遠くなってしまったこと

 美味しい食事に幸せの気分でほろ酔いになったあたしは、直後冷水をかけられた気持ちになった。

「コロナ特別病棟に配属って!?どういうこと?ケイの専門って感染症じゃないし、感染症患者の対応って学校で習っただけってこないだ言ってたじゃん!」

 ケイはいつもの困った顔をしながら、あたしを見る。

「なんで!せっかくケイと一緒に居られる時間ができると思ったのに!またあたし我慢しないといけないの!」

 いつしか大泣きしてしまったあたしの背中を無言で撫で続ける。その優しさが本当ににくかった。


 ケイの病院は院内感染や持ち込みを考慮して、病院から患者さんがいなくなるまでスタッフは泊まり込みの仕事になるんだそうだ。

 もちろん、そんな仕事を率先して受ける人は少ない。

 でも、ケイはその中で立候補して仕事をすることが決まったらしい。

 

「ケイはいつも患者さんや家族のことに対してはすっごく優しいけど、あたしには優しくしてくれないよね。もうあたしたち終わりなのかな」

 付き合い始めてから初めて別れ話を切り出した。10年も付き合っていれば、別れ話の一つや二つくらいあるだろうけど、あたしたちはお手本のような仲のいいカップルだった。

 さすがにケイ驚いたかな、って指の間から窺い見る。

 その隙間にあった顔はいつも通り、何も言わないただ悲しそうな顔をしたケイの姿だけだった。


 病院に泊まり込みになるのは二日後からだった。

 それまでにいろいろと準備をしないといけないから、とせっかくの休みに一人で買い物に出かけてしまった。もちろん、あたしはまだ怒っていたから、ついていくなんてそんなことしない。

『これがまだ若かったら、衝動的に家を出たり大げんかしたりしたんだろうな』

 そんなことを考えたりもしたけど、あたしは結局ケイのことが大好きで離れることなんて考えられない。

 見送りも、荷物が重いだろうからとか言い訳つけて、駅まで送って行った。

 これまでのあたしたちの距離は近すぎたんだ、大胆な行動なんて一つも思い浮かびはしない。


 仕事がいそがしかったからってのと、休校になったからってので、少しの間有休消化することにした。

 いつもだったら、二人で遊んだりするんだろうな。一泊旅行したり、食べ歩きしたり。自粛期間中でも、きっと、近所のコンビニくらいは一緒に行ったと思う。

 あたしもケイも基本的には真面目な部類に入ると思うし、毎日ニュースと新聞はだけは欠かさず見るようにしている。

 だけど、テレビは毎日気が滅入るようなことばかり流れた。

 昨日の繰り返しかと思うくらい毎日同じような内容が流れた。

 新しい撮影ができないから、といってドラマバラエティも再放送になってる。

 なにより、隣にケイがいない。一緒に楽しんでくれる人がいない。

 一人がここまで辛いと思わなかった。


 多分あの頃のあたしは少し鬱が入り気味になってたんだと思う。

 有給から職場復帰したと、何人かに心配された。

 同棲相手が看護師って知ってる人からは特に心配された。

 もう少し休んでもいいんだよ、といつもだったら悪口が好きなお局さんに言われる。

 でもあたしは毎日仕事をしていた。とにかく毎日毎日。

「今更仕事にやりがい見出しちゃって楽しいんです」とか適当なこと言ってごまかしたりもしたけど、本当は一人のあの家に帰りたくなかっただけだった。


 そういう生活が続いた時、ケイから小包が届いた。

 袋の外側には『届いたら開ける前に必ず僕にテレビ通話すること!』とケイの文字が書かれている。

 変だな、なんだろう、と思いながらもケイにテレビ通話をかける。

 最初の呼び出し音がなり終わる前、だいぶ食い気味に電話に出た。


『るみちゃん!るみちゃんの顔だ。久しぶりだね』

「ケイも…なんか寝不足?ちゃんと寝てる?」

『るみちゃんに言われたくないよぉ、なんかクマひどくなってない?』

「ちょっとー久しぶりに顔見た彼女になんてこと言うの!」


よかったいつも通りだ。ここ最近のモヤモヤが飛んで行った気がした。


『るみちゃん!小包開けた?』

「え、まだだよ、だってケイが先に電話しろって書いてあったんじゃん」

『そっか、じゃあ今すぐ小包開けて!』


 心なしか声が緊張している気がする。どうしよう、なにか病院で悪いことがあったのか。そういえば今日見てたテレビに院内感染した看護師の話が出ていた。


『いいから開けてよ!』

「もー、わかったって、ってかなんなのこの小包。ちっちゃいくせに頑丈なんだけど」


 小包は両手に収まるくらいの小さなものだった。何が入ってるか検討つかない。

 中には手のひらサイズの箱が入っていた。…箱?


「え、これって」


 昔話していた憧れの結婚指輪のブランドのロゴが入っていた。

 和彫りや七宝焼きなどの日本の伝統文化を用いたデザインが特徴のブランド。


 思わず携帯の画面を見ると、ケイは心から恥ずかしそうな顔をして言った。


『僕は人を助けたくて看護師になったわけじゃん。それに一応男の子だし?絶対に今回の人員補填には立候補しようと思ってたんだ。

 でもさー、今だから言うけどさ僕ね、るみちゃんが仕事で忙しくて何日も家を開けてた時、実はさみしくてさみしくて仕方なかったんだ。

 だから、僕がいない間にるみちゃんのことを守ってくれますように!ってちょっと奮発しちゃったの。いろいろあって納期が遅れちゃって、渡すタイミングも遅れちゃったけどさ。でもほら!つけてみてよ!』


 おそるおそる、薬指につけてみる。

 ぴったりのサイズ。好みのデザイン。さすがケイだ。あたしのことはなんでも知っている。


うれしくてなきそうで、ありがとう、と言おうとしたその時


『おーい!プロポーズは済んだのかー!休憩時間無理やり変更したんだからお前もう戻ってこいよー!』


 通話画面の遠くから女の人の声が聞こえる。多分、同僚の看護師さんだろう。

 涙は引っ込んだし、笑ってしまったし、なんなら同僚の看護師さんが『彼女どんな顔なのー?ちょっと見せてよー』と絡んできたし、慌てて通話を切った。

 ムードもへったくれもなかったけど、ここ最近の中では一番笑えた。


 その日の夜、ケイからメッセージがとどいた。



るみちゃん、大好きだよ。今日の続きはまた今度帰った時のお楽しみに僕頑張るよ。

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