第5話 ワールドカップの男 2

「みんな、やはり5バックで完全に守備を固めるぞ!」

 監督は一気にシステムと戦術を変更した。

 選手は驚いていたが、ともかくここまで率いてくれた監督の指示だ。

 そして、見事に南米の強豪を打ち倒し、グループリーグを突破した。


「おい、見事じゃないか」

 影のある男が言った。

「しかし、次はもっと強敵だぞ・・・もっと練習しないとな」

 監督は笑っていた。

「どうした、悪魔? サッカーの面白さが分かってきたか? お前は俺の魂にしか興味がないと思っていたが・・・」

 影のある男はむっとして、

「フン・・・ちょっとした余興だ。無論、俺の狙いはお前の魂だけだ・・・」

「悪魔にも分かるのがサッカーの面白さだ」

「フン・・・」

 しかし、影のある男はその後も、監督の練習にしばしば口を出すようになった。

 男はどうやら、監督以外の者には見えないらしい。

「おい、そんな慎重な戦術だけで大丈夫か・・・? よく分からんが、レアルとかバルサとかはもっと攻撃的なんだろう?」

 影のある男は、瓶の中身をグビグビ飲んでいる。

「あっははは、お前もすっかりサッカーの虜だな!」

 監督は一人で笑っているので、選手たちは

「カントクは大丈夫かな?」

「よほど疲れているんだろう」

とざわめいていた。


 さらに、日本代表は破竹の勢いでワールドカップのベスト8まで進んだのだった。


「希代の名将ですね!」

「まさか日本がここまで来れるなんて・・・感動をありがとうございます!」

 やれやれ、ちょっとシステムをいじっただけで、生卵をぶつけていたはずの記者たちはこの有様だ。

 けれど、これがサッカーだ。

 全ては結果論なのだ。

「し、しかしずいぶんとやつれて・・・なんだか年を取ったような・・・大丈夫ですか、監督?」

 まだ四十代の監督はいつの間にか白髪だらけになっていた。

「いや、少し疲れましてね・・・休めば大丈夫ですよ・・・」


監督の部屋。

「フン・・・ちょっとした余興だったが、いよいよ明日は決勝か。相手は最強のフランス・・・」

影の男は言う。

「ああ・・・悪魔よ、お前のおかげだ」

監督は頷く。

「ここまで来たんだ・・・少しくらいなら、タダで時間を戻してやらんでもないぜ。戦術練習をやりなおすならな。なんせ、相手はフランスだ。フィジカルも技術も違う」

 影のある男はいう。

「そう言って、騙すつもりか?」

「フン・・・悪魔族は天使と違ってウソはつかん。俺も、このチームがどこまで行けるかを見たくなったんだ・・・」

「なるほどな・・・じゃあ、頼みがある」

「なんだ? 二日ほど戻すか?」

 監督は首を横に振った。

「時間を、一か月戻してくれ・・・この大会が始まる前に」

 影のある男はきょとんとしていた。


・・・・・・


「この無能監督!」

「あのFWをいつまで使うんだよ!」

「ワールドカップで全敗だぞ!? さっさと辞めてしまえ!」

 記者たちは生卵をぶつけてくるが、監督は満足げに微笑んでいた。

「このチームのポテンシャルは最高です・・・! 次は必ず勝てます・・・!」

 監督の予想外の答えに、記者たちは鼻白んでいた。


「・・・どういうつもりだ?」

 監督の部屋で、影のある男は呆れていた。

「全て・・・初めに会った時と同じシステムと戦術で、同じようにボロ負け・・・どういうつもりなんだ?」

監督は満足げに頷いていた。

男が持つ瓶に映る自分の顔は、七十代の老人のようだ。

「もう分かったからだ・・・」

「なんだと?」

「悪かったのは選手でもシステムでもない・・・俺が全力でやらなかっただけだった。ただ、それだけだということが十分に分かった・・・だから、もういいんだ」

「・・・お前は寿命を三十年取られて、ボロ負けの負け監督として終わる。それでいいのか?」

「・・・ああ、十分だ。・・・選手たちは何も負けてない。そして、メディアのせいでもない・・・全て、俺のせいだということが分かった・・・それだけで十分だ。次の監督が、絶対に勝ってくれる・・・!」

 監督は椅子に座ったまま、目を閉じた。

「さあ、俺を殺して魂を奪えよ。もう、十分だ」

「・・・フン。全く、妙な生き物だな・・・いつもそう思う」

 影のある男は監督の首に手をかけた。


「監督、監督! さあ、最後に会見をしましょう・・・!」

「うん?」

 助監督が声をかけてくれる。

 俺はまだ生きているのか?」

「絶対に、監督は戦いましたよ・・・! 選手たちがそのことは分かっている・・・! 必ず、次は勝てます! さあ、僕は準備があるので」

 助監督は出て行った。

 見ると、テーブルにあいつが持っていたビンが置かれていた。

 手紙もある。

「いいもんを見せてもらった。約束通り、願いは二つしか叶えてないし、三つ目のはサービスだと言ったはずだから、魂は取らない。そいつを飲めば、少しは寿命も戻るだろう。俺は天使のクソどもと違って、ウソはつかないんだ」

 監督は瓶に口をつけた。

 旨い。俺の寿命ってのはこんなに旨いのか。

「監督、あれ? なんだか、若返りましたか・・・?」

「うん?」

 瓶に映る自分の顔は、多少は若返っているように見える。

 もっとも、寿命を十年分くらいはあいつに取られたようだが、なかなか面白い悪魔だった。


                  終わり

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