十話

 まるで現実味のない儀式が、淡々と行われていた。質素な棺桶があっけなく地面に埋められ、その上に木の墓標が立てられる。周囲には同じものが無数にあって、少し遠ざかればウルフのものも紛れてわからなくなってしまいそうだった。

 涙は出なかった。ただ、虚しさだけがあった。あっけに取られている間に、何もかもが通りすぎていった。

 何だか参列者が多いな、と思って見渡すと、ちょうど病院に来ていたアヤメはもちろん、他の隊の者がたくさん来ていた。皆一様に呆けたような顔をしていた。

 棺桶の蓋が閉められたとき、それまでずっと俺と同じように放心していた隊長がわっと泣き出した。あまりにも悲痛で、いたたまれなかった。墓標の前にうずくまり、嗚咽を漏らす彼の姿は、孤独だった。枯れることのない涙が乾いた地面に染みを作った。

 セミの鳴き声が、遠く空に吸われていった。


 皮肉にも、このとき、俺が加入してから初めて、十五番隊全員が集まった。今まで話にしか聞いていなかった〈烏〉が、白鷺と共に帰って来たのである。

「イツキ、こいつは一応ウチの隊の烏だ」

 葬式の前に、黒狐が手短に紹介すると、烏が三白眼の冷徹な視線を俺に寄越した。まさかそんな冷たくされるとは思っていなかったので、少し驚いた。

「呑気に紹介しなくても、自明でしょ」

 烏はぼそりと言った。

「お前な……少しは愛想良くしろ」

「そんな余裕は無い」

 烏は即答して、ぷいと背を向けて行ってしまった。その後ろを白鷺がついていく。

「ほんと、ムカつくヤツだな……。いつもああなんだ、あんまり気にするな」

「うん」

 俺はぼんやりとうなずいた。俺のほうも気にする余裕など無かった。むしろいつものように悪態をつく黒狐の余裕が不思議なほどだった。

 葬式のあと、悲しみで足元も怪しい隊長を支えながら、俺たちは〈秋桜〉の本部に行った。本部から墓地は近い。──百年の歴史の中で犠牲になった会員たちを、いつでも弔えるように、近場に作ったそうだ。

 到着早々、隊長は十五番隊以外の人と会いたくないと言い、涼子と共にどこかへ行ってしまった。何気に涼子は十五番隊でウルフの次に隊長と付き合いが長い。そのせいか、具体的な内容は知らないが、涼子の前では色々と自分の内面を吐露しているらしい。俺じゃダメなのかな、と思うと何だか悲しい気持ちになるのが自分でも意外だった。


 朝焼けの光がまぶたの中でちらついた。一瞬のまどろみから覚めて、慌てて周りを見渡した。黒狐がぼんやりと掲示物を眺めている。

 「隊長……は?」

 黒狐が振り返った。

「一人にさせた。お前も、寝てていいんだぞ」

「いや……目が覚めた」

「そうかい」

 黒狐はちらりと腕時計を見た。

「やっと朝か……こんなに長い夜は初めてだ」

 黒狐は一つ伸びをすると、「ちょっと隊長の様子を見てくる」と言った。

「俺も……いや、ここにいようかな」

 迷っていると、待機室の扉が激しくノックされた。黒狐が開けると、アヤメがいた。

「今すぐ広間に来て」

「え?」

「フーマが暴れてる」

「……は?」

 俺は驚いて声をあげたが、黒狐はまるでわかっていたかのような顔で「そうか」と言った。


 広間にいる人たちが、遠巻きに隊長を見ていた。隊長は何事かを怒鳴りながら近くのテーブルを蹴り飛ばした。すでに広間のテーブルや観葉植物が倒れてめちゃくちゃになっている。怪獣が好き勝手に歩いた後みたいだ。

「あーあ、派手にやらかしてんな」

 黒狐がちょっと焦ったような表情を浮かべてぼやいた。

「な、隊長、なんで」

 俺はうまく状況が飲み込めず、衝撃的な光景にただ息を飲んでいた。そんな俺とは裏腹に、アヤメも黒狐も妙に落ち着き払っていた。

「そっか、イツキは知らないよね」

 アヤメが目を合わせて苦笑いをした。

「〈秋桜〉に来てすぐの頃のフーマって、あんな感じでよく暴れてたよ」

「……え」

「最近は鳴りを潜めてたから、忘れてたけど。急に感情的になって、怒り出してああやって暴走してたのよ。めちゃくちゃ短気だから、ふとした一言でキレたりしてた」

「そんなヤツなのか、隊長って」

「ううん、不安定なときだけだと思う」

 アヤメはふいに目を伏せた。

「きっと、ああやって何かに気持ちをぶつけなきゃ、フーマはやってられないんだと思う。他にどうしようもないのよ」

 言い知れぬ悲しみを感じて、俺は何も言わなかった。黒狐が隊長に何か言って、どうにかなだめようとしていた。しかし隊長は、黒狐の言葉など聞いてすらいない。壇上に向かって何か叫んでいた。

「なあ、隊長、会長に何か言ってない? 裏切りがどうのって」

「え、そんなこと言ってるの? どういうこと?」

 アヤメがおそるおそる、といった感じで隊長に近づいた。隊長は明らかに壇上の会長めがけて椅子を蹴る。威力は無いので床上をちょっと滑って椅子は止まった。

「……でしかないんだ、お前も僕を裏切ったんだ、死ねよ!! なんでウルフさんが死んで、お前が生きてて、僕はこんなに辛い思いを……」

「あんまりなこと言うなよ、なあ、隊長? ちょっと休もう、な?」

 黒狐が隊長の肩にそっと手を置いてなだめた。隊長は顔を歪めて、袖でごしごしと目元を拭った。そこで俺は、隊長が怒りながらも泣いていることに気付いた。

「なんで? なんでなの? 何を言ったってみんな僕なんかより会長のほうを信じてて、僕は子ども扱いされるんでしょ? 僕の言うことはうわごとだって思われるんでしょ? 僕どうしたらいいの? ねえ……」

 語尾がだんだん小さくなって、最後には嗚咽が混じった。隊長はその場にぺたりと座ると、幼い子どものように泣きじゃくった。

 俺たちは無言で隊長のそばにしゃがんだ。隊長が何の話をしているのかわからないのがもどかしかった。

「とりあえず、部屋に行くか」

 黒狐がずり落ちた眼鏡を指で上げて言った。俺はうなずくと、慟哭する隊長に手を貸して立ち上がらせた。


 部屋に戻って、最初に隊長が発した言葉は、「ごめんなさい」だった。

「また……僕はあんなこと……良くないってわかってるのに……」

 隊長は下唇を噛んでうつむいた。

「しょうがねぇべ。お前は昔からそうなんだ、今さら誰も気にしてねぇよ」

 黒狐が禁煙パイポを咥えながらさらりと言った。俺は何か言おうかと悩んだが、結局言葉が思い付かず黙ったままぼんやりと隊長の横顔を見つめていた。監禁されていたときよりもやつれている気がする。

「なあ」

 黒狐は肘をついて、隊長の顔を覗きこんだ。

「お前、会長に何か言われたのか?」

 隊長は顔をあげ、暗い目でじっと黒狐の顔を見つめた。しばらくして黒狐が眉間にしわを寄せて「なんだよ」と言った。

「すごく嫌なことがあったの」

 隊長はそれだけ言うと、机の上に突っ伏して目を閉じた。俺は黒狐と目を合わせて首をかしげたが、黒狐は何か思い当たることがあるのか、顎に手を当てて考え事をしていた。


 次の日、十五番隊は病院に舞い戻り、隊長は再入院した。

 病院でも隊長は度々暴走した。その度にミカワ先生に「うるさいよ」と呆れられ、俺と黒狐と涼子でなんとかなだめすかしていた。隊長は必ず泣いて自分の行いを猛省するが、どうしても感情を抑えきれないようだった。ウルフの存在がいかに彼にとって大事であったかが、痛いほど感じられた。それと同時に、自分の無力さが悲しくてたまらなかった。

 そうして鬱々とした一週間が過ぎた。


「よ」

 俺が病室に入ると、隊長が寝返りをした。

「あ、起こした?」

「いや……起きてたから大丈夫」

 隊長は寝癖だらけになった髪に手をかけながら言った。相変わらず暗い顔をしているが、今日はいっそう顔色が悪い気がして少し不安がよぎった。

 俺がベッドの前に立つと、隊長は布団を押し退けて立ち上がった。

「寝てていいぞ」

「ううん」

 隊長は静かに首を振ると、俺の前に立った。

「見て」

 俺の目の前で、隊長は包帯のテーピングを剥がした。

「勝手に取っていいのか?」

「どうせ、今日付け替えるから」

 隊長はするすると包帯を取っていく。包帯の下から覗いたのは、すっかり綺麗に生え揃った鱗だった。

「お前……もう治ったのか……?」

 隊長はこくりとうなずいた。

「もっと時間がかかるはずだった。だけどもう治っちゃった」

 隊長はそれが残念なことであるかのように

肩を落とした。そして緩慢な動作で尻尾の包帯も取った。

「嫌になるよ」

 隊長は包帯を丸めてぽいっとベッドの上に放り投げた。俺は言葉の真意を測りかねて黙りこくっていた。隊長は手を広げて何度か裏返したりひらひら振ってみせた。

「イツキくん」

 隊長が疲れたような眠そうな目で見つめてきた。俺が見つめ返していると、ふいに隊長は目をそらし、少しうつむいてぼそりと呟くように言った。

「僕、やっぱりダメだ」

 どきりとして、俺はしばらく何も言えずにいた。ダメ、というのはどういうことなんだろうか──。その答えを、知ってはいけないような気がした。

「でも君がいると、何か安心する」

 隊長はほんの少しだけ笑った。俺は照れ臭くなって目をそらした。

 隊長が、突然、はっと顔をあげた。

「どうした?」

「……呼ばれてる」

「え?」

 隊長はふらりと歩きだした。瞳がどこか虚ろだった。

「呼ばれてるの。行かなきゃ」

「待てよ、誰に呼ばれてるんだ。どこに行くんだ」

 俺は慌てて隊長の服をつまんだ。隊長は驚くような速さで振り返った。視線がふらついている。

「ま、またあとで」

「急にどうしたんだよ!」

「お、お願い、は、は、離して!」

 隊長はどもりながら後ずさり、扉に手をかけた。あまりの焦燥ぶりに俺は思わず手を離した。隊長はがらっと病室の扉を開けると、神妙な顔つきになって言った。

「き、君に、言わなきゃいけないこと──僕の、むかし住んでいたところで、話すよ、そこに行くから」

 俺がぽかんとしていると、隊長は大慌てで病室を出ていった。その尋常ではない様子が、心に引っ掛かった。

 俺は不安になって、急いで隊長の後を追った。しかし、隊長の姿はすでに見えなくなっていた。水面に一滴の水を落としたような、かすかな胸騒ぎを覚えた。

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