一章 〈秋桜〉
一話
この国を見守る神様がいるという。
でも、俺はそんなの嘘だと思う。本当に神様がいるなら、今頃俺は他人の財布の中身を数えていないだろう。それも、真冬の夜空の下で。
「二百とちょっとか。もうちょっと持ち歩いとけよ」
知らない店の領収書を丸めながら、俺は理不尽な独り言を言った。商店街でスッてきたものだからしかたない。
昔とは比べものにならないほど、この国は廃れてしまった。他国との戦争で人々は疲れきっていた。もとから良くなかった治安はさらに悪化し、殺人事件や強盗は世の常だ。俺はそれに便乗して盗みを繰り返している。そうでもしないと生きていられないのだから。
俺は足下のフタ付き溝の下に、金だけ抜き取った財布を投げ入れた。ついでに溝の下に隠してあったものを取り出す。
借金とりに追われて、家さえも売り払った時にこれだけはと残した刀。売れば借金も全て返せるほどにはなったのかもしれないが、俺はそんなことできなかった。大好きだったじいちゃんが、家族の次に大切にしていた刀。じいちゃんはいつかの俺に、銘柄を教えてくれたけれど、さして興味はなかった当時の俺は覚えていてくれはしなかった。
ホームレスになった当初は、この刀の扱いに困った。人が入ってこないような場所を、生活の拠点としてはいるものの、裸で置いておくにはいかない。そこで思い付いたのが溝の下だった。外から見える溝では意味がないので、フタの下に置く。本当はいつでも持ち歩きたかったが、さすがにそれは目立つのでやめた。
久しぶりに帯刀する。帯の代わりにベルトを使ってはいるが。盗んだ金を入れた自分の財布をポケットに突っ込み、路地裏を出る。タチの悪そうな不良が数人たむろっている前を通りすぎ、近くの小売店に入った。古くさい店で、日用品を扱っているが、保存食や菓子類も売っていた。この辺のホームレスや貧乏人がよく使う店である。
「いらっしゃいませ~」
奥でネズミみたいなハムスターがだるそうに言った。可愛げが無い。俺は陳列棚から水と携帯食を取って渡した。
「なんでそんな剣道みたいなやつを持ってらっしゃるんですか」
ハムスターが訝しげに訊いてきた。
「これから剣道の大会があるんで」
「夜に?」
「はぁ。こないだは昼にやってたので。今回は夜にしようって」
「そうなんですか。夜行性には嬉しいですね」
ハムスターは無表情で言って商品を差し出した。なんだかムカついたのでそれをひったくるように取った。
「あざっしたー」
気の抜けた返事を後ろに店を出る。さっそく携帯食をかじりながら、駅を目指す。使えなさそうにみえる刀の使い時。暗殺の依頼人がもうすぐやって来る。
裏社会。人殺しや盗みなど、表では許されないことを生業とする人間の集まり。五年前、俺はそこに足を踏み入れてしまった。それなりに剣道の腕はあったし、俺は手際良く仕事を済ますので、一部ではではそこそこ有名らしい。さらに依頼料がかなり安いから、一ヶ月に一回くらいは仕事が入ってくる。だからといって、定住できるような家を買う金はなかった。
できるだけ人通りの少ない道を選んで進み、駅に着く。それと同時に駅から依頼人が出てきた。ヤクザのパシりみたいなやつだった。
「ど、どうも、えーっと、南海林建設の杉村と申します~。あ、イツキ、さんですよね?」
「そう。さっそくだけど誰を殺って欲しいんだ?」
「えぇ、ええ、こやつですー」
杉村は写真と書類を取り出す。この前に会ったときは、「まだターゲットは教えられません~」とはぐらかされた。用心深い人間は実行直前まではターゲットを教えてくれない。
「この駅から二つ先ですね、そこからすぐのところに『大塚』って表札が出てる大きい屋敷があるんですよ。そのね、家族全員を殺して欲しいのです」
「家族全員? 何人いるんだ?」
「まぁ、三人か四人……。男と、その妻と……あとはたぶん、男が一人か二人……」
なぜ詳しく調べてこないんだ、と心の中で舌打ちをしながら「わかった」と返事をした。
「その写真は、その『大塚』ってやつの家か?」
「あぁ、そうですー。家の間取りと一緒にお渡ししますね……あ、くれぐれも落とさないでくださいよ。お願いします」
「わかってる」
俺はそれを受け取り、さっさと歩き出した。後ろから慌てた声が「もう行くのです……!?」とついてきたが、無視してきっぷ売場に向かった。今日盗んだ金は半分まで減ってしまった。
この日最後の列車はスカスカだった。人目をあまり気にすることなく目的地に到着し、目標を探す。「大塚」と表札のでた屋敷はすぐに見つかった。昔住んでいた家と雰囲気が似ている。恨めしくなるほど広い二階建ての家だった。垣根を乗り越えて庭を歩くと、開け放しの窓があった。
「何で真冬にがら空きなんだ」
何かの罠かと思い、刀を鞘から抜き、恐る恐る中を覗いた。が、特に何かあるわけでもない。妙な違和感を覚えながら、ラッキーだということにして、そこから中に入った。しかし、入ってすぐに違和感の正体に気付いた。
窓は開いているのではなかった。外されていた。
「誰が……」
嫌な予感がもやもやと胸の中を満たしていく。まさか掃除をしていて、はめるのを忘れたなんて馬鹿なことはないだろう。そんなことをしたら、それこそ俺みたいなやつに入られる。物騒なこの世の中、何をされてもおかしくない。
窓から入った部屋は、居間らしかった。真ん中にちゃぶ台が置いてある。隣の台所に続く引き戸が、これまた開け放してあった。杉村から受け取った家の間取りをみると、正面にある扉から廊下に出られるようだった。その廊下を左に曲がると、玄関と階段がある。恐らくターゲットたちは二階で寝ているのだろう。
廊下に出ようと正面の扉を開けた。その時、廊下の奥の照明がついていることに気付いた。
鼓動の音が速くなっていく。まだ住民が起きているだけならいい。そっと曲がり角まで進んでいった。何か物音が聞こえてきた。水が落ちるような、ぽた、ぽたという音。金属同士がぶつかったときの、かすかな甲高い音。布がすれる音も聞こえた。誰かがこの先にいるのは間違いなかった。もし自分の鼓動の音がなかったら、そいつの息づかいまで聞こえそうだ。
壁にぴったりと背をつけて、刀を構えた。そいつがこっちにきたら迎えうつ。去ったら追って斬る。
どちらも動かなかった。ふっと生臭い鉄の臭いがした。ばくばくという心臓の音が鳴り響く。
「やあ」
唐突にそいつが喋って飛びあがりそうになった。誰に話しかけているのかと思ったが、俺以外に誰かいるはずもなかった。
「そこにいるんでしょ」
子どもみたいに高い声だった。隠れていても仕方がない、と思った俺は素直に出ていった。が、そこにいる誰かよりも先に目に飛び込んできたのは、床一面に広がる赤い液体だった。
「この家の人じゃあないみたいだねぇ」
転がっている死体には首がなかった。その死体の奥に、斧を持った男が立っていた。そのシルエットにどこか懐かしいものを覚えた。
「お前は誰だ」
「君とたぶん一緒だよ。殺し屋」
ニッと笑ったそいつの顔は、人間のものだった。だが、斧を持つ手は黒い鱗に覆われていて、白いかぎづめが生えていた。そいつはトカゲみたいな尾をゆらゆらと振っている。翼と角が見当たらないが、龍人だとわかった。
「そいつ」
俺は死体を指差して言った。
「俺が殺すはずだったんだけど」
龍人は首をかしげた。
「奇遇だね。僕も殺せって言われてたんだ」
こんなところにいるのなら、まず王家の龍人ではないだろう。それに、王家の龍人は鱗の色は青か白のはずだ。昔、剣道教室で一緒に稽古を受けていたからわかる。
「どういうことだ」
「知らないよ。と言うかね、僕は君も殺さなきゃいけないみたいだね」
龍人はどこかから紙を取り出した。
「……俺と戦うつもりか」
「ないない。めんどくさいことになったなぁ」
「じゃあ、どうするつもりだ」
「どうしようか」
俺は刀を鞘に納めた。こいつに俺と戦う気は本当に無さそうだ。
「君さ」
そいつも紙を見るのをやめて斧をおろした。
「なんか、ボロボロだね」
意味がわからなくて俺は「ハァ?」と言った。
「家とかないでしょ」
言い当てられて俺は一瞬ムカッとしたが、それよりも、知らないやつにそう思われるほど自分がみじめな格好をしているということが、ひどく情けなくなった。
「ねぇ」
龍人は俺の返事を待たずに話を続ける。
「僕のところに来ない?」
俺はますます、こいつが何を考えているのかわからなくなった。
「僕は暗殺部隊の隊長なんだ」
「暗殺部隊?」
「暗殺を専門にしてる組織の部隊だよ」
龍人はポケットからカメラを出した。顔を撮られる、と思ったが、彼は俺に見向きもせずターゲットの死体を撮った。
「そんなのがあるのか」
「僕は隊員と一緒のところに住んでるの。君も僕の部隊に入ったら、一緒に住むことになるんだけど」
突然の誘いと話の速さに混乱しながら、
「それより、何で俺たちは同じ依頼を受けてるんだよ」
と返した。
「さぁ。まずはそれを解決に行こうか」
「行くって、どこに」
「名前なんだっけな……えっと、す、杉……」
龍人は斧を持ち上げ、肩にかけた。どうやら、斧には肩にかけるためのベルトがついているらしい。
「杉村か?」
「あぁーそうそう! 君も同じ人に頼まれてたんだね」
そのまま彼は玄関のほうへ歩き出した。俺もそれについていく。床に広がった血を踏まないようにするのは一苦労だった。
「あ、待てよ。もう一人ターゲットいなかったか」
俺は龍人に言った。
「もう一人?」
龍人は振り返ってすぐに「あぁ」 と言った。
「僕が殺した」
龍人の斧に付いた血がポタ、と落ちた。なんだか不気味なものを感じてぞっとした。
「お前何歳なんだよ」
静かになるのが気持ち悪くて、俺は喋りかけた。
「何? いきなり」
「どうみてもガキっぽいけど」
玄関を開けてから龍人は俺を睨み付けた。
「子どもじゃないもん! 一応、十八は越えてるからね。大人だもん」
そして彼は誰かに手を振り出した。その先には車にもたれかけている狼男がいた。すごく背が高い。
「ウルフさん、終わったよー」
龍人は狼男に話しかけた。狼は俺をみて「隊長、誰だ」と低い声で言った。
「あれ、名前聞いてなかった」
「イツキ」
狼はじっと俺を見つめていたが、何も言わず車に乗った。俺が眉をひそめていると「ごめんね、ウルフさんはちょっと人見知りなんだ」と隊長が言って後ろに乗った。少しためらって、俺も続いて乗り込む。車内はビニルシートで覆われていた。
「うにゃあ、すべるー」
隊長が血で汚れているせいで、ビニルシートに赤い染みが点々とついていく。それを見越してのビニルシートなんだろう。
「タオル無い?」
エンジンをかけた狼に隊長が問う。狼は無言でタオルを渡し、車を発進させた。
車に乗るのは久しぶりだった。空いた窓から冷たい風が吹き込んでくるのが、心地よかった。車酔いしそうな血の臭いが薄くなっていく。狼の運転は快適だった。隣で隊長がもぞもぞと血を拭いていた。
あっと言う間に、二駅前の待ち合わせ場所に着いた。街灯のない暗いところに杉村は立っていた。狼が車をロータリーに停め、エンジンを切って外にでた。
「隊長、そんな血まみれで外に出るのか」
「そんなわけないじゃん。上着着るもん」
上着だけで大丈夫なのか心配になったが、もう面倒臭いのでもう放っておくことにした。
狼は先に杉村と話をしていた。遠目でも杉村が狼の巨体にビクビクしているのがわかる。俺も外に出ようとすると、
「ちょっと待ってよ」
隊長が俺の肩をつかんだ。
「何だよ」
「僕が先に杉村さんと話すから」
「……はぁ。別に何でもいいけど」
俺と隊長は一緒に杉村のところへ行った。杉村は俺たちに気づくと顔を青ざめた。
「こんばんは~」
隊長はにっこりと嫌な笑みを浮かべて言った。
「ど、どうも」
杉村はへなへなと笑いを返した。
「早速だけどね、とりあえず二人は殺したよ」
隊長が報告する。
「それは俺が話した」
狼が言った。
「あ、そうなの。じゃあ、ききたいことがあるんだけど。僕、他に暗殺者がいるなんて、聞いてなかったなぁ。言われてないことは出来ないんだよねぇ、杉村さん?」
「いえ、あの、すみません。ボスがそう言ったので……」
「ボス? それは誰?」
「あ……」
杉村の顔が固まる。杉村は本当にやくざのパシりなんだな、と思った。
「まさかとは思うけど、君のボス……いや、君は『桜』の関係者じゃあないだろうね?」
隊長はさらに質問を続けた。杉村は口をパクパクさせ始めた。
「まぁ何でもいいや、答えてくれないなら。こっちで調べるね。あ、さっきも言ったけど、この人は殺せないや」
隊長は俺を指して言った。
「じゃあさよなら。あ、お金返せないよ。先にもらったやつ」
そして隊長はくるりときびすを返した。
「おい、何も解決していないじゃないか。何にもわかってねぇぞ」
「あぁ~確かにそうかもね」
隊長は呆けた口調で言った。
「でも僕はわかるから」
「お前がわかってても俺がわかんねぇよ。金ももらってねぇし、何だよ、『桜』って」
「それはねぇ、説明が長くなっちゃうなぁ」
隊長はそう言って車に乗り込んだ。当たり前のように続いて乗り込みそうになって、立ち止まったが、隊長が「乗らないの?」と訊いてきたので遠慮なく乗り込んだ。
「これからどこにいくつもりなんだ」
「え、家。帰るの」
「俺もか?」
「あ、他に何かもってるの? お荷物とか。取りに行こうか?」
「そうじゃなくて……」
「そいつ、入れるのか」
運転席に座った狼が隊長にきいた。
「いきなりいいのか。部屋の片付けしてないぞ」
「じゃあ帰ったら片付けしよう」
「……そうか」
狼が明らかに呆れたような声で言った。
「俺は何でお前らの仲間になろうとしてんだ……」
俺もため息をつくように言った。
再びエンジンがかかり、車は動き出す。ちらりと見ると、杉村はまだつっ立っていて、こっちをぼうっと見ていた。しかし、すぐにそれは見えなくなっていく。景色は流れて、駅の灯りがチカチカと瞬きながら遠ざかる。
見慣れた町は、夜闇に沈んでいった。
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