八話

 「イツキくん、あの子は僕でも手こずる強敵だ。これまで何度も戦ったけれど、いつも引き分けで終わってる。お互い傷つき過ぎない程度にやめてるんだ」

 隊長は〈死神〉から目を離さずにささやいた。〈死神〉は大鎌を担いで不気味な雰囲気を醸し出している。少年っぽい顔に合わない。

「だから君は絶対に手を出さないで。僕がどんなに苦しそうな状況に陥っても」

 悔しいけど俺は頷いた。隊長が強いのはもうわかっている。だからこそ「隊長」なのだろう。その隊長が一度も勝ったことのない相手の前に、しゃしゃり出るほど馬鹿ではない。

「もし本当にダメそうなら……いや今すぐでいい、これを渡しておくから本部に連絡して」

 隊長がポーチから無線機を取り出した。それを受け取ろうとしたとき、ヒュンと銀に光るものが飛んできて慌てて避ける。見ると〈死神〉の鎌が扉を切り裂いていた。

「喋っている暇はないぞ。いつどっちの仲間が来るかわからないからな」

 〈死神〉の目が細くなる。隊長が俺に目くばせした。

「残念だが無線機は使わせない」

「イツキくん、捕まえて!」

 〈死神〉と隊長が同時に言った。無線機は宙を舞って俺に向かってくる。〈死神〉が背伸びするように鎌を振った。鎌の先が無線機に当たった。無線機から破片が飛び散った。

「〈死神〉くん、〈狐〉には興味がないんでしょ!」

 隊長が斧を振り回した。俺は落ちた無線機を拾って調べた。欠けたのはカバーのみで、中の大事な線や精密機械は大丈夫そうだ。

「こちら十五番隊!」

 震える声で俺は叫んだ。しかしマイクが入っていないことに気づく。もう一度やり直すがそもそも本部からの声が聴こえない。ふと電波強度計を見るとゼロを示していた。

「なんで繋がってねぇんだ!」

 投げ捨てそうになって踏みとどまる。二人がすでに戦っていた。金属どうしがうちならす固い音が響く。鎌と斧が互いに持ち主を守るように、相手を先に傷つけようと動く。〈死神〉は隊長の馬鹿力にも怯まない。それどころか隊長を押しているようにも見えた。斧と鎌が組み合ってぎりぎりと音を立てる。隊長がうまく鎌の先を押して〈死神〉の態勢を崩そうとした。しかし鎌が離れたのみで〈死神〉自身はほとんど動かない。

「なんだ? 今日はやけに押しが弱いじゃないか」

 〈死神〉は嘲笑を浮かべた。隊長は顔をしかめて「いつも通りだけど」と答えた。大鎌が空を切って隊長を切り裂こうとした。隊長は机に片手をついて乗り越え、それをかわしつつ斧を振るう。斧はあと一歩のところで〈死神〉に届かなかった。〈死神〉が机に飛び乗って上から鎌を振り落とした。隊長は退いた。しかし避けきれず頬に赤い筋が出来た。

「今回はお前が先だな」

 〈死神〉は目をギラギラと光らせ、猟奇的に笑った。俺は見ていることしかできなくて歯を食いしばる。さっきの戦いでは隊長は全く傷を負っていなかった。それはそれで気味が悪いが、その隊長に傷を付けられるこの〈死神〉はさらに恐ろしい。

「いつもなら余裕でかわしてたんじゃないか?」

「さあ」

 隊長が言うと同時に〈死神〉の鎌がまたかする。隊長は目を細めた。

「どうも今日は集中できていないようだな」

 〈死神〉は横柄な口調でそう言った。そして一旦手を止めて隊長の目を覗きこんだ。

「もしお前が俺と本気で戦わないって言うならさ、無理にでもお前を本気にさせるぞ」

 〈死神〉は鎌で俺を指した。

「あいつを殺してやる」

 びくっとして俺は刀に手をかけた。手が震えていて情けない。

「やめて」

 隊長が静かに言った。だが〈死神〉は不気味な笑みを顔に張り付けたまま。

「〈狐〉だっけ? 見たことないから新入りなんだろう? 残念だが初任務で死ぬことになるがな……」

「やめろって言ってるだろ」

 低い暗い声にぞわっとうなじの毛が逆立った。一瞬誰が言ったのかわからないくらいだった。隊長が〈死神〉の目を覗き返した。その目はいつか見た、光の無い真っ黒な目だ。ぽっかり口をあけている真っ暗な洞窟のように、全てのものを吸い込んでしまいそうな目。

「やっと本気になってくれたか? 言っておくがお前が隙を見せたらすぐにでもあいつを殺すぞ」

 〈死神〉が言い終わらないうちに隊長が斧を振った。〈死神〉は机から降りて避けた。勢い余った斧が取り付けられたイスを破壊した。ネジが吹っ飛んで甲高い音をたてながら転がっていく。

 俺は辺りを見回した。このままだとそのうち自分が殺されてしまうかもしれない。自分でなんとかしないと。家が無くなった直後、絶望して死ぬことまで考えたけど、なんだかんだで生きている。なのにこんなところで死んでしまうのは嫌だ。

 二人は激しい闘いを続けている。さっきまでとはうってかわって、隊長の動きは鋭く、勢いと力がこもっていた。纏う雰囲気もまるで別人だ。龍の斧と死神の鎌が交じり合う。

 俺は扉に近づいて力いっぱい引いてみた。やはりびくともしない。何度か引っ張っても全く動かないので、俺はへたりこみそうになった。ふと扉に大きな傷がついているのに目が行った。〈死神〉の最初の攻撃で出来たものだ。木製の板はだいぶえぐられて薄くなっている。俺は一筋の希望を見た。

「これなら……!」

 俺は刀を抜いて、柄の部分で薄くなったところを思いっきり殴ってみた。ミシッと木が外側に折れた。加えて数回叩くと完全に穴が開いた。俺はふうっと息を吐き出した。外の空気がふわりと流れてくる。

 しかし穴を開けたのはいいものの、ここから先どうすればいいかわからなくなった。まさかこんな小さな穴から脱け出せないし、広げるには時間がかかりすぎる。戸惑って後を振り向いた。二人は俺の様子に気がついていないようだ。床にさっきの無線機が落ちている。

 俺ははっと気がついた。実験室に入る前は、無線機は確かに電波を受け取り、送信もしていた。しかしさっき俺が使おうとしたとき、無線機は電波を受け取っていなかった。それはこの部屋に入ったときからじゃないか? この部屋にだけ電波が届いていないんじゃないのか?

俺は無線機を拾い上げ、扉の穴に差し込んでみた。しばらくして画面に黄色のアイコンが点く。電波を受信しているマークが最大になる。当たりだ。

 「こちら十五番隊」

 今度は忘れずにマイクをつけて言った。少し間があいて、『こちら本部』と返ってきた。

『どうしたのですか』

 聴こえてきたのは女の人の声だった。誰かわからないけれど、今はいい。

「講義室に閉じ込められた。あと〈死神〉が……〈死神〉と隊長が闘っていて……」

『〈死神〉!?』

 驚いた呟きが聴こえてきた。

『えっと……そちらはフーマとイツキのペアですか?』

「ああ」

『フーマは今〈死神〉と闘っているの?』

「そう」

『あぁ、それでは問題ないですね』

「え?」

 俺は無線機を取り落としそうになった。

「おい、隊長でも苦戦している相手だぞ!? 応援を呼んでくれよ! それに仮に隊長が勝っても、閉じ込められ……」

 俺は大声を出してしまい、慌てて口をつぐんだ。また振り返って見ると〈死神〉がこちらを見ていた。心臓が跳ねあがる。隊長が斧を振り落として〈死神〉の視線を遮った。

『〈死神〉を倒せるとしたらフーマしかいません』

 女の人の声が雑音に混ざって聴こえた。

『応援を送っても無駄死にするだけです。それに、〈死神〉は決着がつく前に去ることが多い。〈死神〉が使った経路で脱出できるでしょう』

 場違いなくらい落ち着いた声を聴くことで、俺はなんとか冷静になろうとした。

『フーマを信じるしかありません。彼はおそらく本気で戦ってくれています。もしフーマに何かあったら、そのときはまた連絡してください』

 俺が返事をする前に無線機は切れた。無線機が落ちてまたカバーのかけらが飛ぶ。

「なんだよ」

 自分にできることは何もないのか? 汗が伝う。今度こそ扉の前でへたりこんだ。俺は無力だ……。

 とりあえず今は、〈死神〉に殺されないよう、俺も身構えておくしかない。刀に手をかけて、一番反応しやすい態勢をとる。今は隊長が押している。〈死神〉はだんだん壁の方へ追いやられていく。隊長が左足を軸にして回し蹴りを放った。重い一撃が腹に直撃したが、〈死神〉は全く表情を変えず、鎌でその足を切り刻もうとした。隊長が一歩引く。一瞬だけ奇妙な間が開いた。その間に〈死神〉が一歩前に出て鎌で隊長の目先を切り裂いた。今度こそ隊長の目を切ろうと〈死神〉が腕を戻そうとしたとき、隊長が斧を思いっきりブンと回した。〈死神〉はすんでのところで避けた――はずだった。

 〈死神〉がバック転で引き、鼻を押さえた。俺は目を凝らした。指の隙間から赤い血が滴り落ちている。隊長は無表情でそれを見つめていた。自分の目を疑った。〈死神〉は完全にあの斧を避けていたはずで、もし掠めていてもあんなに血が出るはずがない。

「ハハ……忘れてた。奥の手を使いやがったな」

 〈死神〉が口の端を歪めて、嘲るような笑みを浮かべた。隊長がそこへ斧を振り落とすが、〈死神〉はひらりとかわして講義室の前の棚の辺りまで逃げる。

「お前さ、仲間のことになると本当に必死だなぁ。いつか自分が破滅するぞ?」

 〈死神〉は嘲笑を崩さず言った。

「何が言いたい」

 感情の無い低い声で隊長が言った。それもいつか聴いた声だ。背筋がぞわっとする。

「利用しやすくてよいこった、ってことだよ。……なぁ、その大事な仲間はお前の正体を知ってんのか?」

 俺は眉をひそめた。〈死神〉は何を言ってるんだ?

「ふーん。知らないようだな。どうせ俺が殺す……」

 再び隊長が飛び出して斧を振り落とした。棚が派手に破壊されて中の物が散乱する。棚の中身はレポート用紙だった。

「面白いなぁ、〈龍〉。……俺はもうやめる。そろそろ時間だ」

 〈死神〉は鎌を肩に担いだ。隊長がそこへ詰め寄った。真っ暗で虚ろな目と猟奇の光を宿した目がしばらく睨みあった。二人の体から滲み出る殺気で息が詰まる。

「次は」

 隊長が口を開いた。

「僕以外に手を出そうとするな」

 隊長の声は地を這うように響いた。

「お前が始めから俺と本気でやり合う気になってくれたらな」

 〈死神〉が臆せず言い返す。

「なぁ。俺が欲しいのは、お前みたいな強い者の命だけじゃないんだよ。あいつみたいにさ、」

 〈死神〉はちらりと俺を見た。なぜかその目には死神らしい冷たさではなく、親しみがこもっていた。

「弱いなりに戦ってるやつのも、欲しいときはあるんだよ」

 少年は笑った。隊長は全く表情を変えない。〈死神〉はすぐに表情をなくした。

「お前の正体を知ってしまったら、そいつはどう思うだろうね? 失望か? 怒りか?」

 初めて隊長の目が揺らいだ。ほんの少しだけれども、俺は見逃さなかった。

「あんまり感情に任せて行動するなよ。少しは頭を使えってんだ。いつもそうだ。まあ俺からしたら、そう単純なほうが便利なんだけどな」

 〈死神〉は鼻で嗤ってきびすを返した。そしてとなりの部屋に続くらしい扉を蹴破る。俺はそこに扉があることに今初めて気がついた。〈死神〉が思いっきり蹴ったせいで扉自体は壊れてしまったが。そういえばあの隊長と互角に戦える上に、頑丈そうな扉を蹴破るくらいなら、〈死神〉もかなりの怪力の持ち主なんだろうか。隊長は最後まで少年から目を離さなかった。

 少年が見えなくなってから、しばらく俺たちはそのまま突っ立っていた。隊長がおもむろに振り返った。あの目だ。俺は硬直した。しかし次の瞬間には隊長の表情も和らいでいた。

「本部は……連絡したんだよね? 何て言ってた?」

 隊長は頬の傷を手で拭った。なんだろう、いつもの隊長のはずなのにまるで別人に見える。

「あ……隊長なら大丈夫だろうって……特に何も言われなかった」

「えーなにそれ。会長に文句言っとこ」

 隊長が頬を膨らます。俺は隊長に無線機を返した。〈死神〉が作った脱出口を通り、開いた窓から外に出た。もちろんだが〈死神〉の姿はない。

「こちら十五番隊隊長」

 隊長は無線機に喋る。さっきまでの冥い殺気は消滅している。

「ねぇ、僕のことほったらかしにしたでしょ! もう、仕方ないなぁ。……え? 〈マザー〉!?」

 隊長は目を丸くした。何だろうと俺も無線機に耳を近づけた。

『〈マザー〉は……棟の三階に現れたと情報……ってください』

「嫌だよ。そこ、遠いじゃん。なんで僕なの。〈死神〉くんと頑張って戦ったんだからもういいでしょ」

『……です。あなたがたは早く戻ってきて……に叱られても知りま』

 そこで隊長は無線機の電源をブチッと切ってしまった。

「おいおい、そんなことして大丈夫か!?」

「僕らの仕事はもう終わったんだからいいの。どうせ〈マザー〉はすぐいなくなるし。前もそうだったもん」

 隊長はニヤリと笑った。いつも通りだ。俺はいくばくかほっとして、気になっていることを訊いてみた。

「なぁ、〈マザー〉って誰だ?」

「〈マザー〉ねぇ。僕らがいつも戦ってる〈桜〉の会長らしいよ。姿は見たことない」

 隊長はそこで少し黙って、

「確か子どもが好きで、孤児とか〈桜〉の会員の子どもを集めて暗殺者の訓練をさせてるんだっけな。それで『マザー』ってコードネームがついたとか」

 と教えてくれた。

「なるほどな。それで驚いてたのか」

「そそ。会長みたいな重要な役割の人が危険な戦場になんてあんまり来ないからね」

 隊長が言い終えると同時に「おーい」と後ろから呼び声がした。俺と隊長が同時に振り返ると、黒狐と涼子がいた。

「お前ら何してんの? さっきウルフが隊長とつながらないとか言ってたんだけど」

「え? あ……」

 隊長が目をうろうろさせた。

「電源切っちゃったから……」

「後でウルフに怒られるわね」

「だ、だって! 仕方ないもん!」

「何がだ。オラ、さっさと帰んぞ」

 黒狐が隊長にげんこつを食らわせ、涼子が歩き出した。面白いのでぶうぶう文句を言う隊長を置いて俺も歩き出すと、隊長が「ちょっと!? 置いていかないでよ!」と走って追い付いてくる。俺は少し笑いながら、さっきまでの緊張はどこに行ったんだろうな、と思った。

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