第23話 限りなく不透明なドリンクバー
昼食休憩になると、アトリエ横の通称鬼公園に彫刻科の面々が集まる。
鬼の顔の滑り台が公園の中央にあった。
一升瓶を脇に、革ジャンをとジーパン姿の男が公園のベンチに座っていた。
ワタシと同じBコース馬沢だった。
馬沢は目をギョロつかせながら、ワタシと村さんを呼ぶ。
村さんはBコースで一番初めに仲良くなった、鹿児島出身の酸の抜けたコーラのような人だ。
馬沢に近づき、「何してるの?飯食った?」と聞くと
「さっきまで、サンタのおっちゃんと話しよった。一杯飲んじゃったけん。」
鬼公園にはかなり癖の強いホームレスが一人住んでいた。
鼻の頭がいつも赤かったので、サンタさんと呼ばれていた。
大概何かに怒っていることが多く、おこりんぼうのサンタクロースだった。
そのサンタさんと一杯やってしまう馬沢の人間性にワタシと一緒にいた村さんも驚いた。
馬沢は福岡出身、伝統のある陶芸家一家のサラブレッドであった。
見た目は細かったが、高校時代は相撲部でインターハイにも出た強者だったらしい。
繊細な性格のため、インターハイへのプレッシャー等々で激痩せし、今に至るようだ。
長渕剛を愛す顔の濃い心優しい男だ。
馬沢曰く、サンタさんはバブル崩壊で会社と家庭を一度に失い、路頭に迷い、ここに住み着いたらしい。
幸せそうな人間を見るとイライラしていたが、馬沢と話をするうちに笑顔が素敵な元社長の表情に戻っていったそうだ。
馬沢を気に入り、賞味期限がかなり過ぎた桃の缶詰をくれたようだ。
昼飯のデザートに、馬沢、ワタシ、村さんでその缶詰をいただいた。
午後、アトリエの小さなトイレは3人で奪い合いとなった。
★★
週に1度、立川駅の近くにあったガストへ行くのが楽しみだった。
24時間営業だったため、夕方ヨビコウ仲間と集まり、朝方まで話し込む。
ワタシはいつも目玉焼きハンバーグを注文し、ドリンクバーでコーラを流し込んでいた。
ワタシは基本的に夜は弱い。
23時ころになると、起きているだけで精一杯だった。
夜型王者コバさんは24時過ぎると本領を発揮していた。
コバさんは滋賀県出身の陶芸家の次男坊だった。
親戚は日本で初めて薔薇を栽培した第一人者、親戚の叔父さんは、パリで彫刻家だと言っていた。
何だかすごそうな家系である。
背が大きく、声も大きい。態度はいうまでもなく・・
鬼公園でも、ガストでも、通行人や客はコバさんの迫力のある大きな声を聞いて、必ずこちらを2度見する。
コバさんの年齢はワタシの3つ上だった。
どこかの大学を辞めてここに来たようだ。
村さんはワタシの4つ上。
ワタシにとって二人は大先輩だったが、二人はビダイ浪人1年目ということもあり、同級生のように接してくれた。
ワタシはそのころなぜか、誰とでもタメ口だった。
そんな無礼なワタシの言葉使いを微塵も気にせず付き合ってくれた心の広い先輩だった。
コバさんは、小説家村上龍に憧れ、いつも24時過ぎたころから村上ワールドの面白さを何度も何度も繰り返し話していた。
「限りなく透明に近いブルー」「コインロッカーベイビー」は読んだことが無かったが、大筋の内容はコバさんから繰り返し聞いていた。
そして、26時頃からは、独自の美術論を語り始める。
コバさんはかなりの種類の本を読破する読書家で、ワタシの知らない美術の世界や、立花隆など当時活躍していた作家のルポタージュについて大きな声でワタシたちに伝達してくれた。
話の内容は難しく、ついていけないことがほとんどだったが、勢いとパワーは彫刻科のアトリエ内でも断トツだった。
ただ、そんなコバさんもデッサンは軒並み普通だった。
ワタシ、村さん、コバさんのデッサンは壁の三段目右下に大体寄せられていた。
最下層は心理的に結束が強まる。
浪人1年目とはそういうもんだ。
どんなに着飾っても、木炭や鉛筆の先からは本当の自分が現れる。
そこのギャップがコバさんのいいところだった。
コバさんはこだわりが強く、エリート講師が言うことにもよく噛みついていた。
「わいは違うと思うねん。わいはこう表現したいねん。」と食い下がる場面が何度もあった。
周囲の人間はエリート講師には歯向かえない。
そこを、ぐいぐいと自分の理論を通す姿は爽快だった。
草間彌生風のねーさんからは、「コバさーお前口だけで、才能ないんだよ、早くうまくなるようにデッサンをベンキョーしたら」と冷たく言われていた。
コバさんはデッサンは上手かったが理論的でないねーさんには全く反応せず、「すんません!と、にこにこしながら軽くあしらっていた。」
ねーさんは始めの頃はそんなコバさんの態度にイライラしていたが、その内、笑ってやりあえる関係になっていた。
★
その後、普通だったコバさんのデッサンも少しづつ変化し、受験間際では急成長、複数のビダイを合格した。
「わいは、サクッと一発で受かるねん。サクッと!」をいつも連呼していた。
ワタシは有言実行型でこういう人もいるんだなぁと感心させられた。
今は若手現代アーティストとして、様々な画廊で個展をする人物となっている。
隣で静かにコーヒーを飲み続ける村さんは、目をぱっちり開いていたが、コバさんの話はあまり聞いていなかった。
全く興味が無かったのだろう。
それが、村さんらしかった。
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