四章 〈龍王の書〉
一話
かつて王族に反旗を翻した集団が、その身に刻んだのは、黒い龍の紋章だったと言う。
笑いが込み上げてくる。
結局、自分も、運命には逆らえない。
「でも……僕は違うんだ……全部壊すんだ……あいつの思い通りにはならない」
もう一度、斧を振り下ろす。すでに事切れていた死体から赤黒い血が飛び散る。
*
「本当にここから王宮見えんの?」
黒狐がぼやいた。王宮を遠目に見下ろすこの山は、大陸を南北に二分する山脈の最南端にあたる。
「黒狐さんはわからないでしょ。目が悪いんだから」
烏がオペラグラスを覗きながら言った。
「だってさあ、この暗さだしさあ。てか王宮に入るなんてムリじゃね。言い出しっぺ俺だけどさあ」
ぶつぶつと文句を言う黒狐を、涼子がはたいた。
「こういう時くらい黙って」
「へいへい」
俺は居てもたってもいられなくて、ずっと地図を眺めていた。
ここまで来るのに、一時間。隊長は、その間にどこまで進んだのか。
王宮のそばを通ったとき、変わったことは何もないように見受けられた。見張り番も平常と変わらず立っていて、厳重な警備はやはり何者の侵入も許さないようになっていた。もしかしたら、隊長は王族だから顔パスとかできるのかな、などと呟いたら、「バカじゃないの。そんなわけないでしょ」と烏に一蹴されてしまった。
「……やっぱり」
そんな烏がオペラグラスを下ろして、呟いた。
「何かわかった?」
もう一つの地図を片手に持った白鷺が、呟きを拾った。
「うん。ちょっと地図貸して」
烏は俺と白鷺の地図を受け取って、照らし合わせた。烏は俺の地図を見て、顎に手をやった。
「この赤い線は?」
烏が地図を指で叩きながら俺に聞いた。
「え? あ、ああ、余計なことかもしれないけど、徒歩で、かつあまり人に出会わないように王宮まで行くとしたら、どういうルートを辿るのかなって考えてみたんだ……俺なりに」
とにかく何かしていないと気が済まなくてやったことだった。烏は依然として仏頂面で地図を見ていた。俺は「無意味だ」ときっぱり言われてしまうのを覚悟した。
「……これは、最短ルート?」
「え? あ、まあ、考えた中では最短」
「ふっ、上出来」
烏は不敵な笑みを浮かべた。
「君はただの馬鹿じゃないんだな。大馬鹿だ。こんなルート、普通は険しすぎて通れない。崖もあるし。標高線も正確に読み取れないような馬鹿じゃないと思い付けない」
だけど、と烏は続けた。
「隊長はその馬鹿だから、あり得なくはない。むしろ、最短ってわかっているなら崖を登ることくらいやりそうだよ。それに、君のおかげで侵入経路もわかった」
「ホントか」
自分の描いた赤い線が光っているように見える。白鷺が俺に微笑んだ。すると、黒狐が興味津々にこちらへ近づいてきて、「マジでわかったのか?」と地図を覗き込んだ。
「ええ」
「烏はやっぱり天才だな」
さっきまで文句を言っていたのにこれである。が、烏は相変わらず「まあ黒狐さんとは違うので」と辛辣だった。
「とりあえず説明しますね。見ればわかりますが、王宮は警護や防御の都合上、堀に囲まれた高い丘の上にあります。仮に武装した集団がやってきても、見晴らしが良いので早めに察知することができます。しかしここまで見晴らしがいいと、包囲されて、どうしようもなくなったとき、逃げることができません。逃げたら丸見えですからね。それはわかりますよね?」
烏は周囲に集まった隊員たちを見渡した。俺は軽く頷いて、ちらりと王宮の方に目をやった。
「そこで、彼らはどうすると思いますか、黒狐さん?」
烏はいきなり黒狐に話を振った。黒狐は素っ頓狂な声で「え? 俺?」と自分を指差した。
「黒狐さんなら、わかりそうなので」
「……えー……っと……? 包囲網を潜り抜けるってことだから……煙幕でも作る?? 戦車で突っ込むとか」
烏は軽蔑の眼差しをたっぷりと黒狐に注いだ。虫でも見るような目だ。
「予想外の答えでした。正解は」
烏は地面に人差し指を向けた。
「地下道です」
俺は人差し指につられるように地面を見つめた。
「地下……?」
「地面の下に、逃げ道を作るんです。よくあることですよ。城の下に秘密の通路を作るのは古の時代からの定番です」
白鷺が「なるほど」と相づちをうった。
「地下もなかなか危険度は高いですが、そこは恐らく工夫されているでしょう。迷路のように複雑にするとか、ね。……かつて反政府組織が王宮を襲撃し、王の首を討ち取ろうとしたとき、なぜか王の姿を全く見つけられないまま軍に抑圧されてしまったのも、王がこの地下通路を通って逃げたからだと噂されています。公には地下通路など存在しないことになっていますが。
道の出口は、この〈秋桜〉が作った地図で見当がつきました。それと、イツキが引いてくれた線のおかげでわかりましたが……山中の崖の上に、謎の井戸があります。これが地下道の出口だと思われます。そう考えた理由は色々ありますが、割愛させていただきますね」
烏は赤線の無い地図を丸めて白鷺に渡した。
「隊長が本当に王族だとしたら……いや、そもそも龍神の後ろ楯があるなら、この地下道の存在を知っていると思います。彼もこの道を使うでしょう。黒狐さん、できるところまで、車をお願いします」
烏はスタスタと車の方へ歩いていった。黒狐は苦虫を噛み潰したような顔で「おうよ」と返事をした。
*
井戸──というより、それは、穴だった。
「この大きさ、余裕で人が通れますね」
一番体格のある白鷺が呟いた。確かに、白鷺どころかウルフでも通れそうな幅がある。烏がニヤリと笑った。
「ビンゴ、かな」
烏は先陣を切って穴に入っていく。一セアラかけて下に下りると、烏の姿が水平方向に移動して消えた。次に白鷺が烏を追う。難なく穴を通り抜けると、同じように暗闇に姿を消した。
次は俺の番だった。錆びた鉄の梯子を伝って下りる。地に足がつくと、手についた錆を払って暗闇に足を踏み入れた。
自分の足元すらわからない闇だった。不意に手に生温いものが触れて、思わず「うお!?」と声が出た。すぐあとに「すみません」と白鷺の声がした。どうやら手が当たってしまったらしい。
次に涼子が下りてきて、最後は黒狐だった。烏が車から持ってきた懐中電灯のスイッチを入れた。闇に慣れ始めた目に眩しい。ぎゅっと目を細めながら、照らされた通路の奥を見た。
通路は出口に比べてとても幅が広く、車でも余裕で通れそうだ。壁は磨かれてつるつるしている。足元にはところどころにそこそこ深い水溜まりがあり、どこもかしこも湿っていた。天井からポタポタと水が落ちている。
「黒狐さん」
烏が小さめの声で呼んだ。
「何だ?」
「……血の臭い、しません?」
俺は少し上を向いて空気を嗅いでみた。かび臭い淀んだ臭いしかしない。
「俺は、何も感じねぇけど」
黒狐が抑えた声で返した。烏はちょっと首をかしげた。
「僕の気のせいかな……」
「さあ。〈悪魔の子〉って鼻が利くんじゃね。血の臭いに敏感とか」
「今までそんな経験は無かったんですが……そうなんですかね」
「俺も聞いたことは無いけどな」
俺はその会話をぼんやりと聞いていた。烏も〈悪魔の子〉なのか……と妙に納得する。十五番隊は変わり者揃いと聞いたが、それはもはや特殊な人間が故意に集められたという意味なのではないかと思う。
烏は懐中電灯を通路の先に向けて歩き始めた。俺たちはその後ろに続く。しばらく歩いたところで、再び烏が口を開いた。
「僕はこの通路内で隊長が見つけられるんじゃないかと思ってるんですが、もし見つからなかったらどうします?」
「それは、王宮に突入するしかないんじゃないかな。元々そのつもりだったし」
白鷺が真っ先に返答をした。俺も白鷺と同じことを考えたので、そっとうなずいた。
「だけどさ、もし隊長が王宮にいなかったらどうする? もしかしたら、僕らの方が先にここに来ちゃってるかもしれないし」
烏は反論する。白鷺に対する口振りだけは若干柔らかい。
「まあ様子を見ればいいじゃない。王宮のどこかにたどり着くのは確実なんだから、そこで王宮がどうなっているか探ってみましょう」
涼子の提案に、烏が頷いた。
「そうしましょう……あ、隊長が何か騒ぎを起こしていたら、王はこの通路で逃げてくるかもしれないんですけど。僕たち見つかってしまいますね。どうしましょう」
「その時はその時よ」
「僕は予想できることは全部対策を考えたいのですが」
烏はつっけんどんに言う。涼子は苦笑した。
「烏が考えたほうが早いし確実じゃないのかしら」
烏はさらに苛ついたように「僕に丸投げしないでください」と返した。誰に対してもこの態度らしい。逆に感動を覚える。
「要は、王が来たらまず殺すか生かすかってことだよね?」
白鷺が平然と物騒なことを口走る。俺はこっそり白鷺と距離を取った。
「あながち間違ってはないけど……まあ」
「俺たちが手を出すのは無意味だろ」
黒狐が背後から口を挟んだ。
「だいたい王が単体で来るわけがない。なんだかんだで付き添いが何人かいるだろう」
「そうですね。付き添いがいたら、それは殺してもいいとして」
付添人が不憫だ。
「王を殺したら、隊長がどうなるかわからない。僕は自分のためにも殺したくはないんですが」
「隠れよう。通路は迷路なんだろ。どっか別のルートに逃げ込んでさ」
「ああ、いいですね。道に迷いそうですが……まあ『黒狐さんにしては』いい考えですね」
「いちいちバカにすんのやめろよな……」
黒狐はぼやいたが、褒められたことには少し嬉しそうである。烏が黒狐を褒めるなど、よっぽど珍しいことなんだろう。
話が終わったところで、分かれ道が現れた。だいぶ広い円形空間の壁に、数個の穴が開いていて、その先にまた同じような通路が続いているようだ。
「……やっぱり血の臭いがする」
烏が不快そうに顔をしかめた。そのとき、白鷺が「あっ」と一つの通路を指差した。
「あそこ、人が倒れてる」
目を向けると、確かに人間がいた。しかし遠目からでも、もう息をしていないのがわかる。
一同は死体に近寄った。まだ赤い血が下に溜まっている。目を逸らしたくなるほど損壊が激しい。
「これ、やったの隊長ですかね」
烏が死体に触れた。黒狐が唸ってうなずく。
「ぽいな。力任せだし……ん? 隊長って今、斧持ってないはずだよな?」
「うん、〈桜〉に捕まったときに斧も持っていかれて、そのまま」
あのときはとにかく隊長を救い出すのに必死で、斧のことなど誰の頭にも無かった。
「じゃあ、これは……?」
「……隊長以外にあり得んだろ」
どこかで水がぴちょん、と落ちた。
「まあ、この死体、地下道の見張りっぽいですし、この道で合ってると僕は信じます」
烏が立ち上がって、再び懐中電灯の光を暗闇に向けた。地下道が不気味に浮かび上がる。ホラービデオにありそうな光景だ。
道幅は先程より少しだけ狭まっている。俺は足音がこっそりついてきているような気がして何度も振り返った。ただ単に俺たちの足音が反響しているだけだとわかっていても、確認せざるを得ない。
丈夫な靴を履いているはずなのに、水が染み込んできて気持ちが悪くなってきた。他のみんなもそうらしく、不快そうに靴を地面に擦ったり足を振ってみたりしていた。
闇の世界では時間経過が遅く感じられる。じわじわと「このまま永遠にさまようことになってしまうんじゃないか」という漠然とした恐怖が、思考に入り込んできた。さっきまでみたいに、誰か何か話していて欲しい。この際黒狐の文句でもいいから、無言は嫌だ……と思い始めたとき、懐中電灯の光が壁を捉えた。
「……行き止まりかしら」
「いや、どうもなにかありそうです」
烏は少し歩調を早めて、壁の前に立った。烏の言うとおり、壁の端には歯車とレバーがあった。
「シャッターみたいなやつかな」
白鷺がしゃがんで歯車を眺めた。確かに、レバーを回せば開きそうな気がする。
「何が起こるかわからんが、回してみるしかねーな」
黒狐がレバーに手をかける。が、どれだけ力を込めてもレバーはピクリともしない。
「なんだこれ。硬ぇ」
「龍人くらい力が無いと開けられないようになってるんですよ、きっと」
烏が淡々と言う。
「なるほどなぁ」
黒狐がレバーから離れた。俺は若干不安になる。あの隊長並のパワーを俺たちでカバーできるのか。
烏が懐中電灯を置いて、レバーの方に移動した。
「鷺、一緒に回して」
白鷺が烏の上から手を伸ばし、レバーに手をかけた。いやいや、無理だろ、と俺は心の中だけで思った。いくらなんでも、二人では開かない。
と、ギリギリと歯ぎしりのような声をたてながらシャッターに隙間が開いた。懐中電灯の光が、次第にシャッターの向こうへと届き始める。俺は驚きすぎて烏と白鷺が何をしたのか見ようともしなかった。
「先いくぜ」
黒狐が懐中電灯を拾って、半分ほど開いたシャッターを潜り抜けた。シャッターの向こうから黒狐が指で「来い」と命じる。俺は急いで身を屈めてシャッターを潜った。涼子も同時に通り抜ける。
シャッターの開く速度が緩み、一度完全に止まった。そのあと、とてもゆっくりと、しかし、だんだん速さを増しながら閉じていく。白鷺と烏が転がるようにこちらへ飛び込んできた。その直後、ダァンと大きな音がして、シャッターが完全に降りた。
「自動で閉まるのか」
「そうみたいですね」
そう言う烏の右目が、懐中電灯に照らされて赤く光った。
「お前、目赤いままだぞ」
黒狐が言うと、烏は自嘲気味に笑った。
「最近、すぐに治らなくなってきたんですよ、これ。嫌ですね、自分が『悪魔』に近づいてるみたいで」
それだけ言うと、烏は少しだけうつむき加減に歩き始めた。何だかその姿が寂しげに見えた。
さっきまでとは異なり、黒狐が先導する。しばらく歩くと、またもや分岐点が現れた。前のものと同じく、円形の広間に数本の道が繋がっている。さっきと違うのは、その全てに扉があることだけだ。
「あれだけ壊れてんな」
黒狐が右二つ隣の扉を照らした。扉の真ん中に破られたような穴が開いている。
「確定ですね」
烏が迷いなくその道に向かう。木製の扉はささくれだっている。烏が蹴って下のほうも崩すと、するりと通り抜けた。
一同が潜り抜けると、その先もまた一本道であった。しかし、ほんの少し明るい。奥の方から、頼りなく弱い光が射し込んでいた。
「もう少しね」
十五番隊は足早に地下道を進んだ。道はやがて水浸しではなくなり、乾いた土に変わっていく。そしてある地点から、壁に文字が現れた始めた。「食糧」「水」「銃」「銃弾」「コノサキアシモトチュウイ」……。まさに、ここが緊急避難場所であることを示している。
「あ……」
誰かが少し興奮したような声をあげた。前方に、金属製の扉が現れた。ランプで「オウキュウ」という文字が照らされている。
「着いた……」
俺はその光をめいっぱい受け取ろうとするように、目を見開いていた。あまり明るくない、白い光は何だか月の光のように冷たかった。
この先が、王宮。
「残念ですね」
烏がぼそりと言った。俺が振り返ると、烏は死んだ魚のような瞳を伏せていた。
「隊長は、王宮にいます。もう手遅れだ」
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