサッカーボールを掲げてみせた。ぼくはやっぱり、嫌な予感がした。
「それではこれから、奥津城にはゴールキーパーをやってもらいたいと思います。シュートを四本とも止めたら、終わりにしたいと思いまーす」
にこにこしてボールを地面に置くと、江波は思いきりそれをキックした。
校舎の角にはほとんどスペースなんてない。壁に張りついたとしても三メートルあるかないかだ。そんなところから思いきりボールを蹴られたって、止めることなんてできるはずがない。
ぼくはものすごい勢いで飛んできたボールを、何とかしてかわすのが精一杯だった。「何だよ、キーパーがボールよけてどうすんの」不満そうな声が聞こえる。
別の一人が、壁に跳ね返ったボールをまた蹴った。今度はよけきれずに、腰に当たった。「あは、いったそー」
次々に飛んでくるボールを、顔に当たらないようにするので精一杯だった。そうやって四本、シュートが体に当たっても、ボールがやむ気配はなかった。笑い声が水面から聞こえるみたいに響く。転んで、手を擦りむいた。それでもボールがぶつかってきて、ぼくは体を丸めるしかなかった。
そうやって亀みたいに手足をひっこめていると、いつのまにか衝撃がこなくなった。恐るおそる顔をあげると、もう誰もいない。時間が来たか、飽きたのか、どっちかだろう。
「痛っ!」
よく見ると、擦りむいた手の平からひどく血が滲んでいた。赤い滴がたれて、コンクリートの地面に汚点を作る。このまま放っておくと、面倒なことになりそうだった。
ぼくは左手で右手を支えながら、保健室に向かった。血がたれないように注意しながらドアを開けると、幸い保健の先生以外には誰もいない。事情を話すと、手の平を見ながら先生に訊かれた。
「一体、どうしたの?」
「――授業で転んだんです」
ぼくは何でもないことみたいに答える。体操着には一部にくっきりボールの跡が残っていたけど、不審には思われなかったみたいだ。
「じゃあ、そこでよく手を洗って、終わったらこっちに来て」
言われたとおりに、ぼくは洗面台でしみる傷口を洗って、イスに戻った。先生は大きめのバンドエイドのような物を用意して、そこに貼る。何だかゼリーみたいにふにょふにょしていた。
「できれば四、五日くらいそのままにしておいて。ちょっと表面がふくれると思うけど、気にしなくていいから」
「――はい」
ぼくは試すように手を回しながら答えた。とりあえず、血がたれてくるようなことはなさそうだ。
「今度は無理しすぎて、怪我しないようにね」
四十すぎくらいの女性の保健医は、注意するみたいにそう言った。ぼくはにこにこしながら、「はい、気をつけます」と答える。たぶんそれは無理ですよ、と思いながら。
バンドエイドの貼られた右手をかばうように歩きながら、更衣室に向かった。チャイムはもうとっくに鳴っていて、中には誰もいない。着替えを置いた棚のところに行くと、床の上に制服が散らばっていた。
もちろん、確認するまでもなく、ぼくの制服だった。
ぼくは床から服を拾いあげて、手で叩いて埃を払った。次の授業のためにやって来た二年生たちがそれを見ていたけど、ぼくはできるだけ何でもないふりをして、そのまま着替えをすませた。
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