二章 執念
一話
今日は朝からじめじめした、嫌な天気だ。キノコが生えそうだ。さすが水の月と言うだけある。
前回の作戦から二ヶ月近く経つ。もう遠い昔のことのようだ。あれから任務はない。相変わらず隊長は寝てばかりいるし、ウルフや涼子は自室にこもりきり。毎日がマンネリ化してきていて、少し飽きていた。さらに今日は、なぜか外に出ることを禁止されていた。
「なんで外に出たらだめなんだよ」
「いいからいいから! どうしても外に行く必要なんてないでしょ?」
それはそうだが、理由も教えてくれないのにそこまで言われると、逆のことをしたくなってしまうのが人間である。
隊長が背を見せているうちに、俺はそっとリビングの扉を開ける。玄関までたどり着いて、音を立てないように靴を履く。隊長は気づいていないようだ。成功。
そして玄関の取っ手に手をかけたとき、ドアがひとりでにバタン! と開いた。
「うお!?」
「わ」
驚いたような声の主が、目の前に立っていた。俺は失礼なほどにその人物をじろじろ見てしまった。
白い髪にこれまた白い肌。透き通るような赤い目。すらりと細くて背が高い。思わず呟いた。
「きれい……」
するとその人はちょっと目を見開き、それから微笑んだ。目元が優しい。
「僕に会ってすぐきれい、なんて言う人、初めてですよ」
そして彼は中に入ってきた。
「初めまして。僕は
よろしくです、と白鷺は丁寧に頭を下げた。俺は慌てて自己紹介をした。すると隊長がどたどたやって来る。
「おかえりー……ってイツキくん!? 外に出たらだめって言ったじゃない! もう! イツキくんにサプライズするつもりだったのに!」
「僕が帰ることは言ってなかったんですか?」
白鷺はまた目を見開く。
「だってぇ。イツキくんにまだ十五番隊のみんなは紹介……」
「あ、荷物置いてきます」
白鷺が隊長の話を遮って、階段を上っていく。隊長がそれを見送ってからため息をついた。
「無視されてんじゃん」
「まぁ……白鷺くんは天然というか……不思議ちゃんだから……」
「お前がバカなことしてるから呆れてるんじゃないのか?」
「鷺くんがそんなこと思ってるわけがないよ! 優しいもん!」
隊長が頬を膨らませた。しばらくして白鷺が降りてきた。
「鷺くんお腹すいてない? お茶する?」
「暖かいお茶お願いします」
白鷺は丁寧に言った。十五番隊内で丁寧語は初めて聞いた。
「おー白鷺」
リビングに入ると黒狐がソファから振り返って言った。
「お前今回いつまで休みなん」
「えっと、一ヶ月間休みもらいましたー」
「一ヶ月も!?」
黒狐と隊長が同時に言った。そして「被んな!」とか「真似しないで!」などと言い合いを始める。白鷺は構わず続けた。
「さすがに月一しか休み取らなかったら怒られますよね……。なんか上司に、『お前は休みを取らなさすぎるから休んでくれ』って言われました」
「月一!?」
再び黒狐と隊長がハモる。今度は睨みあうだけだった。
「俺らと逆だ……」
「体力だけは有り余ってるんですよ」
「あ、何の仕事なんだ?」
「孤児院兼託児所です。僕は普段は普通の人間としてはたらいてるんです」
俺はへーと返した。そんなことがあり得るのか。裏社会の組織に所属しつつ、表社会で働く。危険なのでは……。
「わりと僕みたいな人いますよ。大学で勉強してる人とか、会社員とか。そうそう、烏くん知ってますか?」
「烏……?」
「十五番隊のもう一人の隊員ですよ。なかなかここには帰って来ないんですけど。烏くんは警察官なんです」
「……警察官!? 思いっきり真逆じゃないか!?」
「そうですねー。昔から言ってたので許可も下りたんでしょうね。僕らもともと無理矢理こっちの界隈に入らされたようなものですし、そういうところは自由にさせてもらってます」
白鷺はダイニングの椅子に腰を下ろした。隊長がお茶を三つ持ってきた。テーブルに置いた位置をみると、どうやら黒狐のぶんは無いらしい。くだらない嫌がらせだ。
いつも俺はいわゆるお誕生日席に座っている。この家に来たとき、そこが食事のときの定位置に決められたのだ。左に隊長、右に白鷺がいる。いつもは右には誰もいなかったので、なんだか変な感じだ。
「イツキさん……でいいんですか」
「別に『さん』はなくていいけど……」
いつも呼びすてか『くん』づけだから、かなり違和感がある。というか俺も始めに『さん』づけはやめてくれと言われたような。
「白鷺くんは丁寧語やめないよねー。別にいいけどなぁ」
「隊長のほうが年上ですからね、たしか」
「そうなのか? 逆に見える」
「あ! 僕が小さいとか言う気でしょ!?」
隊長は身を乗り出してくる。
「ちげーよ。そうやってすぐ怒ったり子どもっぽいからだよ」
隊長は口を尖らせて座り直した。白鷺が微かに笑う。
「そうだ、話変わるけど、三日後アヤメちゃんと遊ぶことになったよ」
「……へ!?」
俺は持っていたお茶を落としそうになった。隊長はニヤリと笑った。
「アヤメさんのこと知ってるんですね。もう任務行ったんですか?」
白鷺が天然の助け船を出してくれた。若干ホッとする。
「まぁ、二ヶ月くらい前に一回だけ」
「そろそろまた呼ばれそうだけど、鷺くんも来るよね?」
「……あ、はい。だいぶ鈍ってる気がしますけど」
「鷺くんならいつでも強いでしょー。今から手あわせしようよ」
隊長は早速イスから立ち上がった。白鷺もそれについていく。
「うぉ、おい、待てよ」
「訓練場行くのか? 観戦してぇ」
黒狐がそれに気づいて俺に訊いてきた。
「雨降ってるからガレージ通っていこう」
ガレージ横の訓練場は昨日も使った。剣術の腕が鈍ったら困るからだ。ここにはわりといろんな道具が揃っていて便利だ。
「お前ら本物使うの?」
黒狐が少し驚いたように言った。
「え? 白鷺くんとならいつもそうだけど」
「そうやっけ……?」
「それ、大丈夫なのか? 訓練なのに怪我したらどうすんだよ」
「まあまあ、僕らなら大丈夫だから」
隊長は斧を担いだ。白鷺はいつの間にかナイフが刺さったベルトを付けている。ナイフ使いらしい。
訓練所に入ると、俺と黒狐は壁にもたれて立った。隊長と白鷺は向かい合って、お互いに間合いをはかっていた。
「隊長の斧が直撃したらだいぶ致命的なんじゃ?」
俺はこっそり黒狐に言った。
「んー……。どうなんだろうな。まあ見てたらわかる」
隊長が動いた。容赦なく斧を振り回す。白鷺はすべてスレスレのところでかわした。そして自身もナイフで反撃する。隊長はそれをはたき落とした。ナイフはくるくる回りながら俺たちのいるところまで滑ってきた。
白鷺が隊長から離れた。すでに新しいナイフを握っている。隊長が近づこうとして、足を踏み出した。が、また後ろに身を引いた。隊長はそれから何歩かステップを踏んでさがる。隊長がいたところに、三本のナイフが音も立てずに刺さった。
床に刺さったナイフに気をとられていると、白鷺がいつの間にか隊長の左手斜め前に移動していた。そこからまたナイフを投げる。隊長がナイフを避けて移動した先にもナイフが飛んできた。ひとつが服を切り裂いた。
白鷺がなおも隊長へ攻撃する。斧を恐れずに腕を突き出し、一瞬の隙を的確に狙う。隊長がやけを起こしたように、力任せに斧を振り回した。当然白鷺に当たるはずもなかったが、白鷺の攻撃を防ぐには十分だった。
「速……」
攻撃を次々と繰り出し、隊長を追い詰めようとする白鷺。一連の動作に無駄はなく、それこそ白い鳥がひらひら踊り羽ばたいているようで、見入ってしまう。
「隊長は十五番隊で一番強いのは当然だが、二番手をあげるとしたら白鷺だな」
黒狐はボソッと呟いた。まさにそうだ。白鷺は隊長の速さにも力(パワー)にも追いつけている。〈死神〉との戦闘を思い出した。案外、隊長ってそんなに強くないのかもしれない。などと考えていたときだった。
隊長の表情が翳った。思わずあっと声が出た。凶悪な斧の刃が、白鷺の手首を切り裂いた。赤い目が丸くなって、次にぎゅっと細くなる。白い右手が左手首をさっと押さえた。
「何……やってんだよ!」
俺は白鷺のもとに駆け寄った。カランと音を立ててナイフが落ちる。隊長がその音に驚いたように、はっと我に返った。
「白鷺くん……?」
隊長が呟いた。白鷺が顔をあげ、若干呆けたような表情をする。そして俺に気づくと、少し微笑んで言った。
「大丈夫ですよ、この程度なら心配しなくても」
「この程度って……だって血が」
そう言ってから俺は妙なことに気がついた。動脈のあたりを切られたなら、それこそもっと出血しているはずだ。隊長の斧にも血液が付いている。それほどの傷なのに誰も焦らない。
「そんなに出てないですよ。ほら」
白鷺は右手を外した。俺は息を飲んだ。怪我など無かったかのように綺麗だった。傷なんかどこにもない。少し血で汚れてはいるが。
「そんなはずは……」
見上げると白鷺が悲しい微笑を浮かべていた。
「僕は……僕はいわゆる『悪魔の子』なんです。悪魔と人間のハーフ」
白鷺はそれだけ言って俺から目をそらした。隊長が布で斧を磨くように拭いてから、肩に担ぎ直した。
「わざとじゃないよ。ごめんね」
隊長が目をふせて謝った。白鷺が「全然いいですよ。僕のことを知ってもらう機会にもなりましたし」と返した。微妙な空気が流れる。俺がそわそわしていると、黒狐が口を開いた。
「やっぱ思い出したわ。お前ら訓練のとき、本物は本物だけどカバー付けて戦ってただろ。武器の樹脂カバー」
隊長と白鷺が「あ」と目を合わせた。
「何それ」
「武器の刃とかに糊みたいな感じで塗りつけるもんだよ。そしたらすぐに固まって、刃をカバーして切れないようにするんだ。〈秋桜〉が開発した特殊な樹脂だ」
へーと俺は感心した。隊長が「そういえばあったなぁ、そんなの」と頭を掻いた。
「まぁ、もうキリがいいし、終わりにしちゃおう?」
白鷺がうなずいて、散らばったナイフを拾い集める。俺もその手伝いをした。やはり白鷺の手首が気になった。悪魔と人間のハーフって、どんなことができるんだろうか。今は人間の姿だけど、変身とかできたりするんだろうか。……白髪赤目なのは、悪魔の子だからなのか。
「僕のことやっぱり気になってますよね」
突然俺の心を見透かしたかのように話しかけられて、どきりとした。
「悪魔の話は知ってますか?」
「ま、まあ。黒狐が前に教えてくれたから。魔物界から人間界に来た魔物で、えっと、人食いとか……」
俺はそう言いながら白鷺の顔を見ているのが怖くなった。彼は笑っていなかった。
「そう。僕の父親が悪魔なんですよ。一部だけその能力を受け継ぎました。怪我はすぐに治るし、滅多に疲れることもない。ただ、僕は生まれつき色素が薄い。人間と悪魔はもともと違う生き物だから、うまく遺伝子が受け継がれなかったんでしょうね」
白鷺は淡々と言うと、また黙ってしまった。一番訊きたいけれど、訊くに訊けないことについては何も言わなかった。白鷺を傷つけたかもしれない、と少し後悔した。
「……すげ……ぇ」
食卓には山盛りの肉野菜。それが高速で無くなっていく。目の前の二人――隊長と白鷺が争うように食べていた。
「イツキくん? 箸止まってるよ」
隊長が不思議そうに言った。
「あ、おう」
俺は再び箸を動かしたが、二人の食べっぷりからは目が離せなかった。全くそんな雰囲気も感じさせない白鷺が、隊長よりも大食いだった。
「今月の食費、バカ高くなりそうだな」
黒狐が呟いた。珍しく夕食の席に座っている。
「どうりで俺だけ別皿なわけだ……。白鷺って案外大食いなんだ」
「どうもですー」
「白鷺くん、それ褒め言葉じゃないと思うよ」
白鷺がきょとんとする。隊長が立ち上がって五杯目の白ご飯を入れに行った。
「逆にそれだけで後でお腹空かないほうが不思議ですね」
本当に不思議がっているようだった。天然というかズレているというか、本当にここって変なやつばかりだなと思った。
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