第28話 メーテルの怒り

ビダイを目指す若者の中には女性の割合が多い。


特に油絵画、日本画、デザイン科では女性が半数以上を占めている。


彫刻科は男性の方が多かったが、女性も増え始めていた。


彫刻科の講師陣は8人中女性1人。


その一人がメーテル風のスレンダーな女性講師、通称スーさんだった。


相手が誰であろうが、ヨビコウの生徒であれば容赦なく厳しく指導する気の強い人だ。


ワタシのように素人まがいは、デッサン中、スーさんに数時間かけて描いた絵を全て消されたとしても文句ひとつ言えなかった。


「何度も言うけど、ここの形変だよね。ちゃんと見たの?やる気ある?」


「はい、分かりました。頑張ります!」といつもそう言うだけで精一杯だった。


少しでも言い訳じみたことを言うと、


「なにそれ~言い訳?君の手が持っている木炭は言い訳しないよね。」と突き詰められる。


木炭とは、デッサンを描く道具であり、炭になった小枝のようなもので絵を描く。


木炭デッサンを消すときには食パンの腹で消す。


スーさんに言われていることはいつも的確であり、絵とモチーフの形のゆがみを何度も何度も指摘してくれた。


スーさんに指摘をされてもその通りに直せない自分に腹が立ち、食パンの耳をかじって悔し涙を浮かべたものだ。


多浪生の中には、スーさんの指導に対してあからさまに「ムスッ」とする人もいた。


スーさんは「くだらないプライドを捨てないと、いい作品はつくれないぞ!」と意固地になった生徒に声をかけていた。


講評会で、一番若かったスーさんが生徒の絵に対して、論理的で厳しい指摘をすると、一緒に講評していたベテラン男性講師たちは、口をつぐんだ。


スーさんを超える言葉や表現を探しているようだった。


スーさんはゲイダイの院生であり、学生ではあったが、数多くの賞を受賞していた。


見た目は、華奢なお姉さんという雰囲気を醸しだしていたが、その身体のどこに塑像や木・石を彫刻するパワーが潜んでいるのか不思議で仕方なかった。


長野の田舎で育ったワタシは、カルチャーショックを受けていた。


★★

ある日、珍しくスーさんがイライラしていた。


普段、スーさんと個人的な話をすることはほとんどなかったが、ワタシのデッサンを見ながらおもむろに語り始めた。


「君が羨ましいよ。男だって言うだけで、社会では特別待遇されるんだから。私なんて彫刻科の院生になって、男の人たちに負けないようにやっているつもりだけど、男性社会からはつま弾きなんだよ。同じ男子学生には、女に彫刻をやる資格がないとまで言われた。悔しいよね。」


半分笑い、半分怒りで頬の皮膚がピクピクしていた。


「先生、そんな奴らに負けないで、頑張ってください。」としか言えなかった。


ワタシは男として今まで、のほほんと生きてきたが、スーさんの言う通りこの世は男性社会であるのかもしれないと思った。


ワタシはただの偶然で男として生をうけた。


偶然だけで、世の旨味をその時々で独占してきたのかもしれない。


確かに大学受験を許されたのは、長男のワタシだけだった。


妹はワタシと同じようにビダイを志したが「女の子だから大学へは行かなくていいよね。」と両親に説得され諦めた。


ワタシの彼女もワタシより成績は随分よかったが、父親に上京は許してもらえず、地元の看護専門学校へ行った。


才能や能力、実力があっても、女性にとっては力を伸ばしきれない環境が日本にはあるのかもしれない。


小・中学校と給食が余ったら、ワタシは当たり前のようにバクバクと独り占めしていたが、もしかしたらもっと食べたかった女子がいたかもしれない。


サッカー部には女子はいなかった。


女子はマネージャをやり、ヤンキーの脱ぎ捨てたスパイクを整頓していた。


「君に励まされてもね~ありがとう・・」と言い、修正待ちのワタシの絵を直さず、スーさんはアトリエを出て行ってしまった。


★★

彫刻科にいた女生徒たちはスーさんのそんな勇ましい姿から影響を強く受けていた。


お構いなしに、言いたいことを男子生徒や男性講師陣にぶつけてきた。


坊主で髭もじゃ、オーバーオールやツナギを着た、いかにも彫刻科男子に怯むことは無かった。


ワタシは障がいをもっていた父親の言葉を思い出していた。


「社会的弱者は強気でないと!」


弱気なワタシは強気な女性陣たちからたくさん叱られ、たくさん励ましてもらった。


でも、生きているだけで優遇されてしまう男性である以上、女性の気持ちになって生きていかないといけないと思った。


★★

村さんと、コバさんとワタシで、女性について考えたことがあった。


男性目線でいる限り見方は変わらないと話し合い、女装大会を企画した。


馬沢も呼び出し、誰が一番女性になりきれるか、競い合った。


女性を知る上で、形からではあるが近道ではないかと考えた。


単純な発想だが、不器用ながらも、彫刻家を志すためには必要な視点であると思っていた。


普段、革ジャンとジーパン姿の一番男臭い馬沢が断トツで女性的だった。


皆の結論は、男性も女性も極めれば同じなんじゃないかということ。


人間はある境界線を越えたら交わりあえるんじゃないか。


中学校の修学旅行で見た、国宝 菩薩半跏像は性を超えた存在である。


確かに若い頃は、男性女性の区別が見た目や振る舞いで分かるが、年寄りになると男性女性の区別がつかなくなってくる。


社会の垣根が緩み、男性社会が改善し、女性が生き生きと活躍する世界は理想だが、男性性を突き詰めることで女性が際立つとも考えられる。


20年前はそんなことを考えていたが、今は男性も女性も強く区別しない社会になりつつある。


性を際立てる発想は古くなった。


境界線がゆらぎ、中性的な性が増えてきた。


若者は菩薩的である。


威張る男子が減り、肉食系から草食系に変化してきた。


20年前の予想を超えて時代は変わった。


人々は時間と経験を重ねて、思考や思想を理想化する集団彫刻をいつの間にかしていた。















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