第33話 串田の串刺し② 美術狂騒論

 日向井は下駄を履き、楊枝をくわえていた。額には絆創膏を貼り、ジーパンの膝辺りは破けていた。


 ちばてつや漫画のやんちゃ坊主風で、皆から「ヒダチン」と呼ばれていた。


 ヒダチンは東京藝大のデザイン科志望だったが、2浪目、滑り止めで受けた武蔵野美術大学の彫刻科に引っかかった。


 美意識やプライドが妙に高い割には、古風な性格で、昭和初期の若者のような恰好を好んでいた。


 そんな装いから時代遅れのスターと先輩方からはいじられていたが、本人はどこ吹く風、全く気にしていなかった。


 古風なのは恰好だけでなく、行動も怪しく古めかしかった。


 ワタシの彼女宛に「シノブチンとはこういう男だ」と大学での愚かなワタシの姿を書道で培った素晴らしい書体で丹念に描写し、自分の好きなアイドル歌手の曲名とその曲の素晴らしさを長々と列挙した手紙を送りつけていた。


 やっていることの意味は謎だったが、「シノブチン」の近くにいる俺は「シノブチンなんかよりずっと教養がある」という謎のアピールをしていたことが、後々本人の談笑で分かった。


 埼玉の実家から通っていたヒダチンは、よく駅を乗り過ごしたとか、終電に間に合わなかったと言いワタシの家に泊まりにきていた。


 理由はいつも「考え過ぎて、体が動かなくなった・・。」と言っていた。


 食前にも関わらず楊枝をくわえ、怖い顔で、傷も無いのに貼り付けた絆創膏に血が滲んでいる、アトリエの脇にある階段下であぐらをかく青年を見て、話しかけられる者はいなかった。


 ある日、課題制作を終え、アトリエの外で涼んでいると、ヒダチンが「これを見てほしい。」とヨビコウ時代のデッサンを持ってきた。


「これどう思う。素直に感想を言ってくれ。」と近づいてきた。


 東京藝大に充分入れると言われたデッサン力だったそうだ。


 そこには何人か同学年の仲間たちがいたが、皆、賞賛の言葉を送っていた。


 ワタシも素直に「ヒダチン、実力があったのに、ゲイダイ行けなくて残念だったね。」と寄り添ってみた。


 するとヒガチンは、「それではダメだ、デッサン自体を全否定してくれ!」と迫ってきた。


 今までの自分を全て捨てたいとのことだった。


 ここにもヨビコウ時代の病を治療したがっている人物がいた。


 先日、串田先生から教わった、洗脳を解除する技術をヒダチンに試してみようと、とっさにワタシは動いた。


「ヒダチンの言うことはよ~く分かった。」と言い、ヒダチンが何十時間かけて描いたと思われるデッサンを・・


「ビィリ!びぃり~!」


と、破り捨てるボディーランゲージと共に、口で効果音を鳴らした。


 ヒダチンは「あっ!」と目を限りなく大きく開き、顔は見たことも無いような表情になっていた。


 「って、破るわけないじゃん!」とワタシはおどけて見せると、


 ヒダチンは目に涙を浮かべ「そのデッサンは最高傑作だったんだ!何てことするんだ!」と半泣きで怒っていた。


 「ヒダチンは、まだ自分を捨てきれないから、このデッサンを皆に見せてくれたんだね。ヨビコウから動けなくなっていたんだね。ひどいことして、ごめんなさい。」とワタシは謝った。


 皆、ヨビコウにいた時間の意味を大学で探そうとしていた。意味を探すだけで、大学生活が終わってしまう人もいた。


 今までの自分を否定し、新しい自分を見つけるためには大学の4年間は余りにも短かった。


★★

 串田先生の美術教育論で「OHPを使い、行為、光、音を組み合わせて表現をしなさい」というグループ課題が出された。


 一緒に履修していた彫刻科の仲間4人で次回までに準備し発表することとなった。


 これまでの串田節を体感していたワタシは普通のことをしていたら、単位どころか、OHPごと吹っ飛ばされるんじゃないかと恐れていた。


 他の2人、村さん、馬沢も同様にただならぬ緊張感をもっていた。


 ただし、ランランいう女子学生は全く動じていなかった。彼女は目がクリクリした美少女だった。串田節にはほぼ興味を持たず、口をぽっかり開けながら、目玉をグリグリ動かし大好きな漫画を講義中もガンガン読みふけっていた。


 彼女に頼るのは危険すぎる、止めておこうと、男子3人で結束した。


 馬沢は禁煙電車内でカウボーイハットを被り、タバコを吸うような変人だったが、妖精のような精練された魂の持ち主だった。


 馬沢のアイデアはビニール袋に金魚を数匹入れ、長渕剛の「命」をBGMに、OHPの上でビニール袋を動かし、カラーゼラチン紙の色を変えていくというものだった。


 何とも神秘的で、小さな命が揺れ動く表現は、串田先生もきっと感動してくれるものだろうと踏んだ。


 私たちにとって串田先生は教職課程の教祖となっていた。


 「これは、前衛を超えた感動だ!」と3人で声を上げた。


 馬沢はそのころ、「クリオネ」を見に池袋サンシャインの水族館へ、よく行っていたようだ。動植物を愛する彼ならではの発想が秀逸だった。


 講堂での発表当日、この風景どこかで、見たことがあるなぁと記憶がフラッシュバックした。

 

 小学校時代、漫画クラブで、授業参観日にOHPを使った漫画の発表(第16話)をしたときの情景が浮かんだ。


 ふと、教室内の笑いを全てかっさらった「おりちゃんの発表」を思い出した。

 

 おりちゃんは口から唾を飛ばし、棒人間が冒険しながら谷や池に落ちるという至ってシンプルな表現を、アートの領域にまで高めていた逸材。


 あれから10年、ワタシには心強い仲間たちがいる。この人生2度目のOHPの発表でコケルわけにはいかない。そう自分に言い聞かせて発表に臨んだ。


 ワタシたちの発表は予想以上に評判がよかった。


 不安定に動くビニール袋の中で泳ぐ金魚たちが大きなスクリーンに映し出され、他の学生たち、串田先生の心を温かく動かした。


 串田先生は「素晴らしいわ!小さな命の美しさ、いや小さくなんかない、命の平等さや尊さをひしひしと感じるわ。長渕剛はいただけないけど、ナレーションをしていた彼女の声やセリフは一級品だわ!」


 当日ナレーションだけお願いしていたランランは本番に強い子で、高評価を得ていた。


 「まぁとりあえず、単位は大丈夫だな。」と皆で胸を撫で降ろしたが、ワタシは心のどこかで、まだ安心してはいけない不穏な空気を感じた。


 ワタシたちの発表の後に「串田先生、僕はグループがつくれなかったので一人で発表していいですか。」と、日本画科の冴えない男子生徒が手を挙げた。


 串田先生は「一人でもいいわよ、時間がないから急いでやってちょうだい!。」と急かした。


 日本画科の男子生徒はOHPの操作が苦手なようでかなり手こずっていたが、ワタシの悪寒は的中した。


 OHPで流されたスライドは、釣竿を持った青年が、尾崎豊の「十五の夜」をBGMに山をジャンプしたり、谷に落ちたり大きな魚に食われたりする場面をギコチナイコメントを添えながら発表する単純明快なものだった。


 これは、おりちゃんのパターンだ、やばい、もってかれる!と思った瞬間、講堂内は笑いと感動の渦が巻き起こっていた。


 現役前衛アーティスト串田も腹を抱えて、涙を流しながら狂ったように笑いこけていた。


「これ、サイコー!!」串田先生は、今までの全ての発表を忘れたかのように、この日本画科の作品を大賞賛した。


 美術は理屈ではなく「狂騒」なのか・・。


 























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