2話

 いっとき留守にしていたとはいえ、目標の城は勝手知ったる我が家である。警備の段取りなどが変わっていれば面倒であったが、おれが知るときと少しも変わらぬ様子である。森田のいうとおり、このあたりも手をつけずにそのまま踏襲したのであろう。戦乱の世など過ぎ去って久しく、三島の城もいくさへの備えなどとっくに忘れている。夜も更ければ城の近辺には見廻りを配置することもせず、門扉の戸締まりだけで安心し切っている。

 まして、死にぞこないのおれが単身乗り込んでくるなど夢にも思うまい。おれが隙間風の入る破れ寺の堅い床で菰をかぶって寝ているあいだ、宗次郎のやつが柔らかい布団で枕を高くしていたかと思うと業腹であった。

 月明りを頼りに、少しの音だけを伴って義ちんちんから鉤を発射した。動きを巧みに操り、濠を越え、塀をよじ登った。住職の細工がすばらしいことはいうまでもないが、この短期間で我ながら上達したものだと自画自賛した。この義ちんちんは萎えた脚に代わる三本目の脚といっても過言ではあるまい。我が行く先、伝説に聞く八咫烏の導きあらんことを!

 おれは塀の上から城内を見渡した。ところどころにかがり火と、それで暖を取る兵の影が見えた。

 おそらく、宗次郎がもっとも恐れているのは謀叛であろう。生前から親父はおれを後継者と明言していたし、家臣らもそれに異を唱えることはなかった。宗次郎が傍流ながら三島家の血を引くものとはいえ、いまもってやつを正当な跡継ぎと認めるものは少ないはずだ。したがって、城内にいる三島家の忠臣らが反旗を翻した事態に備えて、城の内部に警戒の目を光らせていてもおかしくはない。

 最寄りのかがり火に少し近づき、警備の兵の様子を確認した。あまり真剣みのある様子ではない。兵は手ぶらで、鳴り物を腰に引っ掛けているだけのようである。この城の中で武器を許されているのは、宗次郎が真に信頼している一握りのやつらだけなのだろう。

 かがり火に当たる兵の顔に見覚えはなかったが話を聞いてみることにした。いざとなればすぐにも殺す備えをして、頭巾を脱ぎ、顔をさらしながら静かに後ろから近づいた。火のはぜる音と、木枯らしに紛れて、警備の兵はおれがずいぶんと近づくまで気配に気づかないでいた。いや、それどころかおれが完全に近づいて姿が見えるところまで来てさえ、「おお、もう交代の刻限か」などとのんきなことを抜かした。

「寒い中御苦労だが、ずいぶんと気楽なものだな」

 おれは世間話のように声をかけた。兵はすぐには事態を飲み込めないようで、一瞬、怪訝そうな顔をしたが、まもなく跳ねるようにして地面に這いつくばった。

「そそそ、そんなまさか! そ、宗允様! なにとぞお許しくだせえ!」

 叱責しようとかそんな気分でもなかったおれは、兵の過大な反応に閉口した。おれは配下のものにことさら苛烈な態度を取ったことはないはずであり、これほど恐懼されるとは思わなかった。しかたなく、鷹揚になだめながら話を促した。

「へえ、申し訳ありません。実はその、正直に申し上げますとお化けかと思いまして……」

 おれは「こいつ無礼なやつだな」という不快感と、「すげえな、すげえ馬鹿正直なやつだな」という素朴な興味と、「どうだ、びっくりしただろう」といういたずら心とが交錯して、結局、「フッ」と鼻で小さく笑ってごまかすことしかできなかった。何かこう、ちんちんを失って以来、物事への執着心が薄れかけているような気がした。

「まあ、それはさておき、だ。おれがこうして生きて帰ってきたのはほかでもない、逆賊宗次郎の成敗と我がちんちんの奪還のためだ」

「ははっ、我ら三島家の臣下一同、宗允様とおちんちんに忠誠を誓い、命を捨てる覚悟にあります」

 おれは恐縮しきりの兵から城の様子を聞いた。おおむね、想像どおりのようである。森田が話した内容ともつじつまが合う。

 外を見廻っているのはもっぱら下っ端のやつらだそうだ。いっちゃなんだが、こいつらは上に立つのがおれだろうと宗次郎だろうと実はどうでもいいと思っていそうな印象を受けた。内部の政治とか領内の統治に直接関与せず、上意下達で指示を全うするのが勤めなのだからいたしかたないところもある。いまこうしておれの目の前で大仰にへりくだっているのも、宗次郎に仕えていた後ろめたさの反動なのかもしれない。

「では、政に関与していた重臣たちは城内の屋敷に軟禁されているのだな」

「そのようです。そういった方々がおらねば組織運営がままならぬため、当面は残してこき使っていると聞きます」

 となると、城内でまともな助太刀を期待するのは難しいようである。この下っ端のやつらはおれに堂々と歯向かってくることはなさそうだが、かといって、本当に命を賭けてまで宗次郎に反撥することもないだろう。哀れな日和見主義者なのだ。それに、ろくな武器も持たされていない。騒ぎを大きくしてややこしいことになるぐらいなら、おれが一人で秘密裡に動いた方がまだしもだろう。いまのおれには義ちんちんがある。

「あらましわかった。しかし、そなたらの主君はこのおれであることをゆめゆめ肝に銘じておけ」

 名も知らぬ兵は「ははぁ」と恭しくひれ伏した。とはいえ、たぶんこいつらは宗次郎にもおなじような態度を示しているのだろう。嗚呼、あきたらない。

 その場を離れる前に、思いついておれは兵に飲み物を持っていないか尋ねた。携行していた水をしぶしぶ出させて奪い飲んだ。おれの苦労とさっきの無礼を思えば、これぐらいの横暴は許されるはずだ。


 宗次郎のいる二の丸屋敷の戸口にはさすがにまともな武装をした兵が立っていた。顔つきからして了見が違う。ああいう手合いはしゃれが通じないから困る。ぬけぬけと顔をさらして話しかければ、くすりともせず殺しにかかってくることだろう。

 宗次郎の手先の番兵は二人立っている。離れた植込みの陰に身を潜めているおれに気づく様子は全くない。

 おれは目盛りを「射」に合わせた。距離はあるが義ちんちんの射程内だ。思案どころは、あの二人を声を出すいとまも与えずどちらも殺さねばならぬことだ。あれを悠長に時間をかけて一人ずつ殺すだけでいいのなら、三国一の義ちんちんの達人と化したいまのおれにはたやすいことである。しかし、ああいう手合いは二人組のいずれか片方に異常が発生すると、まずはともかく大声を上げるようにしつけられている。そうなればあらん限りの兵が集合することだろう。その兵の数、宗次郎の器量がいかほどのものか定かではないが迂闊に侮るにはおれの命の数が足らぬ。

 あの技か――。あの日、おれは鍛錬も一段落して何をするでもなく境内の岩に腰かけ、ぼんやり鳶の鳴き声を聞いたりしていた。住職が酒の抜けきらぬ足取りでよたよたと出てきて、藪に向けて小用を足しているのが見えた。別段、観察するわけでもなく、たまたまおれの視界に入っていたのでそのまま眺めていた。尿が二股に分かれて、住職の手にひっかかるところを見た。

 突如としておれの頭にたえなる霊感が去来した。あの現象は義ちんちんに応用できるのではないだろうか? 早速、新たな鍛錬が始まった。力の加減を変えたり、姿勢を変えたり、悪戦苦闘と試行錯誤の末、おれは義ちんちんから射出される尿を任意に二手に分けることができるようになった。角度も自在に操れる。

「ほう、そんなことができたとはな。良い使い手に巡り合えたわい」

 おれが二股おしっこで二本の枯れ木を同時に倒すのを見て、住職は深い感慨にふけってうなずいた。

 あの技を使えば、番兵二人をほとんど同時に殺すことができるはずだ……。おれは相手までの距離、風向き、膀胱の内圧、全身の筋の張力、義ちんちんの角度、日経平均株価、それらすべての多寡加減を勘案し、奇妙奇天烈で複雑怪奇にして繊細な方程式を全身全霊で解き、導き出された最善の力を下腹部に込めた。

 ヒュッ、と弾き出されたおしっこは二本の鋭い矢に分かれた。一人の番兵ののどと、一人の番兵の胸とを貫き、やつらの生命に致命的な一撃を与えた。番兵どもはその断末魔に少しだけもがいたが、すぐに崩れ落ちて動かなくなった。周囲に騒ぐ気配もない。まずは一安心か。

 おれは二の丸屋敷への侵入経路について頭をはたらかせた。宗次郎は二階の寝室にいるはずで、身辺に手練れの不寝番を備えていると考えるべきだろう。寝室は外壁に面していないため、外から二階によじ登り、雨戸をこじ開けて入ったところで、不寝番の兵との衝突は免れない。そうこうしているうちに、一階で就寝、待機している兵たちが大挙してくれば面倒なことになる。

 いっそのこと火を放つことも考えてはみたが、宗次郎の殺害が確実とはいえないことに加えて、所在がわかっていないちんちんが失われてしまっては元も子もない。それぐらいなら国も名も捨て、知らぬ土地で死ぬまでのつかのま物乞いでもした方がましである。

 であれば一階から侵入(いや、これは「帰宅」と呼ぶべきだ)して宗次郎の配下どもを除いて可能な限り戦力を削りながら、敵の首領に向かった方が結局は安全なのかもしれない。

 おしっこが足りればいいが……。尿意は十分にあったが、どれほどの戦いになるかはわからない。不安を紛らわそうと、おれは竹筒から茶を一口飲んだ。まだくつろぐには早いというのに、場違いに良い茶であるように感じられた。


 二の丸屋敷の戸は当然ながら施錠されていた。義ちんちんの排尿で戸板を切り裂くことは難しくなさそうだが、その後のことまで考えればおいそれとはいかない。入ってすぐのところに侍詰め部屋があり、そこに数はわからぬが兵が待機しているはずである。おれが外から戸をこじ開ければ、待機ばかりでひまを持て余した侍どもが問答無用で襲い掛かってくるのは想像にかたくない。一人か二人程度ならどうにか義ちんちんの尿撃で安全に仕留められるだろうが、それ以上の数となれば自信が持てぬ。相手の戦力がわかれば動きやすくなるはずだが……。

 無策の正面突破は避けて、屋敷のまわりを忍び歩き、侍詰め部屋に面した外壁まで来た。漆喰が塗られた壁面に耳をそばだてたが内部の様子は何も聞こえない。閉め切っている雨戸をぶち破って一か八かに賭けるのは最後の手段だろう。おれは部屋の天井きわにこしらえてある採光用の障子窓をにらんだ。雨戸で覆われてはいないが人が入れる大きさではない。しかし、義ちんちんならあの障子窓から入ることも可能なはずだ。そういう策をおれは練っていたのである。

 障子窓を義ちんちんで正確に捕捉できるよう精神を統一した。鉤を威勢よく派手に発射させると、いらぬ騒動を招くおそれがある。おれの期待どおりに事が進むのであれば、障子紙を少しだけ突き破り、義ちんちんが一束(つか)かその程度だけ部屋に入ればいいはずなのだ……。

 全身の神経を研ぎ澄まし、五体の筋繊維一本までをも自在に操らんとした。義ちんちんがスルスルと静かに外壁に沿って上がっていった。そこから先端部分を曲げて、過不足のない力加減で障子紙を突き破らねばならない。おれは座禅を組み、うろおぼえの印を結び、意味はよくわからない言葉を唱えて、義ちんちんを操ることに自らの知力体力はもちろんのこと、怪力乱神その他ありとあらゆる力を頼ろうとした。

「おんまけいしばらやそわか、すぎちょびれ、あのくたらさんちんからほい!」

 乾いた障子紙を貫いた感触が義ちんちんから伝わってきた。安堵のため息を漏らすと恍惚にも似ためまいを覚えた。あとは詰め部屋のやつらが思うとおりの反応をしてくれればよいが。


 宗允は知る由もないが、二の丸屋敷の侍詰め部屋には四人のものがいた。宗次郎配下の侍が三人で、彼らの身の回りの世話をするためにあてがわれた小姓が一人であった。

 侍の一人は仮眠をとっているが、異変あればすぐに叩き起こされる。一人はしかつめらしい顔で軍記を読んでいて、もう一人は小姓を相手にまずい碁を打っている。この侍どもは宗次郎に忠誠を誓っていて、彼らの主君が開くちんちん遊びの座にたびたび同席しては宗次郎に阿諛追従して宗允を誹謗、嘲弄している。

 宗次郎の侍どもは、今宵も何事もあるまいと考えていたが、さりとて、緩み切るほど甘い心得はしていなかった。しらふで、傍らには使い慣れた刀を置いていつでも抜く覚悟をしている。侍どもは剣術の達人であり、宗允を襲撃し、虎の子のちんちんを斬り飛ばしたのも彼らの仕業であった。

 宗允の義ちんちんが障子を突き破ったとき、彼らの頭上で乾いた障子紙が破ける音がした。軍記を読んでいた侍は音に気づいて、はた、と手を止め顔を上げた。

「いま、江戸のブンガクの気配がしなかったか」

 彼は書をよく嗜んでいることもあり、しばしば奇妙な表現をすることがあった。このときも、ちんちんが障子を突き破る事象をそのように表現した。

「なんだそりゃ。おめえはよぉ、普段から話がむつかしくっていけねえ」

 立膝で碁を打っていた侍が呆れ気味に応じた。

「上の障子が破れたような音がしたのだ」

 ブンガクの侍はあごをしゃくって音の方向を示した。しかし、障子のあたりまでは明かりが届かず、暗くてよく見えない。何かが突き出ているような気がするのだが定かではない。ブンガクの侍はその突き出ているものに渾身の力で書を投げつけたいという猛烈な衝動になぜだかかられたが、なんとか思いとどまった。

「鼠か蝙蝠でも入ったんじゃねえか」

 碁の侍はあまりやる気なく碁石を二三個ほど障子に向かって投げたが、壁か天井かに当たった不毛な音を立てただけであった。

「よさぬか、迷惑であろう。しかし、ちと困ったな。穴を放っておけばあとで小言を食らうやもしれん」

「ちっ、めんどくせえ。おい小僧、蔵に行って道具借りてきて外から穴を塞いで来い」

 碁の侍は小姓に修繕を命じた。小姓の少年は腹の底では憂鬱でしかたがなかったが、そんな本心はおくびにも出せない。お行儀よく「かしこまりました」と頭を下げ、しずしずと部屋を出た。蔵までの距離や、糊だの梯子だのを運ぶことを考えるとはなはだ気が滅入った。


 障子に穴が開いたおかげか、詰め部屋の話し声はどうにか聞き取ることができた。そして、おれの目論見どおり、小姓が何かの用事を命じられて外に出てくるらしきやりとりが伝わった。

 大急ぎでおれは屋敷の戸口に戻った。無論、屋敷から出てきた小姓を捕らえて内部の様子を問いただすためである。屋敷の角に隠れて待っていると、果たして小姓が建物から出てきた。番兵どものむくろを見れば周章することは明らかであり、自らの図が当たったことにうかれている場合ではなく、手早く事を運ばねばならない。

 おれは義ちんちんを蛇のごとく繰り出した。小姓の体を細腕ごと縛り上げ、その口に先端を突っ込んで大声を出せないようにした。小姓は己の身に何が起きたか察する間もなかったようで目を白黒させるばかりである。

「おとなしくしろ。お前が咥えているものは種子島のようなものだと心配するのだ。下手な動きをすればたちまち撃ち抜く」

 義ちんちんが巻きついた直後に小姓は少しだけ抵抗したが、それが無駄であることに加えて、おれの声と顔に気づくところがあるようで、何事か訴えるような目つきをしてきた。

「待て、その顔はどこぞ見たおぼえがある。確か時節の挨拶で……。そうだ、勘定方の山科の倅ではなかったか」

 小姓はどうにか首を動かそうとしながら、義ちんちんを咥えさせられた口で「うーうー」とうなった。山科の勤めぶりを思い出しながら、おれは小姓の縛めを解いてやった。小姓は軽くえずいてから、ただちにひざまずいておれに向かい直した。

「宗允様でございますか」

「そうだ。おぬしは山科の倅だな。名までは出てこぬが」

「弥之助と申します。かねがね我が父のお引き立て、光悦至極に存じ上げます」

 実際のところ、おれはその名に全く心当たりはなかったのだが、「そうだったな」といかにも思い出したという表情を浮かべてうなずいてやった。

 弥之助の話によれば、おれの親父に仕えていた重臣たちの謀叛を警戒している宗次郎は、重臣たちの女房や子供を人質として差し出させているのだそうである。そういうわけで、弥之助も二の丸屋敷で小姓として働かされていたわけだ。弥之助も武士の子ゆえ、愚痴をこぼすことはなかったが辛酸をなめさせられていたであろうことはおれにも想像がつく。

「だいたい、こんな深夜に障子紙の修繕をやらせるなど、宗次郎どもの驕りも極まったものよ。しかしそれも今宵までだ。おれを信じて、よくぞ堪忍してくれた。大儀であった」

「もったいないお言葉、ありがたき幸せにございます……」

 弥之助は深々とこうべを垂れた。この寒空の下で立派な所作である。さすがはあの山科の倅、立派なものだと舌を巻いた。おのずと、しばらくぶりに家臣たちの顔や振る舞いが脳裏に浮かんできた。おれの鼻の奥がツンと痛くなったのは冬の冷気のせいだけでもあるまい。

「侍詰め部屋には三人の兵が待機しております。一人は仮眠を取っているかもしれませぬが、そのことをあてにはせぬ方がよろしいかと存じます。ほか、奥書院には宗次郎の近親者が暮らしていると聞きますが、そちらの方にはわたくしは足を踏み入れたことがないため仔細は存じませぬ」

 宗次郎は二の丸屋敷の中に戦闘のできる配下を思ったほどは入れていないようである。いや、入れられなかったというべきか。たとえ自らの息のかかった配下とはいえ、武力を有したものどもが目の届かぬところで徒党を組むことを恐れているのだろう。宗次郎など所詮はその程度の分際のやつなのだ。暴君は常にかくのごとし。

「二階に上がったことはありませぬが、わたくしが見知った限りでは、二階には宗次郎と、やつの護衛の男しか上がらぬようです。護衛の男は名を玄冬という、とにかく尋常でない武芸のものと聞いています。この城に入って以来、宗次郎は片時も玄冬を身辺から離したことはありませぬ」

 奥書院は離れたところであるし、いるのは女子供と老人ばかりであろうから放っておいても滅多なことはあるまい。いまは時間もおしっこもおろそかにはできぬ。侍詰め部屋の三人を殺せば、あとは二階で決着をつけるだけである。玄冬とやらが単なるこけおどしであれば助かるのだが……、そういうわけにもいかぬのだろう。

「あいわかった。弥之助よ、褒めて遣わす。能うのであれば、おれの生存と帰還を城内にいる家臣たちにも伝えておいてくれ。まこと、大儀であったとな」

「御意にございまする」

 かしこまって答えた言葉と折り曲げた背中からは、おれへの期待と歓喜の感情がありありとうかがえた。如才なく振る舞うとはいえ、こういうわかりやすいところはやはりまだまだ無邪気な子供なのだ。ならばそれに応えて見せねば大人の面目が立たぬというものだ。

 おれは弥之助へ捕らわれている家臣たちの元へ速やかに向かうように命じた。弥之助はおれの姿が見えなくなるまでその場にひれ伏し続けていたずらに体を冷やしそうだったからだ。さして急ぐ必要もないのだが、少年はたちまちいずこかへと走り去っていった。おれも、おれの勤めを果たさねばなるまい。一人、二の丸屋敷内部へ向かった。


 屋敷の錠は開けっ放しになっていた。弥之助が戻ってきたときに、いちいち開けに行く手間を嫌ったのかもしれない。こそこそし過ぎても変に勘づかれると思い、おれは平素のように屋敷に上がった。もっとも、土足ではあったが。

「小僧、どうした。まだちっとも直しちゃいねえだろうに戻ってきやがって」

 詰め部屋から声が聞こえた。おれを弥之助と思ってくれているようだ。襖を開けた一瞬が勝負だろう。おれは義ちんちんを握りしめた。尿意も十分だ。頭の中で無数の状況を想定した。

 音もなく襖を引いた。瞬時に部屋の中にいる人間を探す。一人は書に目を落として、一人は立膝にうつむいている。布団が敷いてあるが中に人がいるかどうかは定かではない。

「内側から塞ぐつもり――」

 鋭い尿が書を読んでいた侍の胸を貫いた。侍は苦痛に顔をゆがめながらも、傍らに置いた刀を取ろうと畳の上に手を這わせた。だが、抜かりなくおれはその腕に斬りつけてやった。おれが振るった刃は骨で引っかかったが、あれだけ出血していればもはやろくには動けまい。じきに死ぬだろう。

 書を読んでいた侍の悲鳴に気を取られることもなく、おれはもう一人の侍にねらいを定めた。うつむいていた侍は変事に気づいて刀を手に取り、抜かんとしている。チャンバラになど付き合っていられない。おれはとにかくおしっこをぶっぱなした。

 尿は相手の腹に命中した。だが、しぼりか尿量かに抜かりがあったのか、致命傷には至っていないようだ。冷静を努めたつもりだが、どこかで焦りがあったのかもしれない。敵はわずかにひるんで見せたが、すぐに体勢を立て直して「貴様!」と気迫のこもった声で叫んで正眼に構えた。

 それに対抗して見せるように、おれは上段に構えた。かろうじて見てくれだけはつくろえたが、しかし萎えた足ではまともに刀など振るえないのだからはったりである。いうまでもなく、真のねらいは義ちんちんによる必殺である。

 相手は、じりり、と間合いをはかっている。上段の構えは防御を捨てた攻撃の構え、肉を斬らせて骨を断つか、相討ちすらいとわぬ秘技もあると聞く。おれはそんな技は習得してはいないが、なまじっか剣術に詳しいらしい相手は警戒して慎重に距離を取っている。

 脇腹を汗のしずくが撫でた。相手の呼吸、鼓動、瞬きの周期が感じられるようだった。おれは明鏡止水の境地で義ちんちん本体を発射した。相手は反射的に腕で体をかばったが、おれはすばやく義ちんちんの目盛りを鉤から射へと変え、渾身の力で放尿した。えもいわれぬ爽快感があった。

 尿は侍の鍛えられた身体をやすやすと貫通し、詰め部屋の内壁すら破った。ちょっと出しすぎた気もしたが、すっきりしたのも確かだった。心臓を打ち砕いたらしく、胸から鮮血があふれていた。死に顔には驚愕の表情が張りついたままでいる。

 あと一人。この喧噪の中で図太く眠りこけていられる人間がいるとも思えなかったが、念のためあらためた布団の中身は空であった。おれが踏み込む寸前で水飲みか用足しにでも立ったか、あるいはかなりの早寝早起きのやつか。なんにせよ、あと一人を殺さねば安心して二階には上がれない。

 詰め部屋を出て、廊下の奥に注意を向けた。真っ暗で何もわからない。先ほどの騒ぎがどこまで伝わっていたのか定かではないが、あと一人の敵に既に気取られていてもおかしくはない。

 そこでようやくおれは自分の迂闊さに気づいた。おれの付近は侍詰め部屋から漏れた明かりで仄かに照らされている。離れたところからも丸見えだろう。となれば……。

 闇の中から何かが飛んでくるのが視界に入った。刹那の出来事であった。軌道を予測して体をうまく動かすいとまもなく、ただ反射的に目を閉じ、体を強張らせ、縮めることしかできなかった――。

 ガチン、と金属同士がぶつかった音がした。運良く、刀で受けられたのだろうか。気を正して事態を確認した。足元に小刀が転がっていて、義ちんちんがおれの体を守るように伸び上がっていた。我が新たな部位は随意を越えて、主の生命を守るべく神速で動いたというのだ。このとき、おれは自らの灰色の脳の中において、義ちんちんを制御するために運動前野とか補足運動野とかなんかそういうあれがいい感じに再構築とか接続とかするのを確かに感じた。予兆は障子を破いたときにもあったのだ。いまやおれは義ちんちんの使い方を、いいや、この世にちんちんが存在する意義と目的を完全に理解したのだ。ちんちんよ、思えばお互いままならぬことばかりであったな――。

 どこかでちんちんがほほ笑んだ幻影を見た。やれるはずだ。おれは油の量を適切に調節して、小刀が飛んできた方へと火を飛ばした。いまのおれなら、床に燃え移らないような絶妙な操作など児戯に等しい。

 義ちんちんの正義の火が、敵の姿を暴き出した。先ほどの二人とは異なり、侍というよりは銭で雇われたやくざ者のたぐいにも見えた。

 敵は二本目の小刀を投げる手筈を整えていたようだが、不意に飛んできた火に明らかにうろたえているようだった。おれは義ちんちんを意のままに操り、鎌鼬もかくやという早さで敵を絡め取り、力任せにこちらへ引き寄せた。

 おれはやくざ者の侍の首を斬った。最期の瞬間、恐怖でひきつった顔と目が合ったが、人を殺そうとしておきながら勝手なやつだと無性に腹が立った。

 あたりは静まり返っている。おれがつけた義ちんちんの火は勝手に消えていた。この屋敷に長年で染み付いた生活の臭いに混ざって、倒錯的な郷愁さえ感じさせる腥さが死体から漂っていた。

(畳は総張り替えだな……)

 油断しているわけでもないのだが、おれの心の中のどこかがもう勝ったつもりで明日からの後始末をひとりでに考えたりした。

 おれは最後の茶を飲んだ。玄冬とやらを斬り、宗次郎を斬れば終わりだ。

 

 二階へと続く階段は一か所だけである。階段を通して見上げると煌々と明かりが灯っていた。空になった竹筒を二階に放り投げてみたが反応はなかった。待ち伏せがあることも考えたが、それならこんなに明るくしては待たないだろう。

 玄冬はおのれの腕に恃むことはなはだしいのかもしれない。正々堂々とした戦いを好むというわけではない。策を弄して多少の有利を得たとしても、それで乱戦を呼び込んでしまっては万が一の思わぬ反撃があるかもしれない。それならば、何もかもがつまびらかになった状態で戦った方が、結局は安全に無傷で勝てると思っているのではないだろうか。

 そんなことを考えて、おれは警戒しながらも階段を上がった。罠も待ち伏せもなかった。寝室の襖は開け放たれていた。たちまちおれは寝室に二人の人間の姿を見た。

「宗次郎!」

 一人は我が仇敵で、その顔を見た途端、衝動的におれはやつを大声で怒鳴りつけていた。宗次郎は無言でにらみ返してきた。一丁前に家宝の太刀を佩いてはいるが、やつの腰抜け剣術なぞ三島家で知らぬものはいない。

「宗次郎様、しばしお下がりくだされ……」

 もう一人の男は知らぬ顔だった。こいつが玄冬という宗次郎御自慢の用心棒なのだろう。玄冬は白髪交じりの蓬髪で、肌は日に焼けて浅黒かった。意外に小柄な体躯をしている。眼光炯々として、人を殺めたことのある顔つきをしている。しかし、先ほど耳にした話し方にはどこか甘ったれた幼さが残っていた。おれは玄冬に対してちぐはぐで不気味な印象を抱いた。

 宗次郎は寝室の奥の衣装部屋にいつでも逃げ込める位置に動いた。あの部屋におれのちんちんもしまわれているに違いないと確信した。玄冬を殺して、宗次郎を血祭りに上げねばなるまい。

 玄冬がこの一戦にこめる意気込みだとか、宗次郎に仕える理由だとか、おれにはさらさら興味はない。前口上などなし、単刀直入に玄冬目掛けて尿撃を放った。先のような手落ちはない。おれはおしっこが玄冬の体を貫いた光景を予想した。

 しかし驚くべきことに、玄冬はおれが飛ばしたおしっこを事もなげにかわした。義ちんちんから発射される尿は童のおしっこのかけっこ遊びなどとは桁が違うもので、熟練の射手が長弓より放つ矢に勝るとも劣らぬ速さを有している。

 それを、玄冬はスッと避けたのである。

 おれは我が目を疑った。しかし、呆けることなどあとでいくらでもできる。おれは間髪を入れず次々とおしっこをした。胴体だけでなく、頭、首、下腹部をねらったり、二股おしっこも試した。ところが、玄冬はそれらすべてを、体をよじったり反らしたり、半歩だけ動いたり、飛び跳ねたりして、表情一つ変えずに回避していった。

 玄冬は鞘に収まったままの打ち刀を控え銃のような姿勢で携え、わずかに膝を曲げた姿勢から、おれの尿撃をひらり、ひらりと避けるのであった。もしこの芸当を縁日で大道芸として見物していれば、お見事、天晴というお話であろうが、生きるか死ぬかの瀬戸際でこんなものを披露されれば青ざめるしかない。

 何か悪い夢でも見せられているような気分になってきていた。この男は天狗か仙人のたぐいではあるまいか。おれは焦燥感で気が変になりそうだった。

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