第40話 トラウマウンティング
★★
ワタシの作品や制作スペースが徐々に拡大し、アトリエ内では納まらなくなった。
校舎のエントランスのような場所ではあったが、人通りが少なく、誰も使っていないスペースだったので、そこに道具や材料を持ち込み制作していた。
ワタシは、次の講評会に向けた作品を制作していると、後ろから声をかけてきた人がいた。
話しかけてくる人がいるなんて珍しいなぁと思いながらも、振り向くと、油絵学科で立体講師をしていた戸山正雄先生だった。
戸山先生はチェーンソーで木材を削ることで成形する彫刻作品を手がけていた、世界でも名が知られている有名な作家先生だ。
もの派以降、「彫刻」の再構築と新たな可能性を探るため、ポスト・ミニマリズムとして、「表面」「境界」「関係」「影」「存在」といった問題に切り込んでいた。
小難しい概念をテーマとしていた。
風貌はひょろりとしていて、目がギラギラしている。
額は限りなく広く、常に酒臭い。
ワタシは行かなかったが、彫刻科の仲間たちは、夏休みになると戸山先生の埼玉にあるアトリエでアルバイトをしていた。
日向井もよく戸山先生のアルバイトに行っていたが、深夜から始まる制作スタイルと、終わりがない戸山さんの長話に疲弊していた。
ワタシに声をかけてくださったときも、少し酩酊していたような雰囲気があった。
「おう、君は彫刻科の学生か。君は、アメリカが好きか?。俺は奴らに一発食らわしたいと思っているんだ・・。」
いきなり、直球だった。
「 いや~。そうですね、アメリカはあんまり好きじゃないですけど、生活スタイルがほとんどアメリカの輸入品で成立しているようなものなので、深く影響は受けちゃっていますね・・。一発食らわしたいかと言われると・・それは無いですね。逆にやられちゃいますから。」
「じゃ、お前の作風は、アメリカ寄りか。」
その時、ワタシは発泡スチロールで抽象とも具象とも言えない気味の悪いものをつくっていた。
「半分半分でしょうか。でもその辺はよく分からないですし、どっちでもよくないですか。戸山先生は、森シリーズとして、丸太をチェーンソウでギザギザにカットしておられますが、あの作品にはどんな意味があるんすか?」
「俺は、田舎が長野の小川村というところなんだ。子供の頃、屋外にあった真っ暗な便所に行くのが怖くてな。小川村は山で囲まれているんだが、真っ暗な闇の中に静かに潜む森の群れに恐れを感じたんだ。それが私が一番初めに抱いた創作の動機だよ。今もそのトラウマをチェーンソウで消し去ろうとしているのかもな。」
ふざけて言っているのか、真面目なのか分からなかったが真相を聞いた気がした。
「ワタシの父も小川村出身です。父の兄が多分、戸山先生と中学校で同学年だったと思います。」
「そうか、君のお父さんは私と同郷か。創作の原点を知ることは大事だよ。頑張ってな・・。俺は今日は休みだ。学生の作品を見に来たんだ。じゃあな。」
立ち上がると千鳥足で去っていった。
戸山先生には同郷ということもあり親近感があったが、ワタシは目が細く額が無いのに対して、戸山先生は目が大きく額が限りなく広い。
住む世界、見ている世界は大分違うだろうなと思った。
★
その後、父の同級生であった、小川村の600年続く通称猫寺の和尚さんに、戸山先生の話をしたら色々調べてくれた。
古い家系図を見ると、かなりの大昔だが、ワタシの父の家系と戸山先生の家系は親戚関係だったようだ。
山に囲まれた何の幸もない小さな村だったが、武田上杉の対戦で、武田に追われた戸隠三院が小川村に避難し、30余年の居住という歴史もあり、謎めいた村であることは子供の頃からよく聞かされていた。
縄文土器や住居跡もたくさん出てきている。
この深い森に、太古の人々は惹きつけられたようだ。
謎めいた村から、世界的な彫刻家が誕生したのか~と感慨に耽ったが、和尚さん曰く、この村に戸山さんの偉業を知るものはほとんどいないそうだ。
世界で有名な人は、割と地元では知られていないことが多々あるようだ。
小川村の人々にポストミニマリズム「表面」「境界」「関係」「影」「存在」なんて言っても、だから何なんだと返されて終わりそうだ。
父の兄は「小川村の深い森を見て、俺はここで何やっているんだ。俺のいる場所はここじゃない。」と言って、東京へ出て人事院に入った。
現在小川村は過疎化が急激に進んでいる。
多くの団塊の世代の人々は、ほとんど村を離れ都会へ行ってしまった。
深い森は、きっと人々を引き寄せたり、人を覚醒させたり、引き離したりする魔力があるのだろう。
★★
卒業展覧会で、ワタシと同郷の院生大久保先輩が、大学中が大騒ぎになる展示を行った。
スクラップした車を横から鉄の棒で串刺しにし、高さ5m付近までH鋼材の土台で持ち上げ、耕運機の動力を使って、スクラップした車をグルグル回していた。
高さ5m付近でゆっくりグルグル回る車の下で、モヒカン褌姿になった大久保先輩はどこかで拾ったラジカセからド演歌を流し、気持ちよさそうに周囲を見渡していた。
講評会では、最神先生の「あっぱれじゃ!」で大久保先輩の評価が急上昇した。
他の学部の教授からも「君は世界で戦えるアーティストになる!」と太鼓判を押されていた。
大久保先輩は、狙い通りと言わんばかりに興奮していた。
ワタシもこんな作品は見たことが無いし、彫刻は大きさじゃないと思っていたけど、大きさと迫力があるからこそ伝わるものもあるんじゃないかと感じた。
相変わらず、富田先輩の作品は、大久保先輩の迫力満点の作品の横にそっと細く薄く白く小さく置かれていた。
「ここは遊園地じゃない、美術大学よ!」と言う講師もいたが、大久保さんの作品の周りを囲む、老若男女問わず、いきいきとした目をした人々の姿をみると、その言葉はか細く聞こえた。
そんな高評価を得た大久保さんだったが、沈着冷静な思考で自己評価をしていた。
「この作品も時代に乗れなければ、ただのスクラップで終わる。」
「オレさ~子供の頃、長野の田舎の畑に捨てられていたボロい車をいつも見てたんだ。周りの奴らと気が合わなくてさ。今オレはこんなガタイで威勢がよく見えるけど、昔は村のガキ大将にいじめられてたんだ。いつかあのボロい車をそいつにぶん投げてやろうと思っていたんだ。」
人は人に言えぬトラウマを抱えているものだ。
トラウマを解消するためには、トラウマを打ち消す行為が効果的だ。
アートは自己浄化をする作用がある。
トラウマの大きさと、それを解消する技術が長けた人に、アートの神は宿るのかもしれない。
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