九話

 「三番隊、十二番隊、十五番隊、ご苦労様だった」

 会長の太い声が大広間に響いた。〈桜〉の大学での任務から帰ってきて、みんなはまずここに集まった。

「三番隊って何班って呼ばれてんの?」

 隣にいる隊長に訊いたつもりだが、後ろから黒狐が答えた。

「戦闘専門班。戦闘しか請け負わない」

 三番隊と思われるグループは、一番前に固まって会長の話を聞いている。三番隊は大柄な人ばかりでいかにも強そうな感じだ。それが二十人くらいいる。

「なぁ、三番隊ってなんであんな人数多いの?」

「俺らが少ないんだよ。他は十人以上いるのが普通だ。俺らは最小の部隊だぜ」

「ふーん……ん? 俺ら人数もっと多いほうが良くね? 六人って少なすぎやしないか? なんで配属されないんだ?」

「六人じゃねえよ。それとな、ちっとは会長の話も聴いてやれよ」

 黒狐は笑う。

「そのへんは俺もわからん。隊長に訊け」

 改めて隣の隊長の方を向くと、隊長はあの雑草の種を眺めていた。それこそ会長の話を聴いていない。

「なぁ、隊長。なんで十五番隊って隊員少ないの? 追加されたりしないの?」

「ん?」

 隊長は種から目を離さず答えた。

「最初はよく新しくいれようか? とか訊かれたし、今もたまに言われるけど、全部断ってる。なんか気に入らない人とか来たら嫌だし」

「なんだよ、お前のわがままかよ」

「いいじゃん別にー。黒狐さんみたいな人がいっぱいきたら困るでしょ」

「何だと!?」

 黒狐が突っ込んできた。

「確かに、それは嫌だな」

 俺が乗ると黒狐に「しばくぞ」と頭をはたかれた。

 ついでに「六人じゃない」とはどういうことか訊こうとしたら、会長がこちらへ近付いて来るのに気付いた。

「うわっ、やべ、話聴いてねぇのバレたのかな」

「会長はそんなので怒らないよ」

 俺は結構焦ったが、隊長の言った通り会長は怒るために来たのではなかった。

「十五番隊もお疲れ様だった。特にイツキ、初めての任務だったがよくやった」

 予想と逆に誉められてどぎまぎしていると、隊長がグイッと前に出た。

「ねー、ちょっと、本部に応援欲しいって言ったら断られたんだけど! ひどくない!?」

 会長が困ったように頭を掻いた。

「それはさっき秘書から聞いたが……結果的にお前でなんとかなったんだし、いいだろ?」

「良くない! もう! きらい!」

「まあそう怒るな。頑張った褒美にあとでスイーツおごってやるから」

 途端に隊長の目が輝いた。

「ほんと!? やった! 会長大好き!!」

 なんて現金なやつだ。会長も苦笑している。ぴょんぴょん飛び跳ねている隊長を黒狐がはたいて落ち着かせた。

「十五番隊は今日はここの宿舎で休むといい。三部屋用意してある。食事は食堂でな。何かあったら室内に電話があるから、それで連絡してくれ」

 それから、と会長は隊長に向き直って言った。

「お前はもっと人の話を聴け。ずっと上の空だったことわかってるからな。明日の後朝ぴったりから各隊長による報告会だ。忘れたり遅れたりしたら、スイーツをおごる話はナシだ」

 隊長は首をすくめ、小さな声で「はい」と答えた。


 真っ暗闇。何も見えないから視線を足元に下げる。血だ。血が点々と続いて、闇の奥に続いている。思わずその先を見ようと顔をあげた。闇を透かしてぼんやりと影が見える。目を凝らすと、人型のものが地面をごろごろ転がっているのがわかる。死体。そう思った瞬間、吐気がするほどの死臭に包まれた。鼻を押さえようとして、自分の手にぬるぬるした赤い液体が付着しているのに気づいた。息を飲む。

 なぜだ?

 俺が?

 この人数を?

 そうだ。


 俺はガバッと起き上がった。布団がめくれる。肩でぜいぜいと息をしていた。時計を見ると、もう遅い朝であった。ひとつ深呼吸して、気を落ち着かせ、辺りを見回した。もちろんだが、死臭を放つ死体などなかった。自分の手も赤く染まってはいない。

 着替えを済ませ、なんとなく食堂へとフラフラ歩いた。その間、さっきまで見ていた夢のことを考えていた。人殺しには慣れたはずだった。自分が人間を殺める夢ならもう何度も見てきた。なのに、気味が悪い。思い出す度に虫酸が走る。なぜだ――そう問う自分の声がぐるぐる頭をまわる。

 妙に廊下は静かだったが、食堂はものすごく騒がしかった。席はもうほとんど埋まっている。手持ちぶさたなので部屋に戻ろうかと考えていると、肩をぽんと叩かれた。

「遅いなあ、俺がいなかったら朝食が昼食に変わってたぜ」

 黒狐がいつものニヤニヤ笑いを顔に貼り付けて立っていた。

「うるせー。昨日遅かったんだから仕方無いだろ」

「とは言え隊長より遅いのはよっぽどだぞ。俺が席取っといてるんだから感謝しな」

 黒狐は親指でテーブルを指し示した。ロスがどんと陣取り、サンドイッチを食べている。俺はありがたく席を使わせていただくことにした。

 食べていいと言われたので、サンドイッチに手を伸ばすと、黒狐が「何か顔色が優れないな?」と首をかしげた。

「変に浮かない顔してるぜ」

「そうか?」

 何もないフリをしたけれど、黒狐は頬杖をついて目線を外してくれない。虚勢を張っていることがばれているようだ。

「何悩んでるんだ? 何か気になることでも?」

 俺は隣のロスの頭を撫でた。

「俺は何してんだろうなって」

「……は?」

「ここに……隊長に強引に連れてこられたけど、〈秋桜〉に加入したことは後悔してないんだ。だけど、何かが違う。何人も人を殺して、俺はどれだけ罪を重ねてきたんだろうって、怖くなった……。これからも、死ぬまで罪を重ねつづけるのは、なんか嫌だなあって……」

 弱音だとわかっている。自らの手を血に染めて生きようとしたのは、俺自身なのに。正義や秩序を守ることなんてくだらない、なんて吐き捨てたのに。

 ただの夢に揺るがされている。

 笑われるだろうなと思った。軟弱者だなって、バカにされると思った。自分でもそうだと思った。

「辞めたければ、そうすればいいんじゃねえの。別に誰も止めやしねえよ。お前の人生だし、お前が納得することをするべきだからな」

 俺は目をあげて黒狐を見つめた。まさか真面目な答えが返ってくるとは思っていなかった。今の俺を否定しない答えが。

「あとな」

 黒狐は頬杖をやめて、椅子にもたれた。

「本当に人殺しが罪だと思うか?」

 俺は「え……?」と聞き返した。黒狐は頭の後で手を組み、少し笑った。

「なんで人を殺してはいけないと思う?」

「それは……人道的にダメだから?」

 黒狐は頷いた。

「まあそうなるよな。じゃあ人道に反した者を死刑にした裁判官に、罪はあると思う?」

「……いや、無い。それは正義だ。人殺しって悪を罰したんだから」

「では、正義のために人を殺してもいいと思うんだ?」

 俺は押し黙った。それは違う。だけど何が違うかわからない。

「人殺しを罪だと決めたのは、神じゃない。他でもない人間だ。それも、人を殺さなくても生きていけるような環境にいるやつだ。別に殺人を善とするわけじゃないぞ。だがそれがひとつ何かをするための手段になることもある。まあそんな手段、使わずに生きたいもんだけどな」

黒狐はそこで息をついた。俺はまだ納得がいかなくて、黒狐を見つめたまま黙っていた。

「人間は命を奪うという行為を悪だと思っている。だけどな、基本的にこの世界の生き物は、命を奪って生きているんだ。それは人間かて同じだ。人間だけ特別に何も奪わず生きてるんじゃない。人間はいろいろ考えすぎるから、特別に複雑になってるだけだ。だからな」

 黒狐は再び微笑んだ。

「お前がそんなことで悩んでも仕方無いんだ。お前は生きるために他の人間の命を奪わざるを得なかった。それだけだ」

 何だか余計に複雑な気分になった。黒狐の話は新鮮で、だからこそ俺の気分はかき乱れる。

 とりあえず、まだ戦いを続けようか?

「あ、そうだ、俺ちょっと用事があるんだ。呼び出されててな」

 黒狐は立ち上がった。なぜかニヤニヤしている。

「そのコーヒー、お前にやるわ。一口もつけてないぜ」

 そして俺の肩をぽん、と叩くと、「まあ、頑張れよ」と言ってロスと共に行ってしまった。取り残された俺は首をかしげた。今日の黒狐は親切で変だ。しかし俺は黒狐が急ぎ去った理由をすぐに知ることになる。

 突然、視界が真っ暗になって、何にも見えなくなった。一瞬だけ夢の光景を思い出してヒヤッとする。

「だーれだ!」

 後ろから女の子の声がした。そこで目を手で隠されていることに気がつく。隊長かと思ったが、それにしては手が暖かい。

「ウフフフ……」

 押し殺したような笑い声。それで誰だかわかって、一気に顔が熱くなった。

「あ、アヤメ……?」

「せいかーい!」

 パッと視界が明るくなって、蛍光灯の白い光が飛び込んできた。目の前にアヤメが座る。

「おはよう! じゃなくておそようかな? 一人でご飯食べてるの?」

「い、いや……まあ」

 そこで黒狐がにやついていた訳がわかる。アイツ、今どっかから俺の様子を見て嗤ってんじゃないか? 後であのムカつく面に張り手を喰らわせておこう。

「実は私もさっき起きたばっかりで……昨日寝るの遅くなっちゃって」

 アヤメは苦笑いをする。俺はそうなんだとか味気ない返事をして、コーヒーを飲んだ。苦い。

「昨日どうだった? 怪我とかしなかった? 緊張した?」

 アヤメがキラキラした目で尋ねてきた。何から答えたらいいかわからなくなって、俺は視線を左上にそらせた。

「えーっと……まあ緊張はしたなあ……。手の甲切ったし。ほら」

 俺はかさぶたになった傷を見せたアヤメは「痛そう」と言って顔をしかめた。

「あと、強い敵がいっぱいいて驚いた。今まで大勢を相手にして戦ったことなんて無かったから、ちょっと……ほんのちょっとだけ、怖かったな」

「へえ! なんか意外」

 アヤメは目をおかしそうに輝かせた。

「意外?」

「うん。なんか怖いものなんてないって言いそうなイメージだったから」

 今度は俺が苦笑いをする。そんな印象を持たれるのは、たぶんちょっと目つきが悪いからだ。本当は怖いものなんてたくさんあるのに。

「しっかし、あのフーマがねぇ……」

 アヤメは独り言のようにぼそりと言った。

「隊長?」

「うん。フーマはなんというか、疑ぐり深いはずなんだよね」

「……どういうこと?」

 ここで会話に隊長が出てくる意味がわからない。わからないけど今は隊長のことなんかどうでもいいじゃないか、と思う。

「あのね、フーマは人懐っこいけど、知らない人を自分の隊に入れるような真似はしないの。絶対に。人を信用しないから。同じ〈秋桜〉の人間であっても」

 アヤメは机の上で手を組んだ。俺はその手に目を落とした。

「でも、俺は隊員になったぞ。しかもほとんど強制的に。〈秋桜〉の会員でも無かった俺が」

「そうなの。そこが謎なの」

 アヤメはそこで黙ってしまった。沈黙は気まずくて嫌いだ。

「でもさ、別に隊長が何を思っていようがさ、別に良くないか? 悪いことではないと思うし」

 あの隊長が理解できない行動をするなんて、何も不思議じゃない。その時々の気分で動く適当なやつなのだから。

「それはそうね」

 アヤメがぼんやりしたまま頷く。あまり納得していないことは誰が見てもわかる。

「ねえ、イツキ」

 アヤメはまっすぐに視線を合わせて、俺の名を呼んだ。反射でそらしたくなったけど、まるで磁石のように引っ付いて離れなかった。

「フーマは、何者だと思う?」

 茶色の瞳が、真剣に答えを求めていた。何者……と言われても、なんと答えればいいかわからない。まずもって何が訊きたいのかも。

「イツキも、フーマのこと、知りたいと思わない?」

 アヤメはさらに訊いてくる。身を乗り出して。俺はその言葉に含みを感じて、黙ったままでいた。

「あの子、たまに怖い目をするの。虚ろで、真っ暗な目。その奥に暗い感情を持ってる。私、見たの。他のみんなは、フーマがそんな怖い人間なわけがないとか、そんな目をする人は〈秋桜〉や〈桜〉にならたくさんいるって言うの。みんな気づいてないわ」

 俺は思わず同じように身を乗り出していた。あの目。

「俺も知ってる。〈死神〉と戦ってるとき、人が変わったみたいに暗い目をしていたんだ」

 アヤメは少し目を見開いた。そしてその目を俺の言葉を噛み締めるようにぎゅっとつむった。そしてパッと開くと、組んでいた手をほどいた。

「私、本人に訊いたことがあるの。どうしてそんな目をするのって。きっと過去に何か嫌なことがあったんだと思って訊いた。普通は触れないでおくのがここの常識だけど、訊かずにはいられなかった。でも彼は答えてくれなかった。僕の昔話なんかどうでもいいだろって、荒っぽく私を追い払ったわ」

 最後は声が小さくて聞きづらかった。そのときの落胆を再現するように、アヤメは伏し目になる。

「彼が何を隠してるのか知りたいの。これは個人的な興味でしかないけど……。何か、恐ろしいものがある気がして……。だから、イツキ。彼の正体を探るのを、手伝ってほしい」

 アヤメの手が、俺の手に重ねられた。心臓がバクバクと鳴る。少し潤んだ目が見つめている。後ろめたい気持ちを心の隅に追いやって、息を吸った。

「わかった。俺もやる」

 一瞬の間の後、アヤメがふーと大きく息を吐き出した。そして安堵したように笑う。

「良かったー! こんなこと話して、断られたら、次から気まずくなっちゃうところだった!」

 はりつめていた空気が一気にほどけた。俺も頬をゆるめた。そのとき、食堂に隊長とウルフが入ってくるのが見えた。

「あっ」

 二人同時に気づいて、目を見合わせた。そしてまた笑った。

「イツキくーん! もう帰るよー。準備してー」

 隊長が大声で呼んでいる。何人かが俺を振り返り、恥ずかしくなった。

「じゃあ、また今度」

 俺は何気ないふうを装って立ち上がった。本当はまだ話していたかったけれど。

 手を振って、歩み出した。何度も振り返りたくなったけど、ぐっと我慢していた。そんなことしてたら、バレてしまう――

「イツキ!」

 はっとして、素早く振り向いた。自分でも驚くような早さで少し後悔する。

「呼び止めてごめん。あ、あのさ……」

 アヤメがサッと携帯を取り出した。

「電話番号交換しよう」

 俺は目を見開いた。すごく嬉しいけど……。

「ごめん……俺携帯電話持ってないんだ」

「いいの。私の番号、あげる。これ、直接私の携帯にかかるから。十四番隊じゃなくて」

 アヤメは番号をメモした紙を差し出した。俺は少し戸惑いながら、それを受け取った。

「じゃあね、また今度!」

 アヤメはもう一度笑って手を振り、去っていった。俺は紙とアヤメの後姿を交互に見た。

「イツキくんー」

 いつのまにか隊長が後ろに来ていた。隊長は俺の手元を覗き込んでニヤニヤ笑う。

「良かったね。早速デートに誘っちゃおうよ」

 俺はそれを睨み付け、側を素通りして食堂を出た。

「ちょっとー!? 無視しないでよもう!」

 俺は紙をもう一度見た。まるで夢のようだ。もしかしたらこの紙、あと一時間もすれば消えて無くなってるんじゃ……。いや、そんなバカなことはない。これは、紛れもなく現実なんだ。俺は紙を丁寧に折って、ポケットに入れた。

 高鳴る鼓動はもう抑えきれない。

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