第二十一話 下準備


 四月最終日――

 今日で主人との仮契約期間が終了し、来月となる明日から本契約を結んだ主人との学校生活が始まる。


 本契約で使用人を変更する主人は三割以下らしい。

 大半が仮契約期間内で主人と信頼を築き、本契約を結んでもらえることが多いようだ。


 だが、安心はできない。

 今日はクラス交流会パーティーが開催される日であり、下手すれば信頼を一気に落とすこともあり得る。


 今日が一番気合を入れなければならない日だ。

 そう思った俺は鏡の前の自分に向かって拳を突き出した。

 いやこのポーズめっちゃダサい。


「ほ兄ちゃん、スーツ姿カッコいいです!」


 くろ様から頂いた高級スーツ姿に着替えると、りんが目を輝かせて抱き着いてくる。


「これオースティンレッドの高級品なんだって。きっと何十万とかするやつだ」


「ステーキ何キログラム分ですか?」


「ステーキで換算すんなっ」


 服装は完璧だが、俺にはパーティーなるものへの出席経験が無い。

 ある程度のテーブルマナーは勉強してきたが、不安は拭えない。


 ミスが出ないように、なるべく食事は控えてトークに専念しよう。

 今日は楽しむという考えを捨て、受験のような感覚で集中力を維持するのがベストだ。


「ほ兄ちゃん……何をしているのですか?」


 胸ポケットや収納スペースが多いスーツにハンカチ等を詰め込んでいると、凛菜から白い目で見られてしまう。


「ハンカチは紳士の必需品でもあるからね。何枚あっても足りないよ」


「いや、一枚でいいですよ。せつかくの高級スーツなんだから、ポケットぱんぱんにしない」


 ハンカチがたくさんないと落ち着かない。

 二枚以下になると禁断症状が出てしまうのが俺のさがなのだ。


 まいに返すのを忘れた手錠や、あかさかから没収した拳銃もポケットに入れておこう。

 四月最終日ということもあり、何が起こるかわからないからな。


「凛菜もこれからどこかに出かけるのか?」


 出かける準備をしつつ、大きなスケッチブックに文字を書いている凛菜。


「国会に法律改正のデモをしてきます」


 反抗期が始まったと思ったら、まさかの国に反抗し始める凛菜。


「何の法律に異議を唱えるつもりなんだ?」


「今のままでは兄妹きようだいで恋することは倫理的に厳しいので兄妹では結婚できない法律を改正し、兄妹でも結婚できる世の中にして世間の倫理観を変えていきたいと考えます」


「その行動力を他にかそうな。料理覚えるとかにしてほしい」


 本気の目で宣言している凛菜。

 そういえば最近、法律の本を買って勉強していたな。


「安心してください。年末には法律が改正されて私との恋ができるようになりますから」


「新時代の幕開けかよ」


 凛菜はまだこの世界の理不尽というものを知らないのだろう。

 その内、世の中のことを知って無駄な希望は持たなくなるに違いない。


「それじゃあ、行ってくる」


「はい、気をつけて……あれ、早くないですか?」


「一流の使用人は、三時間前行動が基本なのさ」


 学校から一度帰宅はしたが急いで家を出る。


 十九時から都内の高級ホテルを貸し切ってクラス会のパーティーが行われる。

 黒露様の側近である執事から交通費として一万円を頂いている。

 学校外での行事ということになると、使用人の拘束権は無く、交通費等の費用は主人が負担する形になるのだ。


 ぜいたくにタクシーで指定のホテルへと向かう。

 俺が集合時間よりも早くホテルへ入ることを隠すため、ホテルの駐車場ではない別の位置で降ろしてもらうことにした。


 会場はお台場に近いブーリンホテルという場所だ。

 事前にホテル会場の全貌を把握し、パーティーに備えて仕掛けなければならないことがたくさんある。


 パーティーが始まる前に勝負は始まり、パーティーが始まる前に決着をつけるんだ。



     ▲



「着いたぞ」


 草壁の声が聞こえ視界に光が差し込み、窮屈な空間から解放される。


「ここは?」


「ホテル七階の女性用更衣室だ。他に客人もいないし、使用人に着替える生徒は少ないから安全なはずだ」


「助かる」


 身体を伸ばして開放感を得る。

 キャリケースの中に隠れるのは数分でも辛かった。


「何故、隠れてホテルへ入る必要があったんだ?」


 事前に草壁に手伝いをお願いしており、キャリーケースに隠れた俺を運んでくれた。

 そして、受付は通らず、ホテルへの潜入に成功する。


「受付を通ると名簿にチェックマークを入れられるからね。それで誰が先に入って対策をしているのかがバレる危険性もあるし、事前に俺がホテル入りをしていたら柿谷に警戒されてしまう」


「なるほど。念には念をというやつだな」


「そういうことだ。協力してくれてありがとな」


 ホテルに隠れて潜入なんて、まるでスパイだな俺は……

 スパイまがいの行動は男子の憧れだ。

 この前も、ロンドンのスパイ少女たちが活躍するアニメを見て、再びスパイへの憧れを取り戻したところだ。


「別に貴様のためではない。三神様が代表者になってもらわないと、指示している赤坂様の面目がつぶれてしまうからな」


「それでも、味方になってくれるのは嬉しいよ」


「あ、ああ……力になれたのなら何よりだ」


 ホテルの窓から柿谷が来場しているの確認できた。

 やはり、事前に何かを仕掛けるつもりでいるみたいだな。


「片平遊鷹よ、貴様は何者なのだ?」


「えっ、急にどうしたの?」


「使用人一覧の資料を見ても、貴様は何の功績も無く一般的な中学校を卒業してきた凡人に過ぎない。だが、この星人学園で一目浴びる使用人となっている」


 確かに俺は一般学校を卒業してきた、どこにでもいる学生に過ぎない。

 だが、別に俺もただのうのうと生きていたわけではないんだけどな。


「私もそんな貴様には見習うべきものがあるし、感心する部分も多い。本来なら一般生徒が星人学園へ入学したら周りの環境に合わせるのに四苦八苦するはずだ。だが貴様は焦るどころか常に余裕があるようにも見える」


「マジシャンとかサーカス団とか、どんな状況になっても焦った感じは出さないんだ。ポーカーフェイス、常に余裕のある表情を意識している。俺も母親がプロのマジシャンなこともあって、そういうの教わっていたからね」


 最初は興味本位で手品を教えてもらっていたが、いつの間にか熱中して極めるようになっていた。


「それはマジシャンの意識であって、使用人とは関係ないだろ」


「意外とマジシャンと使用人ってのが相性良いんだよ。手先が器用なのもプラスだよ。マジシャンは人の反応を常に意識するし、人の予想を超えて驚かせることもできる。挑戦する度胸もあるし、何かを隠すのも仕掛けを用意するのも得意だしね」


 使用人とマジシャンの求められるものが似ているというのは、自分でも意外なことだった。

 マジシャンとしてのスキルを極めていなかったら、きっと今頃はもっと悪戦苦闘していたに違いない。 


「……言われてみれば、使用人に求められるものがマジシャンと一致している部分はあるな」


「そーなんだよ。マジシャンは使用人の中でも執事よりスキルだけど、草壁が色んな武道や体術を極めているのは護衛よりスキルだから、俺には無い強さを持っているよね。俺から見たら草壁もめっちゃ凄いよ」


「わ、私はその、そうだな……主人を守ることに特化した護衛なら向いているかも」


 俺の言葉を聞いて嬉しそうにしている草壁。

 パワー勝負になったら勝ち目が無いからな。それはもうじゃんけんみたいなものだ。


「話を聞いて、貴様の凄さの源が分かった気がするよ」


「先に言っておくけど、俺の実力はまだまだこんなものじゃないよ」


 ようやく使用人なるものがどんなものなのか実感してきた形だ。


 まだまだやれることはたくさんある。

 もっと黒露様を満足させたい――



「それじゃあ、そろそろ動き始めるとするかな」


「き、気をつけて」


「使用人ってのは常にあらゆることに気をつけておかなきゃならないからね」


「言われるまでもないか」


「そういうこと。だから、頑張っての方が嬉しいかな」


「ぬ、抜かせ」


 頬を赤くして下を向いてしまう草壁。

 まだそこまで会話を重ねたわけではないが、どんな性格なのかは把握できてきたな。


「じゃあ行ってくるね~」


「……が、頑張って」


 部屋を出る直前に、小さな声で頑張ってと聞こえた。

 女性に応援してもらえたのなら、男はそれに応えるしかないよな。


 全ては黒露様のため、全ては黒露様に仕える自分のプライドのため。

 俺は公正を手に入れるため、ホテルを縦横無尽に駆けていった──

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