第36話 モガの刺客 アレクサ・・

★★

 今日からしばらく彫刻科で学ぶ「篠村アレクサンダー空海くんだ。ニューヨークから2日前、日本に着いたばかりで、時差ボケで疲れているから、お前たちよろしくな。」


 最神先生はニコニコしながら、半地下にあった薄暗い鉄工場で、素朴な佇まいの彼を紹介した。


 見るからに、どこにでもいそうな純朴そうな日本人であり、きっと海外帰国子女かなんかだろうと皆で話した。


 最神先生は時々、海外のアーティストや学生を連れてきていた。


 彫刻科生に刺激を与えるためだったのかもしれないが、内気で個人主義に陥っている学生が多かったワタシたちと、簡単なコミュニケーションをとること自体が難かしかった。


 昨年留学してきたアメリカオハイオ州出身の「マイク」は、背が高くヒョロヒョロしていたハイテンションな美男子だった。

 

 美大祭の男神輿で大量に日本酒を飲まされた。


 マイクもイケイケな奴だった。

 

 朝方、全裸で道端で倒れているところを発見され、真っ白い背中にはテリーマンと油性マジックで粗く書かれていた。


 彫刻科流のコミュニケーションに、母国の両親は即刻帰国させた。


 結局、うまく交流できず、短期留学を終わらせる学生も多く、受け入れる側の期待が外れることもあったようだ。


 皆、「篠村アレクサンダー空海」の名前に疑問を持っていなかったようだが、ワタシは違和感で頭の中が一杯だった。


 「アレクサンダー?ギリシャかどこかの国を支配したアレクサンダー大王?空海?あの有名な平安時代のお坊さん?」教科書で微かに聞いたことのある、偉人の名前であることは理解できた。


 サッカーで言うと「ペレ釜本」、野球で言うと「ベイブルース長嶋」のようなネーミングであり、そんなウソみたいな名前をつける人がいるのか?と勘ぐり、仲間たちには、「きっと、ビダイに来るに当たって、ウケねらいでつけたニックネームみたいなものだろう」と言っていた。


 村さんは「空海を食うかい。」とつまらないダジャレを本人に言ってみたが、反応は薄かったようだ。


 周りの仲間たちは「アレック」と呼んでいたが、ワタシはあえて「篠村アレクサンダー空海くん」とはっきり呼ばせてもらっていた。


 「篠村アレクサンダー空海くん」はかなり不思議な男だった。


 行動が異常にスローリーで、一緒に学食へ行こうと誘うと、立ち上がるまでに数分かかり、学食に着くまでに相当な時間を有した。


 行動がスローリーで有名だった、日向井と気が合うかとも思ったが、日向井の上をゆくスローリーさだった。


 終電を何度も乗り損ねた日向井が「あいつは遅すぎる!」と苛立つほどだった。


 一緒に話をしていても、猫背でうつむきがちで、たまにゆっくりと顔を上げて笑顔になるくらいだった。


 日本語をよく理解しているのか、あまり理解していないのかさえもよく分からなかった。


 ワタシは直感で、ワタシたちに合う学生を連れてきたんじゃないかと憶測した。

 最神先生がこれまで連れてきたアーティストや学生たちは、妙にハイテンションだったり、プライドが高かったりして、彫刻科の学生に馴染まなかった。

 

 最神先生の狙い通りだったのか、その後、彼は彫刻科内で不動の人気を獲得していった。

 特に話もせず、誰かの制作する姿をぼんやり見つめていることがほとんどで、何か制作をしている様子は全く無かった。


 ワタシがガチャガチャと何かをつくっている最中、気配を感じ後ろを振り向くと、アレックが目を閉じて座っていたこともあった。


 彼の特徴の一つに、分かれ際、深々とお辞儀をする習慣があった。


 彼の丁寧すぎるお辞儀が何度も見たくなり、100m先まで「アレックさようなら!」と何度も言う者も出てきた。


 そんな愚行にも一瞬たりとも腹を立てずに、深々とお辞儀をしてくれた。


 彼は2~3か月ほど日本に滞在し、再びニューヨークに帰ることになった。


 皆、彼と別れることが寂しく、分かれ際は、彼の腰と首の骨が折れ曲がるのではないかと心配になるくらい、お辞儀を強要していた。


 しばらくして、体調不良で長期休養していた鋳造担当の岩山先生が、帰ってきた。

 

 開口一番「アレックはどうだった?」と学生に聞いてきた。


 「いや~礼儀正しく、面白い人でしたよ。」


 「お前たちもあんなパワフルな人物と出会えて幸運だったな!」


 「えっ?篠村あれくさんだーくうかい?ですよね。変わった名前ですね。本名なんですか?全然パワフルさは無かったですけど・・。」


 「そりゃそうだ、あの篠村有司男の息子だからな!名前は一回聞いたら忘れられないな。お前たち、アレックがいた期間、ずっとここで制作していただけでしょ。アレックは寝る間も惜しんで、都内のギャラリーを見て回っていたらしいよ。どこかのアトリエを短期間借りて、制作もしていたらしいぞ!」


 篠村有司男とは、岡本太郎に憧れ、前衛アーティストとしてモヒカン頭でボクシングペインティングをハプニング的に世に発表し、一世風靡した稀代の天才アーティストだった。


 鋳造担当の岩山先生は、東京藝大時代の同学年だったらしい。


 篠村有司男は油絵科で、大学を中途退学し、奥さんを連れてニューヨークに行ってしまったそうだ。


 かなりの極貧生活を送りながら制作活動を続け、現在は年はとったが、エネルギッシュに段ボールを使った数多くの作品を世に送り出している。


 ドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』を見ると理解が深まる。


 「篠村アレクサンダー空海」と言う名は、極貧生活中、毎晩仲間と飲んだくれていたさ中、奥さんに子供ができ、飲んだ勢いで命名したそうだ。


 当初はジャック(ジャック・ダニエル)、ハーパー(I・W・ハーパー)、ナポレオン、ヘネシーが有力であったそうだが、奥さんがウイスキーの名前ではあまりにもということで、世界的に有名なアレクサンダー大王と空海をくっつけたそうだ。


 ほんまもんのアーティストはやることが違う。


 ワタシの両親は命名するときに「小次郎とシノブで迷った」と言っていたが、レベルが違う。


 あのスローリな動きは、ただの疲れだったようだ。


 ワタシたちと行動していないときは、エネルギッシュに活動していたとは、頭が下がる。


 インターネットが大学にも普及し始め、コンピュータ室で篠原アレクサンダー空海くんの姿や作品の画像を検索する機会があった。


 そこには、大学にいた彼そのものの姿と、異常なほどエネルギッシュな絵が立ち並んでいた。


 ニューヨークで個展を開いている様子だった。


 画像に写る素朴な出で立ちの彼を呼んでみたら、深々とお辞儀をしてくれているような錯覚が起きた。


 皆が応援したくなる、もう一度会いたくなる、名前の通り素晴らしい人物であった。



 


 


 

 


 


 

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