二話

 北東区の中心地にあるショッピング街。たくさんのおしゃれなレストランやカフェが並び、古くからある百貨店は今日も賑わっている。国内最大級の劇場には、最近公開された映画を見に来た人々で長蛇の列が出来ていた。

 俺たちはその映画を観に行ってしまったウルフと涼子を待ちながら、レストランのテラス席でのんびりお喋りをしている。はずだった。

 「お前、俺の顔ずっと睨んでただろうが! オラ、何かあんだろ。言えや」

 チャラチャラしたチェーンのアクセサリーを付けた長身の金髪男が、隊長の胸ぐらを掴んでいた。他にも似たような格好の男が四人。一人だけ女がいて、そいつも仲間らしかった。

「え、なんかすごくピカピカしてたから気になって」

 隊長が男のアクセサリーを指して言った。俺は頭を抱えた。隊長は喧嘩というものを知らないらしい。ちらりと右を見ると、不安そうな顔のアヤメと目が合った。

「フーマ引っ張って逃げる……?」

 アヤメはヒソヒソと囁いた。俺が悩んでいると、今度は左から白鷺にツンツンとつつかれた。

「どうします?」

 白鷺はつばの広いキャップと薄い茶色のレンズの眼鏡をかけている。サングラス付眼鏡らしい。なんだか安っぽいチャラ男みたいな格好だが、日に弱い彼には二つとも必須らしい。

「どうするも何も……。俺らが手出ししたら余計ややこしくなりそうだし」

「僕が仲裁しましょうか?」

「無理だって! やめとけよ」

 俺たちは五歩ほど離れたところで隊長の様子を見ていた。街行く人々はもっと引き目に俺たちをじろじろ見ている。みんな知らんぷりだった。

「は? 訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇぞ。俺ら睨みつけてたんだろが。何もねぇなら不快に思わせた慰謝料頂こうかなー? あ?」

「そっちこそワケわかんないこと言ってるじゃん。なんで何もしてないのにお金渡さなきゃいけないの?」

 隊長はむっとした様子で言い返した。男の額に青筋が浮かぶ。

「ごちゃごちゃうるせぇんだよトカゲ野郎!」

 俺は吹き出しそうになって、必死に笑いをこらえた。アヤメもひきつった笑いを浮かべている。トカゲと間違えられるなんて。

「トカゲじゃないもん龍だもん」

 隊長はなおも言い返す。とうとう男は切れてしまった。拳を振りかぶり、隊長を殴り飛ばす。隊長の体はいとも簡単に吹っ飛んでしまった。

「隊長!」

 笑っている場合ではない。大きな声を出してしまい、慌てて口を押さえたが、五人組の一人が俺たちに気付いて近寄ってきた。

「お前らアイツの仲間? 代わりに俺たちに金払ってくんね? そしたらアイツ解放してやっからさ~」

 ハナからこの五人組は金が欲しかっただけなんだ、と気付いたときにはもう遅い。もう一人がやって来て、有無を言わせぬ態度で詰め寄ってくる。俺はどうしようもなくなって、ポケットの中を探った。隊長を連れてこの場を平和的に脱け出すには──既に平和でも何でもないが──早く金を渡してしまった方がいい。アヤメがいるのに恥ずかしいことだが仕方がない。

 ところがそう上手くはいかない。

「お金なんか払いませんよ」

 白鷺が平然とした口調で言った。俺は信じられない気持ちで白鷺を睨み付けた。彼はいつものようなふわふわした微笑みを浮かべた。

「仲間が傷つけられてるのに黙って従ったりはしませんね」

 白鷺は眼鏡を外した。血のような赤い瞳が不良たちを見下ろす。目だけが笑っていない。普段は見とれるほど綺麗なのに、今は威圧的で恐怖さえ覚えた。

「何だその目」

「気色わりぃ……さっさとどっか行けよ」

 二人はとたんに弱気になり、後ずさった。

「貴方たちこそ、早く逃げた方がいいですよ。ほら、後を見てみてください」

 白鷺の言葉に反応して、二人は後を振り返った。思わず俺も隊長の方へ目をやった。

「ウルフ!」

 アヤメが上ずった声をあげる。狼がぐったりした隊長をつまみ上げ、不良たちを睨み付けていた。

「よくやってくれたな」

 静かな怒りをたたえた低い声が響く。俺は何だか感動した。救世主だ。

「ひっ……すみません!」

 さっきまで隊長を掴んでいた男が怯えて逃げ出した。後の四人もそれについて逃げていく。

「私たちがいない間に面倒を起こすんじゃないわよ」

 涼子が優しく言った。隊長が目をあげた。舌を出している。いたって元気だ。ぐったりしていたのは演技だったらしい。だが殴られたせいで顔が汚れている。

「お前……何で避けなかったんだ。土ついてるぞ」

 俺は隊長たちの元へ歩み寄って言った。

「いやぁ、避けたりしたら余計怒りそうだったし、変に目立ちたくもなかったから」

 隊長はごしごしと頬を拭った。特に腫れたりはしていなかったのでほっとする。

「絶妙なタイミングだね、ウルフさん」

「……何がだ。始めから絡まれるようなことをするな」

 狼はため息をついた。それが何だか震えている気がした。

「まあまあ、二人戻ってきたし、皆でお買い物しようよ」

 アヤメがなだめると、隊長が素早く立ち上がった。

「そうだそうだー! 僕も早くお買い物するの!」

「誰のせいでこんなことになってるのかわかってるんだか……」

 俺も狼と同じようにため息をついた。

 

 「見てー! これすごくおしゃれじゃない? 似合う?」

 アヤメはペンダントを胸に当てる。俺はうんそうだなと頷いて、そのまま変なところに目を遣りそうになったので慌ててそらす。店員が奥で待ち構えているのが見えて、余計に恥ずかしくなった。

 隊長や白鷺はここにいない。隊長は文房具屋に入ってしまい、狼がそれに付き添って行った。白鷺は服が欲しいと言い出して、涼子を連れてメンズショップを探しに行った。俺はまたアヤメと二人っきりになってしまった。まるで誰かが仕組んだかのようだ。

「イツキも何か買う?」

「え? あ、いや、別に何も特に……」

 緊張で言葉がいちいち引っ掛かってすんなり出てこない。大げさに手を左右に振って、それからズボンで手汗を拭いた。

 結局アヤメは何も買わなかった。納得のいく物がなかったらしい。店員がそれを聞いて顔を曇らせていた。店の外に出ると、この月にしては珍しく晴れた空に、太陽がギラギラ輝いていた。

 俺たちは少し歩いて、影になって涼しい路地に入った。別の通りに繋がっているため、この路地もそこそこ人通りがある。今も仲の良さそうな夫婦が目の前を通り過ぎていった。

「ここ、座れるよ」

 アヤメはベンチを指差した。どうやらショッピング街を歩き疲れた人たちのために、わざわざ設置されているものらしい。俺たちはそこに並んで腰を下ろした。

 しばらく二人とも口を利かなかった。路地に吹く潤った風が心地よい。

「私、五年前の事件を色々調べてたの」

 アヤメが先に口を開いた。何の話かはすぐにわかった。

「フーマが何者なのか、探ろうって思ったときに、彼が〈秋桜〉に来る前に世間で何があったか調べれば、大体想像つくんじゃないかな、って気がついて」

「そうか。〈秋桜〉に来るならそれなりの理由があるもんな。俺みたいに」

「イツキは家を失ってたんだよね? フーマも、ホームレスみたいな感じだったのかな」

「前になんか言ってたな……。一時的にホームレスとか何とか……。アヤメはいつ、〈秋桜〉に来たんだ?」

「私は始めからよ。孤児なの。〈桜〉の施設にいたんだって。その施設に襲撃したら、五人くらい子どもが取り残されていたから〈秋桜〉で引き取ったの。私はその中の一人よ」

 全然覚えてないけどね、とアヤメは笑った。その笑顔が向日葵みたいに眩しい。

「話戻るね。フーマが〈秋桜〉に入ったのはだいたい五年前――3208年の夏ごろ。今、十五番隊が住んでる家、もともと〈秋桜〉のものなんだけど勝手にフーマとウルフが使ってたの。そこを会長が見つけて、〈秋桜〉に入らないかって誘ったらしい」

「そうだったんだ……。なんであんな辺鄙へんぴなとこ見つけたんだろう」

「それが分かればなんだけどね。で、そのときより前で、一年以内に起きた事件なんだけど、これがもうね、大事件ばっかり」

「ああ、そうか。その前の3207年は『災年わざわいどし』って呼ばれてるもんな。……『龍王家殺し』とか」

「それもそうね。私が注目してるのは、『元帥暗殺事件』。軍のトップの龍人と、その妻の純人が殺された事件よ。犯人は全くわからないの。この二人の間には二人の子どもがいて、事件以来どちらも行方不明。怪しいでしょ?」

 俺は頷いた。その子どものうち一人が、もしかしたら隊長かもしれない。

「『龍王家殺し』は被害者の人数が多いわ。一人もしくは二人で起こしたにしては。それに、王宮にはきっと護衛もたくさんいるはずだからほぼ不可能よ。あれは〈桜〉の仕業じゃないか、って誰か言ってたわ。規模的に言うとね」

「なるほど……。〈桜〉が……」

 嫌悪感が湧いてくる。〈桜〉が俺のじいちゃんを殺したのなら、まさにかたきってわけだ。

「すげぇな、そんな情報どっから掘り出すんだ」

「ふふん、情報班だから当たり前よ」

「さすが、餅は餅屋ってな」

 俺は笑った。そんな事件なら、指名手配でもされているだろう。手配書の顔を見てみたい。何となくぼんやりと周りの壁を見回したとき、妙な気配を感じた。

「……あれは」

 思わず飛びあがり、後ずさろうとしてベンチにひっかかりバランスを崩しそうになる。

 しまった。

 俺が派手な動きをしたせいで、道の向こうにいるそいつはこちらに気付いてしまった。そいつはしばらくこちらをじっと見つめたあと、近付いてきた。

「よう……〈狐〉だっけ。暑いなぁ」

 〈死神〉は気だるそうな声で言った。ラムネ瓶を右手に掴んでいる。その手には黒の革手袋。そう言えば隊長と戦ってたときも、両手にそれをつけていた。暑いのなら脱げば良いのに。

「〈死神〉……何でここに」

「俺が買い物してちゃだめか?」

「いや……」

 死神がレジ袋を抱えている姿を想像するとなかなかシュールだが、笑っている余裕はない。

「この子が〈死神〉?」

 アヤメが頭の上にハテナを浮かべている。状況が全くわかっていないらしい。

「そうだよ。俺がかの有名な暗殺者、〈死神〉様だぜ」

 死神が精気の無い目で笑った。全く敵意は見せない。アヤメは少し疑うようにうなった。

「想像してたより……なんか小さい」

 俺は凍りついた。アヤメの他意の無い一言は、死神の笑みを消した。

「……あ?」

 とっさに守るように、腕をアヤメの前に出した。死神の無表情に殺意を見た。ほんの一瞬が一時間に思えた。死神はすぐに表情を緩めて、ラムネを一口含む。警戒しながらも俺はほっとして腰を下ろした。

「いくつなの? 歳」

 アヤメはずけずけと訊いた。さっきの鋭い殺意にも気付いていないらしい。今度は特に怒気を発さず答えた。

「十八だよ。こう見えても、な」

「ええ!?」

 俺とアヤメの声が被る。死神はニヤニヤと笑った。

「仲良しだなぁ。カップル? 付き合ってんの?」

「ちげぇよ! いや、違うくない……いや違う!」

 焦っていると死神の嫌な笑みは大きくなる。

「付き合ってる訳じゃないよー」

 アヤメが普通に否定した。わかってはいるけれどもなんだか悲しくなる。ひっそり悲哀を感じていると、死神は「なるほどなー」と同情するような視線を寄越してきた。むかつく。

「お二人でデートなら、〈龍〉はいないのか。なんか残念だな。こんなところで会いたくもないけど」

「……いや、たぶんその辺でうろうろしてるけど」

「ん? そうなのか?」

 死神は少し周りを見渡した。そしてちゃっかり俺の隣に座った。こうして並ぶと圧倒的に彼の方が小柄なことがわかる。

「隊長と何でそんな仲良いの」

 何気なさを装って尋ねてみた。どうやらアヤメも俺の意図を察したらしく、何やら身動きしていた。

「仲良い風に見えるか? まぁ何でもいいけど。ライバルみたいなもんだ。お互いいろいろ腐れ縁があってな」

「じゃあ隊長のことって割と知ってたり?」

「そりゃあな。〈秋桜〉の会員でもたぶん知らないこともな。面白いから上には秘密にしてやってるけど」

 死神は妖しく嗤う。どうも意図が読めない。ただ楽しんでいるだけなのかもしれないが……。

 それはそうと、これはまたとない機会だ。隊長のことを聞けるかもしれない、と思ったときだった。

「フーマって何か重大な事件に関わってるの?」

 アヤメが唐突に訊いた。いやいや流石にそんな単刀直入にじゃ死神も躊躇するだろう……と頭の中で突っ込む。実際、死神は「は?」とでも言いたげな顔をしていた。

「なぜ? 何かあいつが言ってたのか?」

「うん。匂わせる感じで」

 アヤメはさらっと流した。死神は眉間にしわを寄せている。そりゃそうだ。

「んー……? あいつが本当に言ってたなら……いやそんなはずは」

 死神は独り言をぶつぶつ呟いて、俺たちに向き直った。

「そういうのは、直接本人から聞けよ」

 投げやりではなく真面目な顔をして言った。俺はひどく落胆する。隣でアヤメが盛大にため息をついていた。

「何がっかりしてんだよ。事実だけを知ったって、何の役にも立たねぇだろ」

「役に立つさ。仮にも上司だぜ」

 言いながらちっとも上司だと思っていなくて少し笑ってしまう。

「知っていて付き合うのと、知らないまま付き合うのじゃ大違いだ。知らないのに信用できない……俺の過去は知ってるくせに」

「それはそうだけどな、俺が知ってるのはあくまで『事実』だ。『真実』は俺だってよく知らねぇよ」

「なんだよ、シンジツって」

 死神はぐっと目を細めた。

「事実には感情や理由は含まれてないんだよ。お前達はあいつの過去や考えを知って、何がしたいんだ?」

「それは……」

 俺は答えられなかった。隊長のことを理解したい。なぜここにいるのか。なぜ戦うのか。なぜ俺を十五番隊に引き入れたのか。それと同時に、好奇心でもあった。アヤメなんかほとんどただの好奇心なんじゃないか? 

 死神は少し黙る。何か思考を巡らしているようだ。そしてまた口を開いた。

「わからないなら、なおさらだ。何も考えずに、曖昧な覚悟で勝手に他人の心の奥に触れたら、きっと後悔する羽目になる。二度と今みたいな平和で陽気な関係は取り戻せなくなるかもしれないんだ。〈龍〉は短気で根に持つから余計にだぞ……。真実を知ることこそに、意味がある」

 死神は慎重に言って、再び口を閉じた。重い言葉は俺たちの上にのしかかり、沈黙をもたらした。

「……あいつはきっと訊いても突っぱねるだろう。待つしかない。下手すりゃ死ぬまで黙ってるだろうけどな」

 そして死神は鼻を鳴らした。

「仲間なら、もっと互いを理解しとけよ。なんで俺がこんなこと言わなきゃいけねぇんだ」

 嘲笑についムカッとしていると、不意にあの特徴的な甲高い声がうっすら聞こえた。笑っている。

「うお、やべ、〈龍〉じゃねえか」

 死神は慌てたように立ち上がると、声とは反対の方へ早歩きしていく。

「おい、待てよ」

「見つかったらめんどくさいんだよ。じゃあな。あ、俺がいたってこと言うなよ」

 死神は少しいたずらっぽく笑って、それから〈死神〉らしい恐ろしい顔をして言った。

「次小さいとか言ったら、誰かわからなくなるくらい鎌で引き裂いてやるからな」

 彼はそそくさと去っていった。その姿が見えなくなってすぐに、俺たちを見つける声がした。

「あいつ、身長低いの意外と気にしてるんだな……」

 俺はこっそり呟いた。そこは不思議と隊長に似ている。アヤメがぷっと噴き出していた。

「こんなところで何してる」

 副隊長が首を傾げている。すでに隊長組と白鷺組は合流していた。

「凉んでたの。歩き疲れたから」

 アヤメはまたさらっと言う。俺はあえて黙っていた。アヤメのように嘘は上手くない。

「あれ……?」

 隊長が静かに声をあげた。俺は気づいたが、他のみんなはすでに背を向けて帰ろうとしており、その声は聞こえていないようだった。隊長の目は路地の向こう側をじっと見つめている。

「〈死神〉くん……?」

 俺はどきりとして、みんなと同じくその言葉に気がついていないふりをした。隊長はそれ以上は何も言わず、少し遅れてついてきた。

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