第24話 ヌードモデルと円都(イェンタウン)

ワタシとコバさんで石膏置き場から、ヘルメス(胸像)とブルータス(胸像)を出した。


貴重で高価な石膏像だったので、壁や棚の角にぶつけないようかなり慎重に運んだ。


高校3年生の冬、美術室の隅で埃を被った「あばたのビーナス(頭像)」を自転車の籠に無造作に入れ、家でデッサンをしたことがあった。


埃と元々あばただらけの像だったので、多少欠けたり汚れたりしても誰も気付かなかった。


ヨビコウの石膏像は少しでも傷や汚れがつくと、日本画科やデザイン科からクレームが入る。


粘土や木炭を使う彫刻科は汚れに鈍感であり、デッサンし終えた石膏像は隈なく磨いて返却することが常だった。


ワタシはどうも石膏像が好きにはなれなかった。


その理由として、高校の図書館で借りた、長野県出身版画家、池田満寿夫の「模倣と創造」を読んだことが一因していた。


池田氏曰く、石膏像を描くアカデミックな悪習慣が続く限り、世界の美術界では生き残れないとのようなことが書いてあったからだ。


だが、ビダイに入るためにはこの石膏像を描けるようにならなくてはいけない。


池田満寿夫はゲイダイに3回落ち、受験を諦め世界のアーティストとなった。


アカデミックな教育を否定したからこそ、世界が満寿夫を待っていたのか。


当時モノを知らないワタシはそんな単純思考で、石膏を嫌っていた。


今考えれば、ただ形が取れず、陰影のつけ方が下手くそだったからなのだが。


★★

月に2,3回プロのヌードモデルが地下の狭いアトリエにやってきた。


その日は朝から、皆ソワソワしていた。


モデルさんは生きたモチーフであり、夏の暑い日はエアコンの温度調整や扇風機の角度、冬の寒い日は暖房の調整や温かい飲み物の準備と皆で気を遣う。


色々なタイプのモデルさんがいた。


熟女のオーラを出し、長時間同じ姿勢でも全く平気な人、


昨日からヌードやってますというようなワタシと年がそう変わらない若い女性、


暑い寒いを繰り返し言い、すぐ休憩に入ってしまう人、


男性のヌードは、筋肉質の人が多く、黒く全身が日焼けしていた。


モデルの最中、舞踏なのか気功なのか分からないが、不思議な動きをしていた人もいた。


ガバンの影で、男性ヌードモデルの気功の真似をこっそりする、真面目な丸眼鏡をかけた女子は照れ隠しだったか。


ヌードではないが、お小遣い稼ぎでモデルをやる人もいた。


ワタシの一日アルバイト代の2倍は貰えると言っていた。


円に興味は無かったが、アルバイト感覚でワタシもやってみようかなと頭をよぎったことはあった。


先週、箱根マラソンを走りましたという大学生。


ヌードデッサンが日常になっていたヨビコウの空気感が不思議でたまらなかった。


この都の片隅で、こんな体験をしている自分に酔っていた。


アカデミックを否定していた、池田満寿夫もヌードデッサンは頻繁に描いていた。


やっぱり、人間は面白い。


石膏にはない魅力が満載なのである。


現代アートの世界でヌードデッサンを描く人はいない。


いつの間にか、ヌードは古い表現媒体となっていった。


でも、いつかまた皆ヌードに戻るんじゃないかと思う。


時代は繰り返すから。


そのくらい、人体には不思議が詰まっている。


初めは目のやり場に困ったもんだが、半年もすると、ヌードを描くことがかなり難しいということが分かり、困ったもんだ。


目の前には美しい人間美があるはずなのに、自分の絵といったら・・


たかだか、18歳~22歳くらいの若者がヌードデッサンする様を、ヨビコウの前を走る中央線の電車の中で漫画を読みふけるサラリーマンが見たらどう思うのだろうと想像していた。


世間ではインターネットが流行り始めていた。


数年後には一つ年上のひろゆき氏が2ちゃんねるサイトを開設し世間を驚かせ世界へ飛び出た。


便所の落書きのような罵詈雑言がひしめく2ちゃんねるを否定する人は多かったが、時代を切り拓くときはいつもそんなもの。


ピカソや岡本太郎は古い固定概念を覆してきた。


サッカー日本代表中田英寿は、フランスワールドカップ出場後、ペルージャへ移籍し成功した。


マスコミを嫌いマスコミとケンカし、自分を貫いていた。


ワタシは木炭と鉛筆を握り、そんな先駆者たちのことを気にしないようにしながら、コバさんの美術論やエリート講師を頼りに我が道を模索していた。


時代の波に完全に乗り遅れていることはよく分かっていたけど、「ビジュツ!」こんなに楽しい世界があるのなら、こっちの方がいいやと考えていた。


ヨビコウでのデッサンを終え、夜、立川の映画館で「スワロウ・テイル」を観た。


偶然、さっきまでヌードモデルをしていた子と映画館の出入り口で会った。


モデルの子は「先ほどはありがとうございました!」と元気に挨拶をしてくれた。


ワタシなんかを覚えていてくれるとは、さすがプロだ。


モデルの子はアトリエとは見違えるような服装と化粧をしていた。


モデルの子と一緒にいた男性は「スワロウ・テイル」に出演していた外国人の俳優だった。


外国人の俳優は背が高く、モデルの子と腕を組んでいた。


多分、モデルさんはナンパされたのだろう。


目の前で起きていることが不思議で仕方がなかったが、立川の汚い街が円都(イェンタウン)の世界と重なった。


★★


村さんと吉祥寺駅前のマクドナルドでダラダラしていたら、金八先生に出演していた生徒役の人に会った。


テレビで見るその人は真面目な役だったが、目の前にいるのはパンクロックな出で立ち。


「金八に出ていましたよね。」と話しかけると、


「金八は怖いけど、いいやつだ」と繰り返し言っていた。


大分酔っているようだった。


役者は止め、パンクロッカーになると言っていた。


偶然にも、その後広末涼子と映画出演していた役者にも出会った。


プロデューサーのような怖い顔をした人と話し込んでいた。


声はかけなかった。


同世代で夢を追っている人、すでに夢の中にいる人、


ワタシは何も成していないのに、その人たちと同じ夢の中にいるような錯覚に陥っていた。


熱に浮かされ始めている、そんな兆候が見えてきたのは、この頃からだったと思う。



























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