十一話

 俺は病院の廊下を走っていた。看護婦に「走らないでください」と注意されたが、小さく会釈だけ返してスピードは緩めなかった。

 角を曲がった途端、目の前にぬっと人が現れて、つんのめりながら足を止めた。

「どうしたの? 危ないでしょう」

 涼子だった。

「ちょうどいいところに……隊長知らない?」

「病室にいるんじゃないの?」

「それが、昼ごろに出ていったきり、戻ってこなくて……」

「それはまずいわね」

 涼子が廊下を見渡して時計を見つけた。

「もう夕飯の時間ね……黒狐には言った?」

「いや、まだ」

「わかった。私は黒狐を探すわ」

 涼子はすぐにきびすを返して足早に去っていった。俺は急いでフロントに行き、受付係に話しかけた。

「黒い、ちっさい龍人を見ませんでした?」

「……え? いえ、見ていませんが」

「そうですか」

 がっかりしていると、後ろから肩を叩かれた。

「あんた、もしかしてフーマを探しているのかい」

 ミカワ先生が不機嫌そうな顔で立っていた。

「え、知ってるんすか、隊長の居場所」

「いや、あたしも探してんだ。あんたも知らないんだね。チッ、あのクソガキめ、ずっとスキを狙ってやがったよ」

 ミカワ先生は鼻を鳴らした。

「……どういうこと、すか」

「あんたらも失くしたものが無いか調べることだね! 包丁を盗られちまった」

「包丁を……?」

「ああ、厨房のな! それも三本」

 ミカワ先生は吐き捨てるように言った。脳裏にちらりと隊長の暗い目がよぎる。

「他に何か盗られたり、変なことなかったですか!?」

 俺は思わず先生の肩を掴んで、一言ひとことを強調するように訊いていた。

「え、ま、まあ、今のところはないよ。何かあったら、すぐに伝えるから、心配しなさんな」

 ミカワ先生は目を白黒させながら答えた。俺は急に掴んだことが申し訳なくなって苦笑いをし、すぐにその場を離れた。


 病室に十五番隊は集まっていた。

「なんで隊長を止めなかった!?」

 黒狐が俺に噛みつく。

「止めたよ! でもあいつ、ホントに急に行っちまったから……」

「バカ野郎、ケガ人が勝手に布団から出た時点で注意すべきだったんだよ!」

 黒狐は拳で机を叩いた。俺はむかっとしたが、何も言い返せなくて黙っていた。

「クソっ、お前じゃなくて俺がいたら……」

「黒狐さん、そこまでにしなよ」

 烏が冷めた目付きで言った。

「誰かを責めても、起こったことが変わる訳じゃない。一番長生きの黒狐さんが、一番わかっているでしょ」

 黒狐は「てめえは黙ってろ」と凄んだが、烏は動じない。

「今やるべきことは何でしょうか?」

 からかうような調子で続けると、烏は椅子に座った。黒狐はしばらく烏を睨んでいたが、ひとつ舌打ちをすると、息を吐いた。

「……まず、隊長がどこに行ったか目星をつけよう」

「エラいね、そうです、よくできましたね~」

 烏は幼い子を褒めるときの口調で黒狐を嗤った。黒狐はあからさまに怒りを拳に込めた。

「てめえ……あとでぶっ飛ばしてやるからな」

「どうぞご勝手に。白鷺が黙ってないと思いますけど」

 俺は思わず白鷺を見た。白鷺は自分の名前が突然出てきたことに困惑している。

「ふざけすぎよ、あなたたち。緊急事態だと言うのに」

 涼子が目を細めた。二人は最後に睨み合うと、会話をやめた。……俺はなんとなく、この二人の関係性を悟った。

「イツキ、隊長は、出ていく前に何か言ってた?」

 涼子は俺を振り返った。

「あ……なんか、呼ばれた、とか言ってた」

「誰に?」

「訊いたけど、答えてくれなかった」

 俺は肩をすくめてみせた。

「あ、そうだ。隊長、もう回復してた」

「……何だって?」

 黒狐が食いついた。眼鏡の奥から鋭い視線がこちらに向けられていた。

「ありえねえけど、俺はちゃんと見たんだ」

「隊長は化け物だからね。まあ、有り得るよ」

 烏が相づちを打った。

「他には?」

 涼子が促した。俺は、そこで十五番隊みんなが自分に注目していることに気づいて、何だかすごく変な気分になった。

「他には……」

 隊長が病室の扉を開けて言ったことがよみがえった。


『き、君に、言わなきゃいけないこと──僕の、むかし住んでいたところで、話すよ、そこに行くから』


 「昔住んでいたところ……」

 俺はぽつりと呟いた。全員が目を見合わせる。

「隊長の?」

「実家みたいなのです?」

「さあ……隊長がそこに行くとか言ってたから……」

 すると、黒狐が額に手を当てて、目を見開き、何か考え事を始めた。それに気づいていないのか、白鷺が場にそぐわないのんびりした調子で言った。

「隊長、自分の過去はほとんど喋りませんからね~。昔の家の場所なんて直接訊くしかないんじゃないですか? 今わかっているのは、今の状況だけですから」

 俺は曖昧に唸って返事をした。打つ手が無くなって、みんな黙ってしまいそうになったとき、烏が不意に言った。

「ねえ、なんで隊長は出ていったんだっけ」

「そりゃ、誰かに呼ばれたから……」

 俺が戸惑いながら答えると、烏はスッと目を細めた。

「その『誰か』は、隊長をわざわざ呼んでどうするの?」

 おれは訳がわからなくて「え?」と聞き返してしまった。しかし烏は続ける。

「隊長は失踪した……自分の住んでいたところとやらに行ってしまった。そこにその『誰か』もいるはず。何が目的だ? それに隊長は急いで出ていったんだから、よほどの急用、つまり今じゃないと出来ない何かをしに行った……」

 烏は独り言のようにぶつぶつと呟くと、黒狐を振り返った。

「ところで黒狐さん、思い当たることでもあるんです?」

 黒狐がふっと顔を上げて、驚いたような表情を浮かべた。

「なんで? 俺は何もわからねぇよ」

「さっきから何か考え事してるじゃないですか」

 烏が鋭く指摘すると、黒狐は苦笑いを浮かべた。

「……まあ、何も無いわけじゃないが」

「何かあるなら早く言わないと。時間は無いわ」

 涼子がムッとしたような声で言った。

「いや、隊長の居場所がわかるわけじゃないんだ。ただ、思うところがあってな」

「濁すのは無しよ、今は」

 涼子がふんと鼻を鳴らした。黒狐は渋るような素振りを見せてから、一度ため息をついて言った。

「国が、滅びるかもしれない」


 「──へ?」

 期待していたことの斜め上を行く発言に、俺は思わず変な声を出してしまった。さすがの涼子も目が点になっている。

「それは大変ですね~」

 白鷺が相変わらずのんびりと言う。

「黒狐さん、それ、ちゃんと関係あるんでしょうね」

 烏が白鷺を軽く小突いてから、厳しく咎めた。

「あるよ。隊長の居場所とか、そういう直接的なモンはわかんねえが、隊長がなんで出ていったのか、それはわかるかもしれん」

 黒狐は慎重に言葉を選びながら言った。

「それなら早く言ってください。小さな情報でも、あるのと無いのとでは大違いです」

「はいはい、すいませんね。あんまり確信の無いこと言うのもどうかと思ったんだよ」

「認めたくないですけど、黒狐さんの勘は結構アテになるんです」

 烏はイラついて語気を強めた。黒狐はすっかり気圧されている。

「わかったよ、ちゃんと説明するよ。……隊長は『呼ばれて』出ていった。その呼んだ人物はな、龍神だと思うんだ」

「龍神って?」

 涼子が眉を潜めた。

「イツキならわかるだろう。この国の神だ」

 黒狐はさらっと言ったが、俺は突拍子もない展開にぎくしゃくしたうなずきしか返せなかった。俺と黒狐以外の三人は顔に疑問を浮かべている。

「今は色々割愛するが、とにかく隊長はそいつに呼ばれて、そいつのところに行ってしまった。目的は恐らく……国を滅ぼすこと、だろう」

 どこかで聞いた話だ……と思った瞬間、頭のなかで全てのピースが繋がった。脳天を殴られたような、目眩のするような衝撃で足の力が抜ける。

 隊長の部屋で読んだ、あの古い書物。

 神が国を滅ぼす。

 滅びを招く龍神の使者、〈龍神の使〉。

「イツキ?」

 いつの間にか座り込んでいた。慌てて立ち上がると、涼子が訝しげにこちらを見ていた。

「あ……最近、ちゃんと寝れてなかったから、なんかちょっと……」

「無理は禁物よ。辛いなら座ってても大丈夫だから」

 俺は首を振った。涼子はなおも心配そうにしていた。

「あの、あんまり話が飲み込めてないんですけど」

 白鷺がおずおずと口を開いた。

「隊長が呼ばれて出ていったのは確かですが、なんでイツキさんに行く場所を教えたんですか?」

 一同が再び俺の方を見つめた。

「え? あ、その、俺、隊長に過去のことを話してくれって頼んでさ……約束したんだ。落ち着いたら、二人でどっか行こうぜって。えっと、つまり、隊長が自分のことをその昔住んでいたところで話すから、来てほしいってことで……」

 しどろもどろになりながら説明した。自分でもひどい説明だなと思ったが、皆は内容を拾ってくれたようだ。

「わざわざそこで、なあ。でもやっぱわかんねぇべ。それならお前も連れていけって話だし」

 黒狐が首をかしげた。

「つまりそれは、僕らが……イツキが、隊長の居場所を突き止めるまでの時間に、隊長は何かしようとしているんじゃないの」

「その何かが、国を滅ぼすってことです?」

「そうかもしれないけど、僕はそう思わない」

 烏が言い切る。黒狐が前のめりになった。

「俺の言うことはアテにしてるんじゃなかったのかよ」

「ええ、まあ。あまりにも話が飛んでてまだ信じられないんです。その龍神っていうのは、黒狐さんの仲間みたいな?」

「あいつと仲間とか死んでも嫌だが……同じ『神』という意味では、まあ、仲間かな……」

「国の神ってどういうことです?」

「この国を操っている。間接的にな。龍王国が出来てからずっと、この国が破滅しないよう、間違った方向に行かないよう、色んな手を使って矯正してきたんだ。それがあいつの任務さ。ただし俺たち『神』は、直接的に人間に手を下したりは出来ない。だから言葉で人間を操るしかない……例外もあるが」

「ではなぜ滅ぼそうとするんです? 手をかけてきたのに」

「それもシステムの内だ。人間は厄介な生き物でな、どれだけ諭そうが言うことを聞かないときだってある。間違った方向へ向かっているのに、それがどうしても直せないとき、人間を一人……まあこれも色んな条件に当てはまった人間のみを、〈龍神の使〉にして、一度国を滅ぼすんだ」

「りゅ、龍神の使!?」

 俺は思わず身を乗り出した。

「なんだ? お前まさか、こんなことまで知ってるのか?」

 黒狐が目をちょっと見開いた。

「ま、まあ……なんとなく」

「そうか、龍王国神話を知ってたくらいだしな」

「そう、なんか聞いたことあって」

 適当に誤魔化すと、俺はベッドに座った。

「さっきからそこのお二人だけわかったような顔してて、僕ら置いてきぼりなんですが、もっと詳しく説明してください」

「わかってるよ。その〈龍神の使〉ってのはな、いわゆる使い魔みたいなものなんだ。俺とロスみたいな。んで、隊長がその〈龍神の使〉だ。でもそんなにいいものじゃない。ほとんど推測だが、龍神は隊長を完全にコントロールできるわけじゃない。いつでも呼べて、いつでも操り人形みたいに使えるなら、既に王国は滅んでるはずだ。現に俺とイツキは数ヶ月前に龍神に出会っている。そのときあいつは隊長に近づこうとしてたが、俺が邪魔したからイラついてた。まあそこでようやく俺は隊長が〈龍神の使〉だってことを確信したわけなんだが、同時に龍神は隊長と物理的に近い距離にいないと、隊長を操るどころか、気配──魔力かな、この場合──それすら感じられないこともわかった。ついでに、俺の魔力で隊長の魔力もかき消されてることもな。そしてここからは完全に証拠もない推測だが……龍神が隊長をコントロールできるとき、物理的に近い距離にいることに加えて、もう一つ条件が要る。隊長の感情だ。龍神が例え『国を滅ぼせ』と命じても、隊長がそうしたくないと思ったなら、隊長は言うことを聞かない。逆に言うなら、隊長に国を滅ぼして欲しければ、隊長が国を滅ぼしたくなるような状況を作り出して、隊長がそうするように仕向けなければ始まらないんだ」

 黒狐は淡々といい放ったが、その場の空気は凍りつく。冷たい針が心をつついているような気がした。

「……もし隊長が」

 烏が低いトーンで言った。

「国を滅ぼしたいと思っているとしたら、どんな感情を持っていると思いますか」

 烏はすでにその答えを知っているような顔つきだった。黒狐が顎に手を当てた。俺はすぐにその答えを思い付いた。

「ウルフが死んだ……いや、殺されたから……憎しみとか……」

 烏は俺を見てうなずいた。俺はごくりと息を飲んだ。

「でも……自分で言っておいて何だけど、ぶつける相手を間違えてないか?」

「そう。それが問題なんだ。だけど僕にはそれしか思い付かない。変わったことがあるとすれば、そこなんだ。でもなぜか、隊長の矛先は国に向いている」

「私、思ったんだけど、総合的に見れば、隊長は呼ばれたのではなく自分の意思で行ってしまったことになるわよね」

「そうとも言えるな」

「国を滅ぼすために自分のかつての家に行くの? 変な話よね」

 全員が目を見合わせた。

「……そもそも、国を滅ぼすってどういうことだ?」

「国の歴史を鑑みたら、国を滅ぼすってのは、龍王家の血筋を皆殺しに……あっ」

 黒狐が何かに気づいて口をつぐんだ。

「……それって」

 俺は渇いてかすれた声を振り絞った。

「隊長はさ……王家……王宮に住んでいたってことにならないか」

「そうだ……! なんで俺は一番大事なことを忘れてたんだ、畜生」

 黒狐は額を抑えて悔しがった。

「〈龍神の使〉は、王家の血筋から選ばれるんだよ!」

 俺は凍りついた。

「で、でも、ほら、隊長って、親が」

 うまく言葉がでなくて詰まっていると、烏がフォローを入れた。

「隊長が王族はあり得ない。そもそも青か白の鱗を持つ王族の特徴に合致しない。それに、隊長の母親は〈マザー〉なんでしょ。さすがに〈マザー〉が王族なわけがない。龍人じゃないんだから」

 俺は烏の言葉にうなずき、感謝のまなざしを送った。が、烏は気づいていなかった。

「そう……俺もそれですっかり忘れていたんだ。だが、もし隊長の父親が、王族の血筋なら、可能性はある。たとえ隊長が青鱗や白鱗じゃなくとも」

「その〈龍神の使〉っていうのは、少しでも王族の血を引いていたらいいんですか?」

「俺はそこまで詳しくないからわからんが、ある程度近親に王族がいるのなら、たぶん」

 黒狐は息を吐いた。

「……ともかく、隊長は王宮に向かった可能性が高い、ってことでいいんですね」

 烏が念を押すと、黒狐はうなずいた。

「俺にはそうとしか思えない」

「そうと決まれば、イツキ、どうする?」

 烏が俺の目をみすえた。鼓動がまだ激しく脈打っている。

「俺は……とにかく行かないと。隊長を追いかけて……隊長の言葉を聞かないと」

 俺が言うと、烏は皮肉に笑った。

「僕は国が滅んでもらうと困るから、ついていくよ」

「じゃあ、僕は烏くんについていきます」

 白鷺がふわりと笑った。

「私はおバカ二人が心配だから行くわ」

 涼子が少し意地悪な笑みを作った。

「二人って、隊長と……?」

 俺が首を傾げていると、すかさず烏が「君以外に誰がいるの?」と嫌味を言ってきた。なんだかんだで良いヤツなのかと思ったがそうでもないようだ。

「で、黒狐さん」

 烏がニヤリと口の端を歪めた。

「俺も行くに決まってんだろ。何にやけてんだ」

「そう答えてくれると期待してました。それと、黒狐さんって意外とマヌ……失礼、やっぱりなんでもないです」

「間抜けって言ったな、今」

「言ってないんで、さっさと準備して車出してください。隊長、もう王宮に着いちゃいますよ」

 烏は嗤いながら病室を出ていった。黒狐が「てめぇマジで覚えてろよ」と怒りながらそれに続く。

 俺は息を大きく吸った。日が落ちて、暗くなってきた窓の外に目をやると、はるか遠くに王宮が見えた。今にも闇に沈んでいきそうに暗く、ぼんやりと霞んでいる。

 夜が、始まろうとしていた。


 

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