第30話 異世界なビダイ受験

ヨビコウ生のほとんどは、ゲイダイ(東京藝術大学)を受験する。


国立であり、学費も安く、ネームバリューは日本一。


世界ではほぼ無名だと思うが・・。


センター試験の点数と実技試験(1次試験を通ると2次試験)の合計点数で合否が決まる。


噂ではセンター試験が零点に近くても、実技がスーパーなら合格すると言われていた。


多浪生がひしめく理由も、そういった理由があるのかもしれない。


高倍率であり、どこの学科も20倍~40倍という狭き門。


現役生や浪人1年目くらいの実力では、到底一次すら通過は難しいので、実質の倍率はもう少し抑えて考えられている。


ヨビコウ内では、講評会で最上段に上がっている人たちのみ、積極的な受験を勧められていた。


それ以外は、チャレンジや経験程度の認識しかもたれていなかった。


中段から下段にいる生徒たちは、ビダイ(多摩美術大学、武蔵野美術大学、女子美術大学、東京造形大学)または、芸術学科のある、日本大学芸術学科を希望していた。


ビダイですら10倍~30倍あったので、受かれば儲けもんと言われていた。


団塊ジュニア世代なので、人数の多さにはある程度慣れていた。


地方にも多くの美術系大学は存在していたが、世間をシャットアウトし、身近に存在する講師たちは全てビダイ・ゲイダイ出身。


インターネットがまだ普及していない時代、携帯もテレビも無い閉ざされた環境内では、東京のビダイ・ゲイダイを受けることしか思考は向かなかった。


そもそも、ビダイ・ゲイダイを目指さない人たちにとっては、この妙なビダイ・ゲイダイ志向を理解することは難しいだろう。


ビダイ・ゲイダイに仮に入学したところで、大学卒業後のアーティストとしての活動が保証されている訳では全く無い。


ネームバリューにより、多少は贔屓目で見る人たちがいるかもしれないが、実力と才能が飛び抜けていなければ偽物の毛皮はすぐに剥がされる。


そんな安住とは無縁の世界になぜ憧れ、厳しい受験に向き合うのか謎な部分は多い。


★★

ビダイ・ゲイダイを受験する人たちの性質的な一面として、視覚優位な物事の捉え方をする特徴がある。


見たものを信じる特性だ。


ワタシは高校時代、教育実習生の百田さんからビダイヨビコウで発行されていた「アートユニブ」という本を貰った。


そこにはビダイ・ゲイダイを目指す、若者たちがいきいきと自己表現する写真がたくさん掲載されていた。


いきいきと表現していた写真は、ヨビコウ祭で自由につくった作品であったと後ほど知った。


ビダイ・ゲイダイを受験するためには、妙な言い方だが、個性を捨てて受験で通用する絵を描かないと合格できない。


長野の田舎では、小学4年生では決まってヘチマを描く。


ヘチマを収穫する自分の顔や手を画面に大きく描くことで、収穫の喜びを表す。


小学校の廊下には作者は一人なのかと思うほど、似たようなヘチマ画が並ぶ。


しかし、誰もその異常さを疑わない。


皆と同じようなヘチマが描けたことで、安心し、逆にヘチマを小さく描いたり、自分とヘチマのサイズ感が怪しい子供は肩身を狭くする。


ヘチマ画は大人になるための通過儀礼のようなものだった。


本当の個性を育むのは、お決まりの絵が描けるようになってから、大学ではご自由に・・。


果たして大学で個性は育まれるのか。自由になれるのか。


ビダイヨビコウにもそんな暗黙のルールが存在していた。


ピカソがキュービスムを生み出したのも、途轍もないデッサン力という基礎があったからという見方をする人が日本人には後を絶たない。


日本には型から入るという文化的な習慣や思考が色濃く残っている。


無意識のうちに目にした、ヨビコウ生のデッサンや作品に、強固な型を感じ取り、進むべき道に誤りがないと思い込む。


ヨビコウ生には、そんな心理状態が少なからずあったのではないか。


皆ができること、型(嘘)を表現しきる筋力があってこそ、本当の自由が手に入る。


型と表して、自分に嘘をつく行為を若いうちにやってしまうのだ。


嘘をつき通す筋力をつけないで自由を得ることは、門外生である。


そんな「マッチョ思考」の若者が当時多かったのではないかと推察する。


マッチョ思考とは、男性がもつという「強靱さ、逞しさ、勇敢さ、好戦性」といった性質を基礎とした思想や信条、行動をあらわす言葉。


マッチョ思考になっていった若者は、偏差値教育の被害者であったのではないか。


高倍率のビダイ・ゲイダイに入っている人間はそれを達成した象徴であり、皆が盲目的にその人たちやその生活に憧れていった。


★★

ワタシは東京藝術大学、多摩美術大学、武蔵野美術大学の彫刻科を受験した。


センター試験の勉強はしたことが無く、センター試験前日に日本史、世界史のどちらを受験するか決めたくらいだ。


多摩美術大学、武蔵野美術大学は英語と国語のみの学科試験があった。


学科の難易度は中程度だったが、高校を卒業して1年もたち、基本的な英単語や文法も忘れていおり、かなり手こずった。


3大学全て、石膏デッサンが課された。


冬期講習、受験追い込み講習を経て、多少自信もついてきてはいたが、講師陣たちからは150%の力を出さないと難しいかもしれないと言われていた。


講評会では、中段の左右を行き来していた。


武蔵野美術大学を受験する朝、鷹の台の駅を降り、電気屋のテレビから流れるどこかの情報番組の朝の占いを目にした。


駅を降りる受験生は沢山いて、並行して歩く油絵学科の生徒は旅行鞄を乗せるキャリアに油絵道具やキャンパスを乗せていたため、ガタンゴトンと音を鳴らせ、鷹の台の商店街は異様な光景を醸し出していた。


そんな喧騒の中、テレビの中の綺麗なキャスターが「牡羊座は第1位。ハッピーな一日になるでしょう。」と読み上げていた。


占いなんて1年ぶりに見たが、きれいなおねえさんがそう言うのだから、間違いないと思い込み、肩の力も抜け、デッサンは今まで描いたことがないくらい集中し自分でもある程度満足できた。


長野の彼女からは前日に千羽鶴が送られてきた。


受験後ヨビコウに帰り、試験の内容を講師陣に話した。


今まで一度も描いたことのないレリーフだったため、新鮮な気持ちで取り組めた。


意外にも冷静だったため、細部に渡って再現デッサンを行えた。


「多分合格している。」とワタシは胸を張って言っていた。


東京藝術大学と多摩美術大学は周囲のデッサンに気を取られ集中できず、最低なデッサンを描いてしまった。


合格発表は郵送であずさ荘に送られてきた。


頑張った1年間を思うとあまりにも薄っぺらな紙に「合格(補欠)」と書かれていた。


一年間ピンと張りつめた緊張の糸が少し緩む感触を味わった。


後々、ワタシの点数を知ることができた。


学科は100点満点中、英語60点、国語50点。


デッサンは300万点中290点だった。


学科がもう少し取れていればすんなり合格だったらしい。


ビダイ合格者の中には、多摩美術大学、東京藝術大学など他の大学と合格が重なる者が割合と多い。


補欠イコール合格と認識していた。


その後、大学事務局で補欠合格を電話で自動アナウンスしていた。


アナウンスを小まめに確認していた彼女から合格の連絡が来た。


内心喜びは爆発していたが、なぜか実家の両親には「2浪してゲイダイに入るから。」と公衆電話越しに強い口調で言っていた。


大学の事情など露も知らない父親は口をつぐんだ。


国立と私立とでは学費の額が桁外れに違う。


マッチョ思考に汚染されていたワタシは、ここでゲイダイを諦めたらダメな人生になると思い込んでいた。


後、数年受験してどこも受からないじゃないかという不安より、自分の信念を曲げることの方に恐怖を感じていた。


そんなワタシの思考を修正してくれた人がいる。


「おれも、ビダイだよ。君が後輩になるんだね。お前はビダイタイプだよ。」


水木しげる漫画のサラリーマン風講師の一言で気持ちが変わった。


ズルズルと多浪を重ねても、らちが明かないタイプとして認識されていたのか。


ゲイダイで古典的でアカデミックな教育を受けるような人材には性格的に成りえないと判断されたのか。


ワタシを一年間見てくれた恩師のアドバイスを受け入れた。


拘りを捨て、新しい世界を見てから色々考えようとふっきれた瞬間だった。


浪人1年目で、思考にも柔らかさが残っていたことが幸いだったのかもしれない。


★★

仲のよかった村さんはゲイダイの1次を通ったが、2次には遅刻して満足のいく制作ができなかったようだ。


村さんらしいエピソードで笑えた。


ワタシと同じ武蔵野美術大学に入った。


コバさんは、有言実行、東京造形大学、武蔵野美術大学とサクッと合格したが、実家の事情もあり、金沢工芸大学に行くことになった。


「村上龍の出身校へ行くのが夢やった。」が口癖で、皆と武蔵野美術大学に行きたかったと涙ながらに言っていた。


クールなようで一番人情に厚かった人だったのかもしれない。


ゲイダイに合格したのは、講評会で上位を占めていた面々だった。


エリート講師陣の見る目は、ある意味間違えてはいなかった。


その後、ワタシがいたヨビコウで、ビダイ・ゲイダイを卒業して、アーティストとして活躍している人は何人いるだろうか。


合格したものは、あずさ荘を出ないといけない。


引っ越しの準備をし、立川高校のグランドを見つめながら「一コマ進んだなぁ。」と独り言を言っていた。


あずさ荘からは何人か合格者が出たが、多浪を重ねる先輩も多くいた。















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