第29話 坊主頭の真相

正月休みを数日実家で過ごし、四畳半のあずさ荘に戻ってきた。


長野の凍てつく寒さに比べれば、東京立川は暖かい。


明日から冬期講習会が始まる。


早く寝て備えようと万年床と化していた布団にもぐり込んだ。


夜中、顔の辺りをもぞもぞと何かが触る感触があり、気味が悪くなり電気をつけた。


パタパタと狭い室内を飛び回るのはゴキブリだった。


土壁を見渡すと、2,3匹張り付いている。


立川は気温が高かったようで、家を数日開けた期間、生ごみが発酵していたようだ。


ねずみじゃないからまぁいいかとそのまま電気を消した。


数日後、ねずみとも対面することになったが・・。


★★

気合を入れて朝早くにアトリエへ行くと、正月休み前までロングヘアーだった正美さんが丸坊主になってデッサンを描いていた。


正美さんは有名私立大学附属高校出身のお嬢様だった。


3浪目だった。


描いている木炭デッサンに違和感を感じよく見ると、画用紙全面真っ黒に塗りつぶされていた。


「お、お、おはようございます・・」と少々どもりながら正美さんに挨拶をすると、


「やぁ、ちゃんと長野から帰ってきたんだね~。えらいね~」と返答はいつもの正美さんだった。


ヨビコウの彫刻科に所属する男子は坊主でひげもじゃの割合が高かった。


正美さんは、木炭の粉でどこかしら口元も黒ずんでいて、坊主で髭もじゃのような印象となっていた。


「正美さん、頭どうしたんすか?」と勇気を振り絞って聞いてみた。


「う~ん、何だか分かんないけど、気分かな・・」


あまり触れてほしくな雰囲気だった。


「君、いきなりだけど、死後の世界を信じる?」正美さんは時々スピリチュアルになる。


「死後の世界があったらいいなぁとは思いますけど、きっと過去の人間や動物、恐竜、細菌やウイルスがうじゃうじゃいて、気味が悪そうですよね。」とワタシは答えた。


「はは・・面白い、君は変わった考え方するよね。」


「私は、人間は皆悪いことして生きているから、全員地獄行きだと思っている。」正美さんの目は遠くを見ていた。


「確かに!朝食に目玉焼きを食べてきました。鶏の子供を何にも考えずに食ってる自分は罪深いですよね。でも、地獄で悪いことしたら、その後はどこに行くんですかね。ちょっと興味あります。熱湯ガマで温泉パーティでも開いたら面白そうですね。」ワタシは無理やり笑いに変えようとした。


「なにそれ!君は、地獄でも楽しんでいそうだね。うらやましいわ~。」


そんな話をしていると、ぞろぞろとアトリエのメンバーたちが入ってきた。


正美さんは、入ってくるメンバーを一瞥して、ささっと出ていってしまった。


皆、正美さんのヘアスタイルを見ると、驚いた顔をしてお互い目を合わせていた。


★★

巷では、丹波哲郎の「死後の世界、大霊界」がブームになっていた。


丹波氏の独特な勢いや、テレビや報道の印象操作の影響から、胡散臭さを見抜くことは子供であった自分には難しかった。


「ノストラダムスの大予言」も多くの人々、特に若者の視野には入っていた。


「世界が破滅する前に食べたいものは何?」と何度聞かれたことか。


ワタシは「とんがりコーン」とテキトーに返答していた。


街頭では、白いワンピースを着た男女が「幸せになりませんか」と妙なチラシとポケットティシュを渡してくる。


時代は阪神淡路大震災やバブル崩壊を経験し、終末思想的な言論が多く見られるようになっていた。


新興宗教団体の増加も、その影響が強く出ていたのだと思う。


ヨビコウでも、何人かが急に受験をリタイアした。


ビダイ・ゲイダイ受験を諦め「幸せになれる団体」に入ったと噂で聞くこともあった。


★★

冬期講習が始まり、仲間だったアトリエのメンバーも受験では敵同然。


仲間が講評会で高く評価されると、しきりに焦りを感じていた。


あれから、正美さんは姿を現わさなかった。


ワタシはライバルが一人減ったとは思わなかった。


正美さんは、誰がどう見ても高倍率のゲイダイに受かる実力者だったからだ。


「受験間近かになると、精神を落ち着かせ、モチベーションを緩やかに保つためにヨビコウへ来なくなる生徒がいる。」と講師たちは言っていた。


「大体最後まで悪あがきをしているような奴は落ちる。」とワタシを見ながら水木しげる漫画のサラリーマン風講師はにやけて言っていた。


何となく、ワタシは正美さんのことが心配だった。


★★

一か月ほどたち、講評会を終え、皆でアトリエ前の喫煙所で話をしていたら、暗闇の中から白いワンピースを着た正美さんが現れた。


立川は暖かいとはいえ、夕方になるとさすがに冷え込んでいた。


正美さんは、けばけばしいニット帽を被り、自分の体より少し大きい目玉がギョロリとした黄緑色の気味の悪い人形を抱えていた。


「こんばんは、みなさんお元気?」テンションが高かった。


「あのね、ずっと休んでいたけど、ビダイ受験はやーめーた。」


コバさんはタバコを吸いながら「ホンマに!」と驚いていた。


周りにいた女子たちも「え!」と目を丸くしていた。


ワタシは人形を抱える笑顔の正美さんに少し恐怖を感じた。


村さんは「ニット帽いい色してるね。」と空気が読めなかったようだ。


後日、正美さんのことをよく知る仲間から、


「正美さんは最近失恋したんだって。どうやらビダイかゲイダイに彼氏がいたらしい。元々、お勉強の方はトップクラスだから、国立大学やどこかの私立大学の教育学部美術科みたいなとこに志願変更したらしいよ。ビダイ・ゲイダイじゃなければ、毎日デッサンの腕を上げる必要はないからね。」


ワタシの勘が外れてよかった。


あの人形は正美さんが死後の世界に道連れにするか、ニット帽は新興宗教団体へ入信するためのカムフラージュではないかと思い、一人不安になっていたが、別の大学を受験すると聞き安心した。


でも、ここまでやってきて、ビダイ・ゲイダイを諦められる思い切りのよさに正美さんの芯の強さを感じた。


世間をシャットアウトし、毎日デッサンをしていると、ビダイ・ゲイダイに入ることが全てになってくる。


ビダイ・ゲイダイを妄信するワタシたちの存在はかなり危険な団体と近いものがあったと思う。


当時、母親から「あんたは東京に行ってから、おかしくなった。ビダイ・ゲイダイが全てではないんだよ。」とよく言われていたが、


「母親は何てことを言うんだ!」と心の中で憤慨している自分がいた。


新興宗教に興味本位で通い始め、周囲の説得も聞かず、入信してしまう若者たちと構図は同じようなものだった。


社会が抱える不安を、少なからずワタシも抱え影響されていたことが、随分たってから分かるようになるのだが。























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