第26話 むねキュン

彼女への誤解はその後、コバさんと村さんが解くいてくれた。


彼女は看護学校の定期試験があるということで、次の日ガストで特製本格辛口チゲを昼食に食べ、早々長野に帰った。


★★

夏は人心を狂わすのか、ヨビコウのアトリエでちょっとした事件があった。


四浪後、一度ヨビコウの学費を稼ぐために半年間働き、その後2浪目を経ていた青森県出身のテツさんが、アトリエで死体のように全裸で床に転がっていた。


テツさんの周囲には一升瓶が3本転がっていた。


朝一番で来た、女子高を出たばかりの華奢な子の悲鳴で、講師たちが駆け付けたようだ。


テツさんは口を開けたまま白目をむいていたので、講師たちは死んでいると思い戸惑った。


しばらくすると、主任の勝間さんが来て、


「おい、テツさん、おい、テツさん」と耳元で数回呼び、頬を叩いた。


すると、ゴボゴボと口から得体のしれない液体を吐き出し、むくっと起き上がった。


皆、安堵の表情。


勝間さんは「また、飲みすぎたな、テツさん、しっかりしろよ!」と肩を叩いた。


昨晩アトリエに忍び込み、テツさんと朝まで一緒に飲んでいたヤベッチはバツが悪そうな表情で講師陣に謝っていた。


鬼公園でヤベッチからテツさんの話を聞いた。


「テツさんは、受験や今の生活に大分疲れているみたい。4浪して半年働いてまた2浪だよ。さすがに人間不信になっている。昨日の昼、鬼公園で鳩を捕まえて噛みついていたんだ。俺は昨年のヨビコウ祭で鳩をモチーフに凄い彫刻をつくったテツさんに憧れていたけど、さすがに噛みつくとは思わなかった。止めさせたけどね。」


ヤベッチは元々眉毛が八の字だったのでしょんぼりした顔だったが、今日は口元もへの字になってかなり情けない表情だった。


「テツさんはこの受験って何の意味があるんだろうって言っていた。ビダイ・ゲイダイに入っても一端のアーティストになる人間なんて一握りだし、そもそも、目をつむっても描けるくらいトレーニングしたデッサン力は、もしかしたら自分の大事な個性をダメにしているのかもしれないって考えちゃうんだって。もうオリジナルなものなんてつくれない、何年も石膏像を模刻し過ぎて、何をつくっても石膏像ぽくなっちゃうんだって。」


「この前まで日本学科で講師をしていた村上隆氏、デザイン科の中山ダイスケ氏は世界を相手に現代アートをしているじゃん。あの姿こそが、これからのアートのステイタスなんだろ、じゃぁ、今俺たちが必死こいてやってる彫刻って何なんだ。デッサンがうまく描けたからって何なんだ!塑像がなんだ!って天井に向かって、日本酒を吹き始めそこから一気に2本開けちゃったんだ。」


ワタシはその話を聞きながら、まともなデッサンを一枚も描けていない自分が本当に向かうべき道はどこかなのか分からなくなってきた。


一緒に話を聞いていた馬沢は心優しい男なので、感情移入して泣いていた。


コバさんは「そんなのヨビコウ業界のルールだから仕方ない、ビダイ入ったら好きなことすればいいんちゃう。嫌ならやめればいい、テツさんはアホや!」と一刀両断。


村さんは木炭デッサンで余った食パンの耳をかじりながら「固いけどおいしい」と言っていた。ヤベッチの話には全く興味が無いらしい。


★★

ヨビコウ祭は受験用のデッサンや模刻を一端止め、2週間かけて個人の作品制作をし、一般展示をする。


ワタシはテツさんの話を聞いてから、日々のデッサンに身が入らなくなっていた。


「高校時代実家のテレビで見た討論番組で石原慎太郎氏が、今の日本の教育では、アメリカの若者が生み出したフリスピーさえも思いつかない。そのくらいがんじがらめの教育が個性をスポイルしている。」と言っていた。


悶々としながら、講師に徹夜で考えた作品アイデアを見せて、制作の準備をし始めた。


へんてこなアイデアスケッチだったけど、水木しげる漫画のサラリーマン風講師は「これでいいんじゃん。」とあっさり認めてくれた。


制作過程やペースは人それぞれだった。


コバさんは首のない仏像を木彫していた。


朝から晩まで一生懸命彫刻していたが、どこか不器用で中々形にはならなかった。


村さんは、ふらっとその期間どこかへ消えてしまった。


馬沢は実家の陶芸を手伝うと言って、以前つくった陶芸作品を置いていった。


その中でも2浪、3浪の人たちは手の込んだ彫刻をつくっていたが、テツさんが言いたかったことが何となく分かった。


技術は確実に高いのだが、どこかしら皆同じような作品になっていた。


狭いアトリエ内は、様々な個性が渦巻いていたが、ワタシはどうしようもない恐ろしさも同時に感じていた。


直感で、これは違うんじゃないのかと感じていた。


ワタシは近所の工場から古い水道の蛇腹をたくさんもらってきて、積み上げた。


その蛇腹の頂上に、石膏でつくった脳を括り付けた。


人間と人工物が融合していく、現代の在り方を問う作品にしたかった。


題名は「むねキュン」


YMOの胸キュンを丸パクリし、不気味さと可愛らしさを作品とタイトルの対象性で見せたかったと周囲には言っていた。


関西弁のキツイ酒井ちゃんに「なんやこれ。ごみちゃうん?」とつま先で蛇腹の部分をつつかれた。


小さな薄暗いアトリエの隅っこでいら立ちながらも、自分の作品をつくり上げた満足感で満たされていた。


ヨビコウ祭には一応賞があり、ワタシは学長から「努力賞」をもらった。


後にも先にも、賞をいただいたのはこれだけだ。


努力賞の下にメモ書きが貼ってあった。


「リサイクル賞でもいいかな。でも、君はいい感性がある。今後期待する。」と書いてあった。


隣で3日間でササッとつくり上げた2浪目の立川高校出身のエリートは、大賞を受賞していた。


なぜエリートかというと、講評会で上位3名に毎回入っていたからだ。


そのセンスと集中力はヨビコウ界のイチローと言われ、講師陣からも一目置かれていた。


ワタシの作品を足でつついていた酒井ちゃんも、エリートの作品には一切触らなかった。


努力賞と大賞が並んだ。


立川のエリートは「君の方がおもしろいよ。」とワタシに気を遣ってくれたが、ワタシと同じように鉄くずを使っていた彼の作品はレベルが違っていた。


鉄の棒を大胆に大きく折り、折れた茎に見せた折れ目の最上部に、ひまわりの花を表した自転車の車輪を乗せた。


大小の数枚の鉄板をはなびらや葉としてオシャレに車輪や鉄棒に散りばめた。


夏の終わりを枯れ行くひまわりと錆びた鉄くずで表現していた。


全体を黄色で塗り上げ、薄暗いアトリエの中で一番映えていた。


ヨビコウ祭を終えると、皆自然に受験モードに入っていった。


ヨビコウ祭は普段の鬱憤を晴らすためにも、大切なイベントであった。


いつもうるさい講師陣もこのときばかりは、生徒たちの個性をふんだんに認めてくれていた。

























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