第3章
解放されたビダイ生
第31話 心理の真理
小平野外展を終え、「謎のオブジェ」を実家に設置してから、燃え尽き症候群のような状態になっていた。
課題制作に身が入らず、大学の食堂でぼ~とコーヒーをすすっている時間が増えた。
「おう!シノブ。」と、近くで親子丼を食べていた、長野県出身で大学院の大久保さんが声をかけてきた。
「野外展のお前の作品はどうなった。」
「実家に持って行きましたよ。」
「ふ~ん。あんなもん立てたら、近所迷惑だろうに。」
「そうですね、でもFRPなんで、劣化は早いと思います。5年もてばいいんじゃないかと。」
「オブジェの口にロケット花火仕掛けてバンバン飛ばせばいいんだよ。それか、あの中に住んで、住民を驚かせるとか。まだまだ、遊べそうでいいなぁ。お前の作品は!」
「シノブよぉ、今暇だったら俺の作品見に来ないか。」
ワタシは大学では、先輩方から「シノブ」と呼ばれていた。
同級生からは「ブー」か「ブーちゃん」だった。
大久保さんと一緒に院生が制作しているアトリエに行った。
そこには直径1mの切り株に様々な人間の顔を彫ったものがゴロゴロと転がっていた。
他の院生の荷物や制作中の作品は、アトリエの隅に追いやられていた。
20面くらいあっただろうか。
「大久保さん、これ一人で全部彫ったんですか。」
「うん。そうだよ。人間の顔って難しいんだ。俺、元々デザイン科志望だったから、どうも表面的な捉え方しちゃうんだよね。」
「そんなことは、ないと思いますよ。表面を超えて、人間の感情の奥深い何かが滲み出てるっていうか・・。」
「祭りで太鼓叩く台あるじゃん。櫓(やぐら)かな。あそこに提灯がたくさん吊るしてあるだろ。あんな感じにこの顔面どもを吊るすんだ。そして、この耕運機で櫓を引きずり大学内を駆け回るんだ。」
大久保さんのモヒカンは上下に揺れていた。
アトリエ内でブルーシートを被っていた耕運機をチラッと見せてくれた。
「皆には秘密だからな。あの軟弱どもをあっと驚かせるんだ。」と目を輝かせていた。
大久保さんはラガーマンのような体をしていて、北斗の拳ラオウのようで、大久保さん以外は皆軟弱と言われても仕方がなかった。
大久保さんのテーマは「祭り」であり、原始的な人間の感情や行為を、地元長野諏訪の自然と脈々と受け継がれてき御柱祭を重ねてダイナミックに表現している人だった。
★★
午前中は講義だった。1,2年で一般教養は大体取り終えていたので3年次は時間に少しゆとりがあった。
心理学の立花先生はいつも講義の始めにビデオの使い方が分からず20分くらいビデオデッキの前をうろつく。
結局、扱い方が分からず事務局の人を呼びに行く。
ほぼそれが毎回の講義で行われる。
立花先生は「俺は毎日腕立て、腹筋、スクワットを1000回やっている。」と言ってから講義を始めていた。
白髪で細く、か弱そうなイメージだったが、そう言われてみると、引き締まった細マッチョのように見えてくるから不思議だった。
ワタシは何度か立花先生が板書をしている隙にサボろうと考え、講義室を出ようとした。
すり鉢状になった講義室の一番隅で、立花先生からはよく見えない位置に座っていたので、絶対にバレない自信があった。
しかし、ドアを出る瞬間に「おい、シノブさん、どこへ行く?」と呼び止められた。
講堂には100人以上の学生がいたが、途中退場する学生がいると必ず名前を呼んでいた。
「俺は一度会った人間は名前も顔も一瞬で覚える能力があるんだ。」と言っていた。
最初は信じられなかったが、町中で立花先生に不意に出会った仲間が、講義を履修していないのに名前を呼ばれたと、驚いていたものだ。
自閉症や知的障害、発達障害のある方々の中に、一部の能力が桁外れに高く優れている「サバン症候群」の方がいる。
要は天才だ。
立花先生は簡単な機械の操作は苦手のようだったが、記憶力は常人を超えていた。
それから、途中退席ができないことを知り、立花先生の話を腹を据えて聞き始めると心理学の面白さを感じていった。
★★
立花先生の講義は難しい心理学と言うよりも「雑談」が多かった。
「雑談」が立花先生の心理学の中央に据えられていた。
雑談の延長から「俺の知り合いに役者がいる。」「ドラマ、ずっとあなたが好きだったで、有名になった冬彦さん役の佐野史郎くんを呼ぶ。」といきなり言い始めた。
立花先生が呼んできた冬彦さんは、本物の冬彦さんだった。
佐野氏は、ドラマのマザコン役の怖い印象とは全く違い、溌剌としたキレのある話し上手な人だった。
若い頃はビダイを目指したようだが、「美学校」という専門学校で学び、その後役者を目指したそうだ。
いつもビデオの操作で四苦八苦していた立花先生は、今日はビデオの操作も無く、佐野さんとのトークで気が楽だ!楽しみ!」と喜んでいたが、マイクの音が出ず、20~30分マイクと格闘していたから憎めない。
★
佐野氏は、冬彦さん役を終えてからしばらく「燃え尽き症候群」になったと言っていた。
立花先生は面白おかしく「冬彦さんのイメージがついちゃったから、苦労してるんでしょ。」といじっていた。
「燃え尽き症候群になったら、また違うことやって燃え尽きればいいんですよ。」
と立花先生が何気なく言った一言がワタシの心に突き刺さった。
「何だ、そんなもんだよね。違う役やってモエツキマース!」と佐野氏は明るくお茶らけていた。
燃え尽き症候群という言葉はよくよく考えると妙である。
物事には終焉があるのは当たり前で、生物はいずれ燃え尽きて死ぬ。
「死亡症候群」というものはこの世に無い。
生きているうちは、一つ燃え尽きた後、次の燃えるものが見つかるまではクーリングブレイク期とも言えるだろう。
そこに悩みや迷いはあって当然。
佐野氏は学生に向かって「何でもいいから、テキトーにでもいいから、やりたいことを素直にやっていれば、道は拓けるんじゃないかなぁ。」とさらりと言っていた。
大学に入ってマンネリ化した制作に飽き飽きしていた頃であったが、身近にいた人々から、次への燃えるきっかけをいただけたことは幸いだったと思う。
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