第37話 カトちゃんモガちゃん彫刻祭り

 彫刻科では、先端造形コースと自然造形コースのどちらかを選択することになっていた。


 先端造形コースは、最神久雪教授。


 自然造形コースは、務藤秋男教授。


 務藤先生は、人体など具象物を原型とした、大型の作品を制作されていた。


 もの派(素材感やモノの在り方を見直した抽象彫刻)を牽引する最神先生とは同じ彫刻でも分野が違った。


 務藤先生は大学内で制作されていたこともあり、制作現場を何度か見学したことがある。


 アニメ「アキラ」の鉄雄が巨大化したような人体が、アトリエからはみ出んばかりに粘土で造られていた。


 「務藤先生、この作品デカいですね。アトリエからどうやって出すんですか。」とワタシは素人のような質問をした。


 「これは、そんなにデカくないよ。昔はもっと大きい作品を手掛けていたんだけどね。最近はここまでが限度かな。アトリエで石膏で型をとって、バラバラにしたものを、鋳造屋さん渡すんだよ。」務藤先生はタオルで汗を拭きながら丁寧に話してくださった。


 最神先生の横浜みなとみらいにある巨大彫刻、務藤先生の巨大な人体彫刻と、この大学の教授たちの作品はとにかくデカかった。


 他にも、サトシタカノ先生、市川金平先生と現代アート(彫刻の世界)では、有名な方々が多く、こぞって作品がデカかった。


 市川先生は、上腕二頭筋、三頭筋辺りが異常に発達していて、男子学生が3人でやっと運ぶようなH型鋼材を一人で担ぎ上げ、更にその上に女学生を乗せようとしていたくらいだ。


 講評会中など、市川先生の姿が見えなくなり辺りを見回すと、ひたすら腕立て伏せをしていたこともあった。


 「1001回、1002回・・。」と何か特別な物でも食べているのかなというくらい、いつもハイテンションだった。


 市川先生は講師陣の中で一番若かったが、すでに学生の頃から名のある公募展で多く受賞され、最上先生から早くも才能のある学生として、目をつけられていたようだ。


 一度、教授や講師の作品をビデオやOHPで紹介してもらう機会があった。


 市川先生の作品は規模が桁外れで発想が異次元だった。


 大きな鉄板をバキュームカーの形に張り合わせ、細かい穴をたくさん開けた内側から黄緑色の光源を放ち、バキュームがグルグル回りながら室内を満点の星空に埋め尽くすというロマンチックなものだった。


 凄いのはそれだけでなく、趣味で集めたという数々の映画のレーザーディスクの山だった。


 「発想の原点はここにある!」と言いながら、自分の作品紹介よりも映画紹介に力が入っていた。


 あまりにもの熱量に、皆圧倒されたが、次元が違い過ぎて現実味が湧かなかったというのが正直なところだろう。


 彫刻科イコールバカデカい作品という公式がいつの間にか自分の中にカタチつくられていた。


★★

 ワタシは最神先生にシンパシーを感じ、先端造形コースを選択したが、務藤先生のところに話を聞きに行くことがよくあった。


 何となく、アニメ「日本昔話し」に出てくる、優しい爺さんのようだった。


 「ここの学生の作品は好きだな。みんな下手くそだけど、パワーがあっていいよね。型にハマろうとしても、技術がないからハマれないんだな。そこがいいんだよ。」と務藤先生はいつも言っていた。


 「ワタシの作品はどうですか。」と見せると、「なんじゃこりゃ。」と笑ってくれた。


 「真面目にやる奴は彫刻はつくれん。ヤクザじゃないとね。」と神妙な顔で言うときもあった。


 コースが違ったので、少し気を使ってくださっていたのかもしれないが、務藤先生と話をしていると、自然に幸せホルモンセロトニンが出てくる感覚があった。


 日曜日も頑張ろう!と「日本昔話し」を見終えた後のような不思議な感覚・・。


 そんな特殊で強烈な個性を持った教授、講師陣に囲まれていると、学生たちの作品も自然に巨大化する。


 講評会では、単純に巨大化していた作品については、「デカければいいってもんじゃない!」と一括された。


 記憶にある最大級の作品は、数十メートルあるガンダムの下半身だったと思う。


 無類のキャンプ好きの大竹くんが「一番デカいものつくりたい!一番になりたい!」と息巻いて制作したものだ。


 勿論、講評会では「これ、下半身だけ?」と突っ込まれていたが・・。


★★

 通称死体置き場(作品置き場)も、先端・人間コースの巨大化した作品でスクラップ場と化していた。


 ただ、そんな巨大彫刻祭りで盛り上がっている中、その真逆を歩く先輩方もいた。


 ジャコメッティの彫刻はか細い。


 そんなジャコメッティを彷彿とする小さく薄い人体を作っていたのは、院生の富田先輩だった。


 小さく薄いだけでなく、全体が白く存在感を限りなく消したような作品だった。


 巨大化された作品群の横に、細く白い棒が転がっていて、その端に薄く小さな人型がくっついている、そんな作風だった。


 巨大化が本道と思い込んでいたワタシは虚を突かれた。


 ただの反発でそのような形態になった訳ではなく、そこには富田さんの理論が構築されていて、教授や講師も認める存在だった。


 巨大化の巨匠、最神先生や務藤先生からは、「富田、小さくまとまるなよ!」と揶揄されていたが、完全に富田さんの才能を認め育てている様子だった。


 ワタシは改めて彫刻界の摩訶不思議と向き合うことになった。


★★

 富田先輩のように、巨大化とは別の道を歩みだす学生たちが少しづつ出てきた。


 SMの女王のように、日用品や廃材に蜜蝋を垂らし微笑む先輩。


 鉄筋を束ねて放射状にたわませて木のように見せ、一般の方々が黄色い紙に願い事を書き、絵馬のように埋め尽くす。鑑賞者参加型の作品を制作する先輩。


 丸太を削り白物家電や自動販売機をリアルに作る先輩。


 「先端の先端を行け」と最上先生は言っていたが、様々な先端が生まれようとしていた。


 巨大化だけが彫刻ではないと、新しい世界観を追求する雰囲気が、彫刻科のカオス化を促進していた。


 当時、巨大化とは別の道を歩んでいた先輩方は、独自の表現体系を築き上げ、現在もプロの作家として大成しているところに、一つの真実が隠されていたような気がする。


 時代や雰囲気に流されず、表現を真摯に追求した者だけが辿り着ける場所があるのではないかと・・祭りの後を見ていると感じざるを得なかった。


 


 


 


 


 

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