第17話 深夜のビリヤード

ヨビコウに通っていた頃は、立川高校の向かい側にあるあずさ荘に住んでいた。


いわゆるビダイ・ゲイダイ浪人生が住んでいた。


風呂なし4畳半、トイレは台所の三角コーナーのような間取りで、もちろん和式。


しゃがむとお尻がドアに当たり、鍵の壊れたドアはゆっくり開く。


大便を出した後、便器に便が無いときがある。


大概そういうときは便器から外れているのだ。


便器にしっかり沈めたいときは頭を三角コーナーの壁に押し付け、お尻を無理やり便器に合わせるしかない。


蜂の交尾のように。


浪人仲間がよく遊びに来たが、しっかり外している人が多く、後で静かに片付けた。


何回説明しても、うまくできない人はいる。


それは、仕方がない。


そこに住んでるワタシ自身、失敗しているのだから。


風呂は近所の銭湯へ2日に一回行っていた。


行かない日は、台所の水を浴びた。


銭湯には背中にきれいな鯉や龍、歌舞伎役者が描かれた方々が多く利用していた。


「兄ちゃん、お金貸してあげるよ」と風呂上りに言われたが丁寧に断った。


アパートにも「新聞買うて(こうて)」と押し売りの怖い兄ちゃんがよく来た。


「お金無いんやろ、わしが貸してやるから、こうて」とぐいぐいドアに太い足を挟み込み、こじ開けて入ってくる。


今にも壊れそうなドアをゆっくり強く閉めながら、「いりません」と断った。


「死ねやボケ」とドア越しに何度吐かれたことか。


電話が無かったので、〇〇新聞社にクレームを入れることは無かった。


日曜日は2階の部屋から真向かいにある立川高校のグランドを眺めていた。


グランドでは姿勢のよい高校生たちがサッカーの試合をしていた。


前途有望な高校生が輝いて見えた。


ヨビコウに立川高校出身の人がいたが、立川高校は偏差値が70を超えてると言っていた。


あずさ荘の一階に住んでいた3浪中のラサール高校出身の近さんは、

「俺は立川高生より頭いいから、偏差値80超えてるから」と言っていた。


近さんの部屋はごみ屋敷で、臭く、そのごみの中から、くそ難しそうなフランス語で物理を解説しているような本や、フッサールやサルトル、フーコなどの哲学書がゴロゴロ出てきた。


ヨビコウに通っているうちに、意味が無いことに気が付いて、ごみになったんだろうなぁとワタシの価値観で勝手に想像していた。


ワタシがリサイクルショップで購入した洗濯機が2階の部屋に置けなかったので、1階の近さんの部屋の前に置かせてもらっていた。


近さんは「僕の敷地にある洗濯機だから僕も使わせてもらうよ」と言って、2週間くらいたまった洗濯物を突っ込み過ぎて、よく壊していた。


賢いのか否かが全く読めない人だった。


同じヨビコウの彫刻学科にいたので、日中会うはずなのに、1年間で数回しかヨビコウで会わなかった。


その理由を聞いたことがあった。


近さん曰く、「ヨビコウの講師とそりが合わないんだよね」とのこと。


早くそりを合わせてこの生活から脱したほうがいいんじゃないのかなと周囲は思っていただろう。


ヨビコウには東京大学を卒業して、東京ゲイダイを受験したいという人がいた。


有名私立高校で人生を憂い、ビダイ受験を希望した人もいた。


IT社長を止め、ビダイに入ったという人もいた。


ビダイ・ゲイダイには魔力がある。


★★

お昼はチキンラーメンを食べ、テレビが無かったので、本を読んだり、自画像を描いたり、天井の気味の悪いシミを見つめながら過ごしていた。


夕食はソーメン&ソーメンが多かった。


ソーメンをおかずにソーメンを食べる。


おかずのソーメンにはマヨネーズや鰹節をかけている。


結構おいしかった。朝食は米&ソーメンになる日も増えていた。


一年で8キロ痩せたのはこのせいだろう。

★★

夕飯を食べ、ダラダラしていると、コンコンと誰かが訪ねてくる。


「ビリヤード行かない?」村さんの声である。


むくっと起き上がり、自転車をこぎ立川駅から東小金井駅にあるビリヤード場へ村さんと一緒に行った。


村さんからビリヤードの誘いを受けるのは初めてだった。


ビリヤード場に行くと、女性が一人立っていた。


「何だ、そういうことか」


恥ずかしがりやの村さんは、好意のあった女性をビリヤードに誘ったが、間が持たないことが分かりワタシを誘ったのだった。


女性はインド人のような紫色の服をまとい、黒ぶちメガネをかけていた。


アルバイト先で知り合ったらしい。


村さんの美意識を垣間見た。


ワタシも村さんもビリヤードなんて大してうまくない。


一緒にいた女性ももちろん初めて。


朝方まで、へたくそな3人が球をつつき合っている様子を、鼻ピアスをした若い店員も面白そうにこちらを見つめていた。


当時流行していたウルフルズのガッツだぜが妙に村さんのテンションを上げていた。


超絶空回りの時間を過ごした。


その後、女性の話は村さんから聞かなかったので、あれきりだったのだろう。


★★

ビダイに合格すると、あずさ荘から追い出される。


次は国立にあった、あずさ荘よりは少し壁が丈夫そうなセイカク荘に引っ越した。

もちろん風呂なし4畳半。


この頃は、昼は大学、夜は深夜バイトとしてファミレスで働いていたので、アパートにいる時間は少なかった。


朝方の3時ころアパートに帰り、バイト代で購入したテレビデオを日が出るまで観ていた。


数時間寝て、9時頃自転車をこぎ、ビダイの講義と制作に明け暮れる日々。


大好きなビダイで学び、アルバイトをし、一人自由に生活している状態だったので、不規則な生活をしていても苦にはならなかった。


ただ、不規則な生活に慣れてはいなかったので、睡眠不足から精神がおかしくなり始めていた。


その精神のおかしさは、大学での生活や制作にも影響していた。




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