第47話 ダムザン③~運命の交錯~

 ★★

 「ビダイ物語」に取り込まれている自分に気が付いたワタシは吹っ切れた。


 興味と勢いで飛び込んだこの世界に、いつの間にかどっぷり浸かり、我を失っていた。


 小学校の同級生庄司の言葉は厳しかったが、ワタシの目を覚ましてくれたようだ。


 勝手に乗せていた肩の荷が下り、こらーれの池に展示する作品も方向性が定まってきていた。


 ★

 展示一か月前に黒部入りしたが、羽丸さんの実家をお借りすることは遠慮し、黒部川の川岸にテントを張り生活することにした。


 アトリエだけは、羽丸さんの弟さんに相談して、近所の鉄工所をお借りした。


 制作も徐々にペースを掴んできた矢先、急な大雨で河川が上昇したと情報が入った。


 大雨の中、大急ぎでテントに戻ろうと土手を軽トラックで走っていたら、見覚えのあるワタシのテントと作品の一部が濁流に飲まれていた。


 命が助かっただけよかった。


 テントと作品の一部は諦めた。


 それから、軽トラの荷台に段ボールを敷き、そこに寝泊りする生活をすることになった。


 黒部の夜空の星は美しく、月も輝いて見えたが、囲いが無い軽トラの荷台では、蚊に死ぬほど刺された。


 自分が招いたことであり、宿に泊まるお金も無く、腹を据え過ごすことに迷いは無かった。


 ★

 ワタシと羽丸さんの関係性の悪化は、グループ展を行う仲間たちにもすぐに伝わっていた。


 感受性の豊かな若手女性アーティストは、こんな空気の悪い関係性のグループでは、気持ちよく展示ができないので辞めたいと言い始めていた。


 当初、羽丸さんが提示したテーマ性を受け入れた仲間たちも何人かいたが、それに反発して全くの個人的なテーマで展示を計画する人たちも出てきた。


 羽丸さんが提示したテーマは「繋がる」だった。


 「皆で協力し合って、黒部こらーれの夏を盛り上げ、地域の人たちにアートを楽しんでもらおう。」と言った、とてもピュアで捉え方によっては幅広い表現が期待できるものだった。


 ワタシも順当に歩んでいれば、この「繋がる」を意識した作品つくりを行い、気持ちよく展覧会を終えていただろう。


 しかし、今の状態はワタシ自身に、「繋がる権利も余地」も残されてはいなかった。


 気が付くと、「繋がる」ことを完全に拒否された「断絶」がテーマとなっていた。


 ワタシの「ビダイ物語」のスタートは、ヨビコウ時代に住んでいたあずさ荘だ。


 4畳半のぼろアパートで、当時引っ越しを手伝ってくれた父親は、ショックを受けていた程だ。


 ワタシはそのアパートで、「ビダイ」を夢見て必死でデッサンを描いた。


 昼間は予備校でデッサン、アパートでは100枚を超える自画像を描いては、講師だった羽丸さんに見せ指導をいただいていた。


 薄暗いアパートで夜な夜な自分を鏡で見続けた1年間は「ビダイ物語」の原点である。


 1年後、念願のビダイに合格し、ビダイで巻き起こる様々な出来事や経験をしながら、次第に自己意識が肥大化していった。


 あずさ荘の三角コーナの便所で外した大便の姿は、「ビダイ物語」の結末を象徴しているかのように思い起こされる。


 この原点回帰を表現した作品を、黒部こらーれの池で展示することで、ワタシ自身の「ビダイ物語」を完結することになるのではと考えていた。


 直径3mのワタシの顔を発泡スチロールで彫刻し、あずさ荘をイメージした建物の頂点に顔を乗せ、長く細いカマキリのような腕が2本飛び出し、右手には箸を持ち、目の前にある肥大化した夢や希望、自分自身をバクバク食べようとする彫刻を制作した。


 建物の後方からは、三角コーナーで外した大便を模した形態を発泡スチロールで作り、20m繋げて池に浮かべた。


 頭でっかちな欲にまみれた自己意識が、暴走しながら関係性を食いちぎり、排泄するという状況を表したかった。


 題名は「いただきます!」


 前方に広がる夢や希望を一心不乱に求める、純粋で傲慢な自己を表す言葉として使った。


 DMには、大学のアヒルが泳ぐ池に、白ブリーフ一枚を履いたワタシが箸を持ってダイブする写真を使った。


 池にダイブする姿は異様に感じるが、「全ての関係を断絶」する覚悟を表していた。


 写真家を目指していた、加茂くんに、ボランティアとして無理やりお願いした。


 加茂くんは「おっうん、わかりました。」と苦笑いしながら受け入れてくれた。


 全ての迷走はあずさ荘から始まり、肥大化した自己意識をそのまま表すことで、若者にありがちで、人としての普遍的な問題定義をすることができるのではないかと考えた。


 水面でもがき苦しみながらも、前進しかしようとしてこなかった自身の象徴となりえる作品になると信じていた。


 ワタシには失うものが何もなく、最高の「断絶」ができると考えた。


 すったもんだの問題を抱えたまま、グループ展の準備と個展準備が整い、展覧会がスタートした。


 羽丸さんは前日、何事も無かったように、展示会場をチェックし準備をしていた。


 周囲とのギクシャク感は半端なく、ワタシも自分の作品を見てほしいと声は何度かかけたが、反応は無く、そのまま東京に戻ってしまった。


 会期中は昨年度よりも客足が増え、反響も良かった。


 ある日、ワタシのDMを見たという富山の青年が、いきなり話しかけてきた。


 眼鏡をかけた線が細そうな青年の声には張りがあった。


「ボクは芸術をやろうと志してきたけど、一歩が踏み出せないんです。皆さんがボクと同じくらいの年齢でこんなに凄いもの作っているなんて感動しました。」とその声には勢いがあり、新鮮だった。


 その青年吉沢くんは、高校卒業後、工場で働いていた。


 いつか美術をやりたいと300万円を貯めたそうだ。


 工場を辞め、図書館で美術書を読んでいた時に、ワタシがブリーフ一枚で池に飛び込むDMを見て、黒部こらーれまで来てくれたとのことだった。


 ワタシが「ビダイ物語」から離れようとした作品に惹かれ、美術を始めようとする青年を引き付けてしまったようだ。


 この何とも言えぬ出会いから、吉沢くんは美術を志し東京へ行くことを決心したのだ。


 その後、吉沢くんは日本各地を放浪し、多くの人と繋がり多くの作品を生み出し、名のあるアーティストとなっていく。


 運命が交錯した瞬間をワタシは経験した。


 


 


 




 


 


 


 


 


 


 


 




 


 

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