第6話 生かされていることを振り返る

そんな不思議な体験も終わりを告げた。


大学内で窃盗犯が捕まったのだ。


どこかの大学生が学内に侵入して悪さをしていたらしい。


デザイン科で現代アートのような作品つくっていた学生がその犯人を見つけた。


その学生は彫刻科のアトリエにも何度か足を運んでいた。


ワタシも挨拶くらいはしていた。


デザイン科の人間は彫刻科を北朝鮮と思っている節がある。


方角的には北にデザイン棟、南に彫刻棟がある。


しかし、彫刻棟の南側にはコンクリートの壁があり、その隣には朝鮮大学があるのだ。

朝鮮大学には在日韓国人の方々が多く在籍している。


韓国の北には北朝鮮があるため、彫刻科はそのように思われていたのではないかというのがワタシの推測である。


朝鮮大学との交流はそのときはあまりなかったと記憶している。


その後、アートを通じて交流を図ったという記事をどこかで見た。


隣同士なんだから仲良くすればいいじゃないか。


アルバイト先の親方も朝鮮大学出身の方だったが、なぜか朝鮮大学の学生を雇わなかった。


理由は聞かなかったが、日本人との関係性のあり方を追求していたんじゃないかと思っている。


嫌いな日本人、嫌いになり切れない自分、いじめてやりたい日本人、大切にしたい日本人・・・。


関係性が複雑になればなるほど、お互いの哲学は深まっていく。


今でも朝鮮大学の学生と交流をもてなかった自分の視野の狭さを悔いる。


そう言えば近くに白百合女子大学、創価大学もあった。ビダイ生には近付き難いものがあったが。


デザイン棟にある食堂へ作業着を着た彫刻科が出入りするには勇気が必要だった。


彫刻科の仲間と息を潜めながら、親子丼を静かに食べたものだ。


少しでもふざけた話で盛り上がろうものなら、デザイン科や建築科そして映像科に睨まれる。


少し安堵した。


デザイン科の彼が命の恩人だったのではないか。


デザイン科は冷たい心のどこかで思っていたが、冷たいのはこちらの態度だったのかもしれない。


★★

これまでの人生で何度か入院した。


睾丸に腫瘍ができ摘出手術をしたこと。


剥離骨折をして足首を手術をしたこと。


原因不明の高熱が続き入院をしたこと。


命を救ってくれた医者の名前すら憶えていない。


睾丸をそのままにしていたら、骨折が治らなかったら、熱がひどくなっていたら、

ボロボロの人生だったことは間違いない。


虫歯を20か所治してもらったこともある。


今まで自分の力で生きたのではなく、医療や文明の力で生かされてきたのだ。


生かされてきたという感覚は年を重ねる度に強く感じる。


傲慢さは自然に無くなり、尖ったアーティストになれなくなってくる。


山にいたときはゴリゴリの大きな欲の塊、

町中に流され、角が取れ丸石になり、

海に出るころは丸く小さな砂利になる。


河原の丸い石を集めたくなるのは、自分の人生を見ているのだ。


あのとき紛失した茶色の財布の行方が未だに見つからない。


ほほえむ準備はできている。

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