二話
「着いたよ」
それは山の奥の、真っ暗な森の中に建っていた。そこそこ大きく、少し古びた感じがオバケ屋敷みたいだ。ガレージの隣に蔵のような建物がある。車庫の反対側、家の左はあけていた。
車の中で、隊長に説明をしてもらった。だが、隊長の説明は何を言いたいのか全くわからないものだった。「『桜《さくら》』っていうのがあるの」「桜? 春に咲くやつ?」「そう! あと、『
「ただいまー」
隊長は家の中に向かって言った。俺は今度は躊躇せず踏み込んだ。手前に階段があって、廊下が奥に向かって伸びている。階段より少し奥の方の左側に、明るい光が漏れ出している扉があった。
「おぅ、血生臭ぇな……おっ……?」
その扉が開いて、背の高い金髪の男が出てきた。黒ぶちの眼鏡をかけている。
「また何か拾ってきたのか」
「拾ったって、失礼な。人間だよ」
「俺から見たら一緒だ。それより、早く風呂入ってこい。沸かしてある」
「わーありがとう。あ、イツキくんにいろいろ教えてあげて」
そう言って彼は斧を持ったまま廊下の奥へ消えた。
「ほう……イツキか……」
眼鏡男は呟いて、
「おっと、その物騒な物をしまえ。武器庫に置いてこい」
と、階段の下にある引き戸を開けた。俺は銃の弾やナイフがごちゃごちゃと置いてある中に、刀を立て掛けた。そこで俺は訊ねた。
「何で隊長は俺をここまで連れてきたんだ」
「……は? 知らねぇよ。気に入ったんじゃねぇの」
眼鏡はぶっきらぼうに答えた。
「そうじゃなきゃあ、とっくにお前は死んどるよ」
「……死?」
「早く出ろ。ホコリっぽい」
聞き返しても男は答えなかった。そのまま先程の明るい部屋に入っていこうとする。俺はじわじわと焦りつつ引き戸をゆっくりと閉め、そのあとを追った。
明るい部屋は、リビングとダイニングが一緒になった広い部屋だった。キッチンもある。八人ぶんのイスが並んだテーブルに、女の人が座っていた。長めの髪を後ろに束ねている、綺麗な人だ。
「騒がしいと思ったら、お客さんがいたのね」
女は微笑みを浮かべた。
「客というかね、新人だな、涼子」
さっきの男が女に呼びかけるように言った。
「名前は何と言うの?」
「イツキ」
俺は短く答えた。
「イツキね。
「わかりました」
思わず丁寧に答えて、若干赤くなっていると、
「敬語は禁止よ。さん付けもね。ここの住人はみんな丁寧語嫌いよ」
と釘を刺されてしまった。
「俺にも気は遣わなくていいぞ」
「あんた自己紹介してないんじゃないの」
「あぁ、そうだな。まぁ何とでも呼べ」
放り投げるように言われ、俺が困っていると、
「何でもって言われたら迷うよな。コードネームは『
と男が追加した。
「コードネーム?」
「知らんか。任務中に名前で呼びあって、相手に覚えられたら困るだろう。身元調べられる」
そして黒狐はニヤリと笑って、
「まあ俺は調べたところで何もわからないだろうけどな」
と言った。よくわからない顔をしていると、狼が部屋に入ってきた。いちいち頭を下げて、ドア枠にぶつけないようにしているのをみて、改めて「でかい」と思う。
「隊長は」
狼が部屋を見回した。
「風呂。お前はどうすんだ」
「いい。片付けを頼まれた」
そう答えて、狼はまたドア枠をくぐって行ってしまった。
「どこまで話してんのかわかんねぇな。おい、秋桜とか桜とかの話はされたか」
黒狐が訊いてきた。
「はぁ。名前だけ。なんか、その二つが戦ってるとか」
「ケケッ、やっぱ隊長の説明じゃわからねぇよな」
黒狐はにやけた。
「あいつ阿呆だからなぁ。順番に何か言うってのが出来ないんだよ。あ、ここ座れよ」
黒狐が涼子の隣に座り、俺はその向かいの席に座った。
「『秋桜』も『桜』も、暗殺組織の名前だ。俺たちは『秋桜』の方に所属する、まぁ、暗殺者だ」
「暗殺者……」
「普段は何も仕事が無いから暇なのよ。特に十五番隊はね」
涼子が付け足した。
「〈桜〉の方はよく知らねぇが、〈秋桜〉にはいくつか部隊がある。俺たちは十五隊あるうちの、十五番目の部隊の隊員だ」
「それで、隊長か」
「そうだ。へなへなしてて隊長っぽくないけどな。ちなみにウルフが副隊長な。ウルフのほうが隊長に向いてんだけどなぁ」
「人の悪口言ってないで、真面目に話しなさいよ。混乱するわ」
涼子が鋭く指摘し、黒狐はへらへらした顔をやめた。
「〈桜〉と〈秋桜〉は、ライバルな。商売敵ってヤツだ。どっちも暗殺業だからよ、互いの暗殺者を暗殺したり、互いの施設とかに襲撃したりもすんだぜ」
「施設に襲撃?」
「ああ。暗殺者育成所とか、研究所とかな。〈桜〉の方はな、表向きは孤児院経営をメインに、いろんな事業をしてる。〈秋桜〉は、某有名薬品会社の提供を受けてんだ。〈秋桜〉を統率する会長の、兄弟の会社な。資金はそういうとこからきてる。」
「会長って、部隊全部のリーダーみたいな?」
「そ。というか、組織全体をまとめてる。そのうちまた集会があるから、そんときに会うだろ。〈桜〉にも会長みたいなのはいるけどな、〈桜〉自体が〈秋桜〉よりはるかにデカイ組織だからな、何人もいるんだ。本部長とか言ったりする」
「〈秋桜〉は〈桜〉から分裂した組織なの。〈桜〉では、国や地域ごとに本部を置いて、総本部からの指令を受けとっているの。〈秋桜〉は、この龍王国を担当していた。でも百年ほど前に、当時の本部長が〈桜〉の総会長に反抗して、分裂したのよ」
「以来、両者はいろんな事情で殺し合いのケンカをしていますとさ。分裂当時は、それはそれは激しい戦闘だったとよ。今も大概だけどな」
なるほど、だいたいつかめてきた。
「俺はもう逃れられないんだな。そんなことを知ってしまったら」
すると黒狐は不思議そうな顔をした。
「お前、隊員になるんじゃねぇの? 明日になったら、さよならするつもりだったのか?」
「へ? いや、隊長が誘ってくれたけど、返事してないし」
「は……? まさかアイツ、強引に引き入れて?」
確かにここまで来たら、俺が隊員にならない理由なんてない。むしろ、とても都合のいい話だ。しかし、いきなり全く知らない人間と、ひとつ屋根の下で寝るなんて図太い神経は持っていない。暗殺組織で働く覚悟もしていない。これは成り行きに任せた結果だ。
「別に、絶対なりたくないとかじゃあないけど……」
「まぁ……」
「……それならいいか」
三人でぽかんとしていると、
「ぷはー、いい湯だったなー」
と隊長がやって来た。
「おまい、なんてことしてんだ」
黒狐が呆れ気味に吐いた。隊長はきょとんとする。
「え? なに? うわ、やっぱり変態だね! お風呂でせっけん割っちゃったの知ってるの? 何で? 覗いたの? 変態だ!」
「そうじゃねぇよドアホ。つか、なんでせっけん割ってんだよ。いいからウルフの手伝いでもしてこい!」
「僕が行っても邪魔……」
「はいはい行くんだ」
黒狐が隊長の頭をガシッとつかんで引っ張って行く。
「イツキ、お前の部屋だ。ついでに来い」
「ついでって……」
「私はもう寝るわ。夜遅いもの」
「おやすみぃ、涼子ちゃん」
隊長はそう言って、無邪気に手を振る。言動の子どもっぽさは、本当に二十歳を越えているのか疑いたくなる。
「はよ歩けや、転ぶぞ」
「黒狐さんが頭つかむからでしょ! 離してよ! せっけん割ったくらいでそんなに怒らないでよ!」
「どうやったらせっけんが割れんだよ。どうせ滑らせて遊んで……いや、それで怒ってねぇわ、違う」
隊長のペースに飲まれている。
「何でもいいから早く階段あがってくれ……」
「おっ、すまんな。隊長がアホすぎて」
「アホじゃないやい! 黒狐さんが変なことするから」
二人の言い合いを聞きつつたどり着いた二階は、一階とは違って解放感があった。同じようにのびる廊下の両側に、いくつかの扉。右側は二つ、左側には三つ。右側の玄関に近いほうの部屋に涼子が消えて行く。左側、玄関とは反対側の奥の扉は開いている。そこから狼が出てきた。
「あ、ウルフさん。片付け終わったー?」
「まだだ」
「終わってるわけねぇだろ」
俺は部屋を覗いてみた。たくさんの箱が積まれている中に、机とベッドがある。今夜は暖かい布団で寝られるらしい。朝起きたときは思いもしなかったことだ。
「俺も片付けるよ。何すればいい?」
狼が振り返って、じっと俺を見つめた。睨まれているのかと怖くなったが、「書類を運んでくれ」と返してくれた。一緒に片付けていると、「僕もやる」と隊長も参加する。黒狐は傍観しているだけだった。
「ねぇ見て! これ二年前の新聞だよ! 何で新聞なんか買ったんだろう。ナントカ事件だって」
「そんなの見てないで片付けてくれよ」
「なんか説明書あったよ。ラジオのだ! え、こんな機能あったっけ……」
「あのさ……」
隊長が自分で言った通りである。そんな俺を見て、ニヤニヤしている黒狐と目があった。
「そいつ指示しねぇと動かんぞ」
持っていた箱を下ろして、俺は言った。
「隊長って何歳? 本当に二十歳越えてるようには見えないんだが」
黒狐は喉の奥で笑った。
「さァな。少なくとも、精神年齢は五歳だな」
うしろで狼が隊長に何か指示していた。
「何でそんなヤツが隊長やってんだ」
「知らねぇよ。俺が聞きたいわ。何回それ……おい、隊長あぶねぇぞ」
黒狐の目線の先に、大量の箱を積み上げて持つ隊長がいた。
「は、この箱意外に重いのに、なんでそんな持てるんだ」
「一気に運んだら時間短縮だよ」
「バランス崩すなよってんだよ。お前の力自慢はいいから」
「大丈夫だって」
と、言いつつ結局落としているのだった。そのとき、たぶん俺は黒狐と同じ顔をしていただろう。
そうこうしているうちに、かなりの時間が経ったようだ。俺は眠くなってきた。
「ねー。飲み会しよう」
隊長のおかげでかなり長引いた片付けが終わると、隊長が提案した。
「せっかく新入りさんが入ったんだし、お祝いね」
「どうせ、かこつけて酒飲みたいだけだろ」
そう言いつつも、黒狐は嬉しそうな顔をしている。
「えと……それは、俺も参加しないといけない感じですかね」
「あったりめーだろ。『新顔を歓迎する会』だかんな」
「む? お酒嫌いとか?」
「いや、嫌いじゃないんだけど」
「じゃあいいっしょ! ウルフさん、掃除任せてもいい?」
狼は無言でうなずいた。むしろ任せてほしいくらいなんだろう。
リビングに戻りつつ若干不安になる。確か昔、新年の祝に酒を飲まされて、その前後の記憶が全部吹き飛んだような……。コップ一杯飲む前に酔って寝ていたはず。
「どれがいいかな……。あ、これどう?」
「それ強すぎるわ。隊長用だろ」
「弱め? わかったー」
弱めと言って出してきたのは、アルコール濃度十パーセントのもの。
「あの……」
「おつまみ何がいい?」
「いるか? こんな夜遅くじゃけ、飲むだけでええやろ」
二人は俺に見向きもしない。
「あのー……」
「ん? いるの? じゃあ出そ……」
「そうじゃなくて、俺、かなり酒に弱いんだけど」
やっと話ができた。ひとつ話をしようとするだけで疲れる。
「そうか、じゃあ少しだけな」
黒狐はコップに瓶の中身を注ぐ。ちゃんと酒が飲める年齢になって、初めて飲むかもしれない。三人はそれぞれ適当なところに座った。
「うしゃ、じゃあ」
「かんぱ~い!」
三つのコップがカチンと音をたてる。
「ぷはー」
隊長はイッキ飲み。よくそんなことができるな、と驚きながら俺は少しだけ飲んで置いた。黒狐はちびちびと飲んでいる。未成年のようにしか見えない隊長が新たに注いでいる。
「俺は隊長がイツキを連れてきた理由がわからないんだが。なぁ」
「ふぇ、理由?」
隊長が少し目を丸くする。
「うーん、なんでだろ」
コップを振りながら彼は言った。しばらく間が空いた。早くも俺は熱くなってくるのを感じた。
「お前、『だって、かわいいんだもん』って猫拾ってくんだろ。そういうのと同じかとも思ったけどなぁ。さすがに人間に対してそんなことなぁ」
黒狐は首をかしげた。
「刀がカッコ良かった」
隊長はニッと笑った。
「……はぁ?」
俺と黒狐は同時に言った。
「あんなぁ、隊長はさぁ、おるぇにさぁ、『家ないだろ』って、そのあと、『僕のとこにこないか』ったんだろ、刀がどうのこうのなんて、一言も聞いてねぇよぉ」
舌が回っていないのが自分でもわかった。でももう、頭がボンヤリしている。眠い。
「お前、ホームレスなんか。どうりでふ……ここまでアホみたいについてきたんか」
黒狐が何かを言い直した。
「あぁ? アホ? 誰がアホだぁ!」
何だかイラッとした。
「わ、わりぃ。そんなに怒らんでも」
黒狐が慌てて言った。
「刀ってカッコいいっしょ? 僕の憧れ」
隊長は先程の話に戻す。
「おいおい、そんなの初めて聞いたぞ」
「でも僕、思いっきりガキーンって、振りたいから刀とか向いてないなぁ」
「ガキーンってなんだべ」
黒狐が外国の言葉で話しているように聞こえる。方言だと気付いたときは、すでに俺は眠くて机に突っ伏していた。
「大丈夫? しんどいの?」
隊長の声が降ってきたけれど、反応できなかった。
「俺の話聞かねぇの? 二百五十年前に巨乳のおねーちゃんに殺されそうになった話」
「それ初耳だぁ」
二百五十年前? 生まれてもいないなぁ。
そんなことを考えて、何かがおかしいと思った。しかし、睡魔は俺の思考を遮った。
「そんときなぁ、俺は北の方の国にいてなぁ。夜、街中ふらふら歩いてたら、前からきたおねーちゃんに『ちょっとそこのお兄さん、私道に迷って……』って話しかけられてな。んでな、一緒に歩いてたら、突然おねーちゃんが俺に抱きついてきてよ。そのときの胸の感触は……」
そこで俺の意識は途切れた。
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