二話

 黒狐がそっと扉に手をかける。引くと、すんなりそれは開いた。その瞬間、人の胴体ががたりと倒れてきた。

「うぉあ……うぐっ」

 思わず叫びそうになった俺の口を、白鷺が塞いだ。ついでに「ダメだよ」とでも言うようなウインクを頂く。

「死んでますね」

 烏が死体を無造作に動かして退けた。俺以外はあまり驚いたそぶりは見せていない。

「隊長が通ったところの人間は全滅ってか」

 黒狐が扉の向こうを覗いた。その先には階段があるようで、その階段の下にも人が倒れている。

「やけに静かじゃないですか?」

 白鷺が囁いた。確かに、侵入者がいると気づいていればあり得ない静かさである。

「こいつらが一瞬で殺られて、連絡すらもできていないなら、そもそも侵入されたことに地上の奴らは気づけないからな。まあそれにしても変だが」

 黒狐が王宮内に乗り込む。階段は上に続いている。その階段と逆の壁に、もうひとつ扉があった。かなり幅広な扉だ。

「あの扉、どこに続いてんのかね。……あ」

 黒狐が扉のそばまで近づいて、はたと立ち止まった。

「どうかしました?」

 烏が王宮に入りながら言った。

「この先に、隊長がいる」

 俺は烏に続いて王宮に乗り込んだ。

「魔力感知ってやつですか」

「ああ。いるぞ、この先に」

 黒狐が眼鏡の奥の眼光を鋭くした。そのとき、烏が今までとはうって変わって自信無さげに言った。

「僕ら全員で乗り込んで大丈夫なんでしょうかね」

 一同は一斉に烏を振り返った。

「なんで?」

「隊長はイツキに『来て欲しい』って言ったんでしょ? たぶん、隊長の話すことはイツキだけに聞いて欲しいんじゃない?」

 烏は俺に言う。それこそ烏のような、真っ黒な目がじっと俺を見つめてきた。俺に、全ての判断を委ねるかのごとく。

「……ここから先、俺一人で行けってことか」

 俺は恐る恐る聞いてみると、烏は少し表情を曇らせながら頷いた。

「君が……その方がいいって思うなら」

 俺は扉を凝視した。本当は、一人では行きたくない。危険すぎる。けれども、隊長がおそらく望んでいるのは、二人きりの状況だ。

 そっと足を踏み出した。心は、まだ揺れ動いていた。それでも、この先に真実があるのなら──。

「俺……行ってくる」

 振り返ると、四人は不安そうな顔で頷いていた。

「俺たち、ちょっと上の階見て来るぜ」

「おう」

 俺は頷き返した。


 思ったより重い扉を開けると、さらにその先にもうひとつ扉があった。装飾が施されていて、偉い人でも中にいそうな雰囲気である。緊張感漂う扉の前には、もう何度見たかわからない同じような死体が転がっていた。

 俺はそれを遠慮がちに跨いで、装飾のある扉を押した。両開きのそれは、ひどく重たく、そして荘厳だった。

 薄暗い、大きな部屋だった。壁には大きな書棚が並び、銅像が立っている。考えなくても、王の間だということがわかった。漂う空気が、まるで違った。

 その真ん中に、彼はぼんやりと立っていた。

 「やあ」

 隊長は囁くように小さく、でも確かに響く声で言った。

 デジャヴを覚えた。

 斧を持っていて、血みどろで、ニヤリと笑って立っているその姿は、出会ったときと同じだ。違うのは、その目が、この世の全ての絶望を吸い込んだように、真っ暗なことだけ。

「ちゃんと来てくれるか心配だった……僕、焦ってちゃんと伝えられなかったからね……」

 隊長は片手に分厚い本を持っていた。

「でも君は来てくれた。すこし、いやだいぶ早かったけど」

 俺は隊長の元へにじり寄るように歩み寄った。そこにいるのが、隊長ではない、何か別の怪物であるような気がしていた。

「ここにたどり着いたなら」

 隊長は本に目を落とした。姿勢は少しも変えず、ページをめくる。

「きっともう、僕が王族であることには気づいているんだよね」

 俺は頷きもせずに隊長をみつめていた。その一挙一動を見逃すまいとするかのように。

「君に僕のことを話す前に、少し別の話をしなきゃいけないんだ」

 隊長はパタン、と本を閉じた。

「イツキくんは、龍王国神話って知ってる?」

 俺はごくりと喉を鳴らした。全ては、やはり、そこから始まっていたのだ。

 隊長は、俺の顔色でその答えを得たようだ。満足そうに頷くと、本をくるりと回転させて、表紙を表にして俺に差し出した。



 ──〈龍王の書〉。



 「これは、この国の王に代々受け継がれている書物。王国の歴史や、神話、そして歴代の王のことが書かれている。王が知るべきこと全てが詰まっている」

 革が剥がれ、糸がたわんだ古い書物は、ずっしりとした重みで二千年の歴史を物語っていた。おおよそ庶民の前には姿を現すことのない、くすんだえんじ色の表紙に手が震える。

「お前は……これ、読んだのか」

「少しだけね。気になっていたところだけ」

「それで、お前は何をするつもりなんだ」

「……それは後で話すよ。今は君にも、〈龍王の書〉を知ってもらわないといけない」

 隊長は俺の手から、〈龍王の書〉を取った。そして初めのページを開いた。

「この国を見守る神様がいる」

 隊長は、穏やかな口調で話し始めた。

「正確には、裏から操っている『神と呼ばれる存在』がいる。それは、龍神と呼ばれている」

 耳の奥でどくどくと脈音が聞こえる。

 「かつてこの地は荒れていた。人は争い合い、奪い合いを繰り返していた。神界からの使者であった龍神は、その人々をまとめ、この地に国を作るように言った。人は国を作ったが、種族は様々、考え方も暮らし方もまるで違った。彼らは誰を王にするかでまた争いを始めた。龍神は見かねて、彼らの中でも数少ない種族であり、賢く、そして強く、自分と同じ姿をした龍人を王に立てた。そのとき、龍神は王の鱗を美しい青に、王の妻、すなわち妃の鱗を優しい白に変え、この色こそが王族である印とした」

「……それが龍王国神話だろ」

 隊長は頷いた。

「これには続きがあるんだ」

「そう……なのか」

「うん。……このとき、北の地にすでにあった国には、『人間王』がいた。人間王はこの人間界の神のような存在だった。龍人の王の国は、北の国に敵わなかった。龍神は自分が作った南の国が北の国に引けをとらない国となるよう、自らがその国の神となることにした。しかし神の使者が直接人間に関わるのは、本来禁止された行為。神界で龍神の行いは咎められた。しかし国の神となってしまったからには、今さら人間を見放すわけにはいかなかった。龍神はそこで、国王に戒めを与えた。

 国民をすべて平等に扱い、虐げないこと。国民に無用な労苦を与えたり、無用な争いをさせないこと。国民の意見に常に耳を傾けること。

 もしもこの戒めが国王に忘れられ、守られなくなったとき、国に黒い龍が現れる。それが、〈龍神の使〉であり、龍神から国王への警告でもある。『これ以上暴虐な行為を続けていると、お前を殺す』という、ね」

 隊長はそこで一旦言葉を切った。

「〈龍神の使〉というのは、唯一神界から認められた、龍神が関わってもいい龍人のことで、その鱗の色は龍神の魔力により黒に染まる。さらに言うと、〈龍神の使〉と龍神は、契約を交わした魔物と魔術師のような関係になる。このあたりはあまり記述が無かったから詳しいことはわからない。間違ってはいけないのは、〈龍神の使〉は、まず始めはただの『警告』であること。使が現れると王は必ず殺されるわけじゃない。〈龍神の使〉が現れてから、王が行いを改めれば、何も起こらない。しかし、もし王が行動を改めず、暴虐な行為を続けたとき──国に、〈黒龍の日〉が訪れる。それは、そのときの王族の滅びの日だ」

 全てがどんどん繋がっていく感覚が、指先から俺の体を震わす。あまりにも恐ろしい戒めだ。

「龍王国に〈黒龍の日〉は三回までだ。それが、神界で認められた回数。三回目の〈黒龍の日〉は、すなわち龍王国自体の滅亡を意味する。そして」

 隊長は、指を二本立てた。

「〈黒龍の日〉は、もうすでに二回、訪れている」

 背筋が泡立った。俺は思わず隊長の目を見つめた。隊長はただニヒルな笑みを浮かべていた。

 国が滅びるかも、と言った黒狐の言葉が頭にこだました。

「ここまで言ったら、もうわかるよね。僕は最後の〈龍神の使〉。僕は、国を滅ぼすんだ」


 「びっくりした?」

 隊長が無邪気に尋ねてくる。思わず「びっくりしたってレベルのもんじゃねーよ」とキレ気味に返してしまった。隊長は相変わらず暗く笑っていた。

「これまでの〈龍神の使〉は、王の首を討ち取った後、自分が王になって龍王国を続けてきた」

 隊長は〈龍王の書〉のページをぱらぱらめくったりひらひらさせて弄びながら言った。

「じゃあ、お前は?」

 俺が訊くと、隊長は「さあ?」とからかうように言った。肝心なところでいつも誤魔化されている気がする。

「まあ、前置きは終わったし」

 隊長は〈龍王の書〉の最後の方のページを開いた。

「覚えてないこともたくさんあるから、これに頼りながら語るけど」

 俺は開かれたページを横目で覗いた。そこには、「三番目の〈使〉の章」と題名が記されていた。

「そろそろ僕の話をしよう。僕の、過去の話を」

 隊長は、笑みを消した。

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