ものすごく近くて遠い

豊晴

まだ近かったときのこと

 あたしたちは、付き合ってからもう結構長いと思う。

 高校生の時に付き合い始めたから、もう十年は経ってるんじゃないかな。

 大学卒業するあたりからは一緒に暮らすようになった。

 そのときはいつかこのまま結婚できるなんて思っていた。

 

 同級生の結婚式に招待状が来るときはだいたいいつも連名で届く。

 当然、披露宴では隣の席に名前札が並んでる。


「お前らいつ結婚すんの?長すぎる春は持たないて言うから早く結婚しなよ」


 あたしたちのことに口を挟む無神経な人たちはそう言ってくる。

 でもイライラしなかったのは多分、あたしの彼氏、ケイは結婚するタイミングをはっきりあたしに伝えてくれてたからだ。


 結婚しないには訳があった。

「僕には借金がまだある。このままいけば、あと二年で完全に返済できる予定だから待ってほしい」

 借金と言っても怪しいのもではない。ケイは自分のバイト代と奨学金で看護学部を卒業した苦学生だった。

『あたしたちは結婚するんだし、二人の共通のお金から払っていけばすぐに返済できるよ』と言っても真面目なケイは首を縦に振らなかった。

『そもそも借金といっても奨学金じゃない。ケイがやりたいことのために頑張ったんだから、あたしにも支援させて』と言ってもお金が原因で家庭が崩壊してしまったケイは悲しい顔をするだけだった。

「るみちゃんには一緒に生活して家事手伝ってもらってるし、一緒にいてくれるし、僕にとってはそれで十分だ」

 あたしにとっては長すぎる同棲と結婚の違いがよくわからなくなってきていた。


 だからといって、別れるなんて、他の人に目移りするなんてありえない。

 あたしにとってはケイは最上の人だと付き合ってるときからずっと思っている。

 ガサツで間も悪くて社交性もあまりない。昔から取り柄は勉強だけしかない。

 だから、あたしが教養課程をとって学校の先生になったのは多分必然的な流れだったと思う。

 おしゃれなんてもう程遠い、毎日ジャージで働いて、部活は書道部の顧問をして、帰ってきたらメイクじゃなくて手に付いた墨を落としておしまい。

 そんなあたしを世界一可愛いって言ってくれるのはケイだけだ。


 そんなとき、外国で感染症が流行ってるって話を聞いた。

 日本の医療制度に関して言えば、その国よりも圧倒的に水準が高いし、きっと日本に入ってくる頃には弱体化してるでしょ、って言うのがケイの意見だった。

「るみちゃんは心配することないよ。僕が一生看護して長生きしてもらうつもりなんだから」

 他の時に言われたらきっと重たすぎる言葉も、そのときは何よりも甘い言葉に感じた。


 一番最初に感じた変化は、学校の一斉休校だった。

 政府から何の説明を受けないまま、あたしの仕事は突然変化した。

 連日の会議、休校措置で遅れる教育課程の補充、課題の作成。やってもやっても仕事は終わらなかった。

 教育現場で働いていると、あまり泊りがけで仕事するなんてことはない。

 基本的に毎日あったかいお風呂に入って清潔なシーツに包まれて寝ていた。

 そこにケイの笑顔があれば何でも乗り切れるような、無敵な気持ちになっていた。


 それも、しばらくして休校措置に慣れてきた頃、やっとケイに会えた。

 たまに家に帰れても、ケイは仕事ですれ違いの生活が続いていた。

 仕事がひとくぎりしたから、しばらく家で過ごせることを連絡すると学校まで迎えに来てくれた。

 久しぶりに見るケイは少しやつれていたような気がした。


 家に帰るといつもより少し豪華な食事が待っていた。

 ビーフストロガノフ、ガーリックブレッド、カプレーゼ、ワイン、フルーツタルト。

「るみちゃん、ずっと頑張ってたからね。お疲れ様会だよ。ご褒美も必要かなって」

 久しぶりに食べるケイとの食事に涙が止まらなかった。

 あぁ、やっと最後まで頑張り抜いた。あたしよく頑張った。

 ずっと気を張っていたからなのか、涙が止まらなかった。安心した。

 これでやっと日常が取り戻せる。

 そう心からそう思えた。

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