第14話 ヒトの内側
2011年3月11日東日本大震災後は多くの人たちがPTSD(心的外傷後ストレス障害)となった。
ヒトの内側が崩れた。
ワタシの父親はその2か月前に亡くなった。
父親は若いころから弱視で、夜空の星は一度も見たことがないと言っていた。
40歳を過ぎたころから網膜色素変性症という遺伝病ということが分かり視野狭窄が始まった。
一般的なサラリーマンとして我が家の生活を支えていたが、職場での運転事故が増え、些細なデスクワークもままならない状況が続き、25年勤めていた会社を自主退職した。
50歳を過ぎたころはほぼ全盲状態となっていた。町中や夜道を歩くときはワタシと腕を組んで歩いていた。
道端で人にぶつかると、相手を怒っていた。
障がい者を見下す人間を嫌悪していた。
社会的弱者は強気でいくもんだと・・
晩年、父親は「障がいや病気を悪だと思っていた自分がいたが、考え方が変わった」と言っていた。
「今は障がいや病気に感謝している」と言ったときは、我が家の金庫からお金を持ち出した父とは違う人になっていると感じた。
ヒトの内側が変わった。
失業してからは、盲学校へ通いあんま・鍼灸の資格をとり、治療院を始めた。
元来、負けん気の強い父親はその後治療院を軌道に乗せ、家族全員を養ってくれた。
その頃ワタシは中学生であり、父親がそのような身体障がいを抱えていることは知っていたが、収入が無くなり失業保険と障がい者年金で生活していたとは知らなかった。
同じころ母親にも子宮筋腫、顎関節付近に腫瘍が見つかり入退院を繰り返していた。
ワタシはのんきに朝練、放課後とサッカー部に励み、勉強や授業はそこそこに、深夜ラジオを聞く日々を過ごしていた。
両親は大変な目に遭って苦労していたが、ワタシは能天気な性格だったため、それによって内面が崩れることはなかった。
それよりも、好きだった女の子にふられ落ち込んでいた。
妹が一人いただけなので、父親や母親が家にいない日があっても、生活自体はそんなに困らなかった。
毎晩深夜、ラジオから流れる赤坂ヤスヒコや伊集院ヒカルの話に夢中になっていた。
ラジオを聞き終えると、ボウイやコンプレックス、ホテイ、坂本リュウイチ、たまの曲を聞き、深夜窓を開けてビーズの歌を熱唱していた。
近所からはあの家の長男は狂ったと思われていたかもしれない。
★★
父親の大腸がんが見つかったのは、56歳の時だった。余命は半年と言われた。
父親と過ごす残りわずかな時間をどうすればいいのかたじろいだ。
主治医からワタシだけ余命について聞いていた。
両親には伝えなかった。
父親には最後まで希望をもってほしかった。
ただ、その選択は後で間違えていたことが分かった。
父親の命の使い方は、父親のものであるからだ。
ワタシは父親の命の時間を盗んでいたのだ。
母親の子宮筋腫、親父の大腸がんと手術後、医師は必ず家族に切除したがんを見せる。
普段目にしないヒトの体の内側である。
医師は手術後すぐなので、よゐこの濱口ばりの「とったどー」と言わんばかりの興奮状態だった。
ワタシを育てた二人の顔からスタートしたワタシの古い記憶と意識。
二人には表情があり、お父さんとお母さんという違いも3歳ころには分かっていた。
猫とも違う表情や、日々世話をしてくれることから、自分にとって特別な存在、親という概念を得た。
そして、二人の内側の一部を見ることで、またこの二人の違いが分からなくなってきた。
★★
財布の中にはお金が入っている。
お金の価値は時代と使い方で変わる。
ヒトの内側には内臓と心が入っている。
普段よく見えない分、少しでも内側が見えたとき、ちょっと驚く。
ビダイのアトリエの前で制作し、実家の駐車場に設置した作品の上部には大きな空洞がある。
ヒトの内側にあるミステリアスで不可解なものへのアンビバレントな思いが現れているのかもしれない。
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