錫々

@con

1話

 ちんちんがなくて、牝の騾馬に生まれ変わっている夢を見た。夢の中でおれは驢馬と馬のあいのこなる家畜となって人々に酷使される。骨が軋み肉がちぎれるような重い荷駄を背に括り付けられ、どこまでも続く悪路の坂道を歩かされ、息をつこうと立ち止まれば罵倒されて尻を蹴られるのだ。

 おれはその哀れなおれを第三者の視点で眺めることができた。騾馬のおれはひたすらに貧相な体躯を鎖のように引きずっていて、まだわずか生気の残ったまなざしが事情を承知できぬ愚かさを表しているようで、かえって哀れみを深めた。


「お前さん、えらくうなされておったぞ」

 荷駄を崩し落としてしまい、飼い主にひときわ大きく蹴り上げられようかというところで、ようよう、目が覚めた。おれは破れ寺の本殿建物の湿った板に寝ていた。寺の住職が言葉とは裏腹に少しも心配していないふうに声をかけてきた。

「あの夢を見たのだ」

「そうかい。そいつは未練かね、覚悟かね」

「わからん。だが、宗次郎のやつは斬らねばなるまい」

 住職はおれに背を向けたまま、カッ、カッ、と音を立てて細工仕事をしているようだった。垢にまみれた柿色の襤褸に身を包み、髪も髭も伸びるがままにしていて、知らぬ人が見れば年老いた物乞いのたぐいにしか見えなかった。いや、実際のところは勝手に僧侶を名乗っているだけの頭の狂った乞食なのかもしれない。しかしともあれ、この汚い住職の素性も生い立ちもわからぬが、瀕死のおれを拾ったことだけは確かだった。

 寝起きの尿意があり、厠に立とうとしたところで、ちんちんがないことに気づいた。

「しょんべんか。ちっと待っとれ。もうすぐ終わる」

 住職は細工を仕上げると、おれにその成果を渡してきた。さっそくおれは受け取った義ちんちんを所定の部位に、パチン、とはめた。

「見かけは変わらぬようだが」

「火を噴けるようにしてやった。そこの穴が油の差し込み口だ」

 おれは用足しに寺の裏手にある竹藪にびっこをひいて行った。

 義ちんちんを取り出して根元にぐるっとしたためられた文字を確認した。昨夜までは「止、射、鉤」だけだったが「火」という文字が増えていた。ここに合わせれば義ちんちんから火が噴き出すのだろうか。しかしいまはそれを確認するより出すものを出してすっきりしたい。おれは義ちんちんをガチャリと回転させ、目盛りを「射」に合わせて下腹部に力を入れた。たちまち義ちんちんからすさまじい勢いで鋭利な尿が放出され、伸び放題になっている竹の一本を景気よくスパッと斬った。竹藪にはそうしておれが斬った竹の残骸が無数にあった。

「和尚、排尿の威力が上がっているな」

「もののついでにやってみたが、うまくいったようだの」

 一仕事終わらせた住職は朝酒をやっていた。強い酒で、臭いがただよっていた。肴を用意することもなく、茶碗酒をすすっている。おれは食欲はなかったのだが薬と思って堅い干し魚を無理矢理二枚かじった。

「だいぶ傷も癒えてきたようじゃな」

「うむ。このぶんなら近いうちにここを立てるかもしれん」

 朝食を済ませて、おれは落ちた体力を少しでも戻すために付近の散歩に出掛けた。寺は集落から離れたところにあって、めったに他人は寄り付かない。人通りの少ない道には草が生い茂っている。

 道々歩きながら、おれは怪我の具合を確かめた。腕の傷はそれほど深くなかったらしくもうほとんど治っている。脇腹の傷はまだ完全にはふさがり切っていないがほとんど血は止まった。脚の傷は悪い。まだ少し血がにじむ。おれは住職から借りた錫杖で体を支えながらひょこひょこと歩いた。とりわけ左の脚は深く斬られたようで、萎えて力が入らない。住職の見立てでは「この脚はもうどうにもならん」とのことらしい。

 何より、ちんちんを失った。おれを襲った刺客どもに斬り飛ばされてしまった。替わりに、住職がこしらえたからくり仕掛けの義ちんちんがそこには収まっている。


 刺客どもに襲撃されたときのことはよくおぼえている。共を連れて遠縁のものの家を訪ねた日の夜である。おれは訪問先で酒肴を食って少し酔っていた。屋敷に帰る途中で、酒と寒さのせいでひどく尿意をおぼえ、水堀に向かって盛大にゆばりを飛ばした。暗い夜だった。

 共の従者に「ずいぶん出る」などと軽口を叩こうとした。酔いのせいで、いまとなって思えば幸運に、体が傾いだ。瞬間、ちんちんが猛火を当てられたような激痛に襲われた。かじかんだ指先を濡らした血が熱い湯のように感じられた。

 おれはたまらず少しうずくまりながらも、乏しい灯りの中で必死に周囲を確認した。共の従者は冷たい地面に伏せてぴくりともしない。いいやつだったというのに。相手は三人か、もっといるような気配がした。

「宗次郎の手先か――」

 咄嗟にやつの軟弱な顔が浮かんだ。しかしそれ以上は何も考えられなかった。数人の刺客たちが次々と刀を振り下ろしてきた。おれは刀を抜いて応戦する余裕もなく、必死に避け逃げ回った。

 しかし多勢に無勢、何より最初の一撃が効いていた。息切れと吐き気がして、視界が明滅していた。体に力が入らない。ちんちんだけでなく、体中をどこそこ斬られたようだった。了見するいとまもなく死ぬことに戸惑いがあった。

 記憶はそこで途切れた。次の記憶はこの破れ寺で、おれは寒さと激痛で目が覚めた。苦痛と恐怖心を紛らわそうと一声吠えて、すぐにまた気を失った。住職の話ではそれから五日ほど昏睡状態が続いたそうである。

「お前さんは水堀に落ちたか自分で飛び込んだか、ともかく流されていったところをたまさかわしが見つけたのよ」

 次に目が覚めたとき、体中に倦怠感はあったが恐怖心は消えていた。この調子なら死ぬことはないように思えた。

 おれの様子を見て、住職は問わず語りに話をはじめた。


 あの日、住職は城下に物乞いにやってきていた。暗くなるまで粘り、そこそこの施しを得た。あてもなく街を歩いていると、銭のなさそうな長屋で、銭のなさそうな連中が、いかにもしけた面を並べて往生していた。

「お困りごとか」

「じじい、物乞いかよ。銭なら見てのとおりだ。だいたい、死んだやつを弔う銭ですら集まらねえで困ってんだ」

「わしは通りすがりの坊主よ。似たようなもんかもしれんがな。フン、これも縁なら念仏ぐらいタダで上げてやるわい」

 住職は長屋に上がって死んだ住人に向かってブツブツ唱えてやった。長屋の連中は「ありがてえ。これで成仏するだろうぜ」とよろこんだ。それから連中は「棺桶を買う銭もない」といって、死体を水路に打っ棄った。

 住職は特になんの感慨も抱かなかったが、なんとはなしに死体を眺めながら水路沿いに歩いてみた。まもなく、死体は暗がりへと見えなくなっていった。帰るべく踵を返そうとしたとき、ふと、上流から新手の死体か何かが流れてくることに気づいた。仰向けに浮いている。今日はそういう日なのかねと念仏を口ずさみかけたところで、なぜだか今度のやつはまだ流すには早いような気がした。

 水から力任せに引き上げてみると武士の男だった。全身から流血していたがまだ脈はあった。息もしている。しかし放っておけば早晩死ぬるのは確かだった。当座の手当てをして、住職は男を自分の寺にかついで帰った。


「助からんかと思っとった。それならそれでしかたがないとな」

「かたじけない。この借りは必ずや返させてもらおう。おれは三島家当主宗仁の長男、三島家惣領宗允である」

「ほう、お殿様の跡継ぎだったとは、とんだ拾いものじゃったわい」

「この傷、おそらくはおれの従弟の宗次郎にやられたと思うのだが……、はて、そういえば……」

 おれは話しているうちにだんだんと頭がはっきりしてきた。あの日、宗次郎が送り込んだと思しき刺客どもに襲われたこと、それから、ちんちんを斬り飛ばされたこと……。おれはおそるおそるちんちんがあるべきところを手でさぐった。すると、金属か何かに触った。

「お、和尚、おれのちんちんは……」

「むごいことよの。放っておけば傷といっしょにしょんべんの穴がふさがってまずいことになる。だからそいつを取り付けてやったのだ」

 おれは住職の説明に「ふむ」とわかったようなわからないようなあいづちを打った。ともあれ、おれの命を救うために知恵をしぼってくれたことに違いないのだ。感謝せねばなるまい。

「ところで和尚、目が覚めたばかりでしかたのないことだが、小用を足したいのだ。これはその、生身のちんちんとおなじように扱っていいものなのか」

「目盛りを『止』から『射』に回していきめばいいさ。周囲に気をつけな」

 おれは痛む体をどうにか這いずり、本殿建物の入り口まで来た。両膝を立てた姿勢で、屋外に向かって排尿した。たちまちあずきを煮たような色の尿がとんでもない勢いで噴き出した。尿は境内の朽ちかけた灯篭に当たった。

「お、お、お、和尚!」

「騒々しいな。その色は血が混じってるからさ。臓腑を痛めたせいだろう。じきに治るのだからそう取り乱さんでいい」

「いや、いや、勢いが尋常ではないようだが」

 おれの驚愕の訴えに、住職は重い腰を上げてのろのろと様子を見にきた。

「お前さん、しょんべんをあの灯篭に当てたのかね」

「そうだ。あそこまでゆうに十間はあるぞ」

 住職はあごをさすり首をひねり、眉間に深いしわを寄せて何事かに思考を張り巡らせているようだった。

「やはりもう少し勢いがいるな。それに、しぼりも甘い。これじゃあ人は殺せん。ま、お前さんが元気になるまでには仕上げてやるから安心するこった」

 そのときから、おれの治療と住職の細工仕事の日々が始まったのである。

「……その脚じゃあ、動くのも難儀するだろう。鉤縄が出るようにしてやったわい」

 目盛りを「鉤」に合わせて力をこめると、義ちんちんの先端が鉤に変形しながら飛び出して梁に引っかかった。

「そいつは下半身に加える力の微妙な加減で操れるようになっておる。せいぜい、使いこなすこった」

 おれはその説明を梁からぶら下がったまま聞いたものである。

「……しょんべんの収斂性を改善した。これなら人を殺せるじゃろう」

 立て板に向け、渾身の力をこめて排尿するとおしっこが板を貫通した。

「まあ、そんなもんか。いまは一発で全部出し切ってしまうが、継戦能力も考えんとな」


 というように、住職に救われてから今日までのことをおれは不具の体を引きずりながら、ぽつり、ぽつりと思い出していた。踏みならされていない、歩きにくい道だった。住職の意図や義理はよくわからぬが、仔細伝えたことはないけれども、おれが復讐の炎をくぶらせていて、それに手を貸してくれているらしいことはわかった。

 前方にこちらへ向かってくる人影が見えた。この方面には民家も田畑もなく、あの寺か住職かにいかなる縁があるのかしらんとおれはいぶかしんだ。

 あるいは追っ手のたぐいかもしれない。用心深い宗次郎のこと、おれの生死を確かめるまでは安心できぬことだろう。いまのおれの身なりは武士ではなく半端な修験者なようなもので、顔は頭巾で隠しているとはいえ、警戒するに越したことはない。

 人影が近づいてきて姿が露わになってきた。果たして相手は武士の成りをしている。おれは静かに義ちんちんの目盛りを「射」に合わせておいた。

 あと五六歩も近づけば剣戟の間合いに入ろうかというところで、相手の武士はおもむろに道のわきにのいて、ぬかずいてきた。いささか面食らったが、おれの知らぬ奇妙な流派の手筋ではあるまいかと警戒して、おれも立ち止まってそれ以上は距離を縮めなかった。武士の横顔を見るに、おれより一回りほど若いやつに見える。やや強張った表情からは歓喜と緊張の色が見てとれる。

 おれが黙って出方をうかがっていると、若い武士が溌溂とした声を上げた。

「卒爾ながらお尋ね申し上げる。拙者、三島家配下の森田信親という軽輩にござる! あなた様は我らが主、三島宗允様ではござらぬか」

 頭巾に隠した顔で平静を装っていたが、内心、おれは肝が冷える思いがしていた。ここしばらく、傷を癒やすことを専ら考えるよう努めていたのだが、とうとう、来るべきときが来てしまったようである。

 この若武者の顔にも名前にも確たる心当たりはないが、ひとまずはおれの味方のようではある。しかしいずれにせよ、だれかに見つかったということは宗次郎らの一味に見つかってもおかしくはない。あまり猶予はないようだ。

 おれが考え込んで黙っていると、森田はひれ伏したまま一人でしゃべり続けた。

「拙者の了見違いか、御深慮あってお姿いましばらくお隠しになるのであれば、いたらぬ独り言と思って申し上げる。殿は……あなた様のお父上宗仁様は身まかりました……」

 これにはさすがに黙っているわけにはいかなくなった。

「長らく病で臥せってはいたが、そうか……。親の死に目にも会わず、おれはとんだ不孝者だ」

 おれは錫杖をわなわなと握りしめ、折れんばかりに力を込めた。あの、外道! この恥辱は必ずやすすがねばあの世で父に合わせる顔がない。

「して、いまは宗次郎のやつが三島の当主を僭称しているというわけだな」

「左様にござる」

 森田は現在の城のありさまを語った。曰く、宗次郎は自らの息のかかった家来を引き連れて一族の当主を名乗り、おれもよく知る忠臣らは冷や飯を食わされ城内で軟禁状態にあるという。

「いまは代替わりの直後ゆえ、公儀や諸国の耳目を集めていることもあり、はためには穏当に先代の宗仁様のやり方を踏襲しています。しかれども、いずれ時機がくればやつめがほしいままに振る舞うことは自明にござる」

 また、森田の話によれば、おれは酔って水堀に落ちて溺死したことになっているそうである。しかしおれの死体が揚がらなかったことは領民たちの耳にも入ったようで、おれと宗次郎との確執を知る人々は「宗次郎がやって、しくじったのだろうよ」と陰でうわさしているらしい。事の真実を知る宗次郎とやつの側近どもはいまだに血眼でおれの身柄を捜索しているというのだ。

「拙者が宗允様を見つけられたのは全くの偶然にござる。拙者の女房はこのあたりの村の生まれで、つい先日、女房が一人で村の知り合いのもとを訪ねた折、遠目ではあるが宗允様に似た人影を見かけたと申しました。女房の視力は左右15.0にござる。それを聞いていてもたってもいられなくなり、幸い、拙者は有象無象の軽輩ゆえ、宗次郎めに気取られることもなく、かように参上できた次第にござる」

 森田は熱っぽく語った。そのうち、感極まったのか嗚咽交じりの声になった。

「家臣一同、宗允様の御無事を信じておりましたが……こ、こうして本当に……うっうっ、おいたわしや……」

 森田は滂沱と涙を流した。悔しくてしようがないのだ。おれは怒りの感情の方が強かった。それからまた、こんな若者を泣かせた自分に愧じた。

「森田といったな。おれは不孝者ではあったかもしれんが、良い家臣を持てて果報者ではあったようだ。艱難にもめげず、死んだ人間をよくぞ見つけてくれた。大儀であった」

 おれがねぎらいの声をかけると、森田は恐縮し、ますます感情を露わにした。若干、おれはそれを持て余し、しばし静観してからかねてよりの懸案を尋ねてみた。

「ところでだな、その、なかなかいいづらいことではあるのだが、まあなんだ、おれの、あれだ、おれの……ち、ちんちんはどうなったか知らぬか」

 ちんちん、とおれが口にすると、森田は文字どおり顔色を変えた。耳まで真っ赤になっている。彼の名誉のために念を押しておくが、森田はちんちんという単語に恥じらいを感じているわけではなく、激しい憤りを感じたからである。

「はっ、そのことでござるが、宗允様のおちんちんは御息災であると聞いております。されど……」

 おれのちんちんが現存していることにひとまずは安堵したが、何やら森田はその先に続く言葉に躊躇しているようである。

「案ずるな。こうなった以上は相当の苦難は覚悟している。おれのちんちんはどうなっておるのだ」

「ははっ、これはあくまでほかの上役から聞いた話にござるが、宗次郎めは自らが寵愛する側近らと、宗仁様に仕えていた重臣らを夜な夜な集めると、そこで宗允様のおちんちんを披露して、宗允様を嘲る言葉を囃し立てているというのです。最近では毛の長い甘ったれたちびた犬(狆)を二匹飼い馴らして、この犬っころに宗允様のおちんちんをもてあそばせているらしいのです。我ら家臣一同、宗允様のおちんちんを取り戻すため、これまで屈辱に耐え忍んで参りましたが……」

 森田は感情の昂ぶりとおれへの遠慮のため、ところどころいいよどみながらも、おれのちんちんの状況を語ってくれた。森田以上に、当の本人であるおれもいうまでもなく激怒していた。四肢がひきつけを起こしたように強張り、とめどなく口中に唾液があふれ、めまいがした。下衆めが!

「よくぞ……よくぞ話してくれた。かような主君の恥辱、語れば口が腐る思いもしたろう。だがこれでおれの決意は揺るがぬものとなった。我が全身全霊を賭けて、宗次郎は叩っ斬る。八つ裂きでも足るまい!」

 おれは森田と別れた。森田にはくれぐれも軽率な行動は慎むよう厳命した。そしてまた、万が一にもおれが宗次郎に敗れた場合は、おれのことは忘れて、宗次郎ではなく領民どものために勤めを全うするよう伝えた。


 寺に帰ると住職は寝ていた。おれはなるべく音を立てないつもりで身の回りのものを整理していたが、気配に気づいたらしい住職がのっそりと起き出した。

「お前さん、やはり行くのだね」

「おれを探しにきた配下のものに会って話を聞いた。おれのちんちんは元気だそうだ。それから城内の惨状もな。明朝、ここを立つ。和尚には世話になった」

「難儀なことよ……」

 住職は再び横になるといびきをかいて眠り始めた。昼に寝て、夜おれが寝ているあいだに義ちんちんに細工をするのが住職のだいたいの日課だった。それも今日までのことだろう。

 おれは暗くなるまで義ちんちん術を鍛錬した。鉤を使った移動とそれを応用した回避と強襲、尿による射撃、火噴きによる攻撃と防御、またたくまに日が暮れた。

(ちんちんにこんな使い方があったとはな……)

 住職が夕餉を用意して待っていた。礼をいうと、

「ひさびさに張り合いがある日々じゃったわい」

と満足そうに応えた。

 最後だと酒を勧められたが断った。

「今生の別れというわけでもあるまい。事を成したら、そのときは二人で盛大に飲み明かそうではないか」

 住職は「そうだの」と小さくつぶやき、いつもどおり手酌でやり出した。おれの分も用意したつもりだったのか、平時よりも酒量が多く、椀を空ける調子が早いような気がした。

「わて、ほんまは坊主やないねん……」

 おもむろに、住職は聞き慣れないなまりで、ひっく、ひっく、と身の上話を始めた。おれはなおざりなあいづちで酔った老人の繰り言に黙って耳を傾けた。

 それによれば、住職はもともとは上方の近くの生まれで、そこで盗人をやっていたとのことである。あるとき相方に裏切られてひどいめに遭い、這う這うの体で江戸に逃げ込み、心機一転、大工になりすましたそうである。

「盗人時代から屋根切ったり錠前こじ開けたり、そないな仕事が生来得意やってん」

 江戸ではそこそこ腕の知れた大工で通り、所帯を持つまでいったのだという。しかしあるときに酒屋で酔った浪人にからまれ、口論の末もみ合いとなり、結句、もののはずみで相手を死なせてしまったそうである。

「皮肉なもんやで……。咎人のころは人っ子傷つけたことあらへんのに、堅気になって人を殺めるなんて……」

 しようがなく江戸から逐電し、各地を転々とさすらった末にこの破れ寺に落ち着いたというらちもない話であった。

「なんでやろうなぁ……」

 住職はふらりと外に出た。おれはこの老人にしてやれることを何も思いつかなかった。住職が戻る前に、おれは義ちんちんを外して眠りについた。そして夜が明けた。


「起きたか。昨夜はよく眠っておったぞ」

 住職の酔いはさめたようで、このあたりの地域のなまりで口を開いた。おれが起きるのを待っていたらしく、最後の一仕事を仕込んだ義ちんちんをおれに授けてきた。

「うまくいっているはずだ」

「恩に着る」

 おれは義ちんちんをパチンチンとはめた。根元の目盛りをあらためると、「止、射、鉤、火」に加えて「霧」という文字が増えていた。

「その霧に合わせれば、霧吹きを使ったようにしょんべんを出すことができる。やさしく湿らせたいときに使うのだな」

 おれはこれまでの人生において、尿で物をやさしく湿らせたいという差し迫った状況に遭遇したことがなければ、そういうことをしてみたいという誘惑にかられたこともなかった。したがって、この細工の有意義な使い道をすぐには思いつかなかった。おそらく今後も思いつくことはないのではないだろうか。

 さらに目盛りを見ると、「ジョウロ」という文字があった。

「それは家庭菜園とかで作物に水をやりたいときに最適じゃろう」

「なるほど。しかし小便を直接かけても大丈夫なものだろうか。子供のころ、畑に小便をして百姓にどやされたことがあるが」

「大丈夫ではないな。いかんいかん。人間、酔っ払って仕事をするもんではないな、ふはっ」

「確かに」

 伏線でもなんでもなく、ジョウロを使うこともないだろうとなおれは思った。

「わしにやれることはこのくらいだ。達者でな」

 支え杖にしていた錫杖を餞別としてもらい受け、おれは破れ寺をあとにした。


 夕刻ごろに城下までたどり着き、いっときの潜伏先として住職に勧められた旅籠で刻限まで体を休めることにした。騒ぎを避けるために頭巾で顔を隠したままだったが、応対に出た宿のものは少しも怪しむところがなかった。

「急ぐ旅である。未明には立たせてもらう」

「承りました。それで、お連れ様はいつごろお見えになりますか」

「いや、一人だ」

「ははあん、左様でございますか。そうしますと手前どもの知り合いを向かわせますので、御趣向ございましたらお聞かせを」

 宿のものは何やらいわぬが花といった表情でにやついた。それでようやく合点がいったが、どうやらこの宿は連れ込み宿のようである。客の素性をことさらに詮索しようとしないわけだ。

 おれはつくづく苦笑した。大けがをしてそれどころでなかったということもあるが、改めて想像してもどこにもそんな気持ちは湧いてこなかった。ちんちんを失っているいまは関係のない世界であり、さびしいという気持ちもあれば、せいせいしたという感情もあった。

「ああ、そうか、うむ。それではその、これぐらいの歳の女を工面してくれ」

 無理に断るのも不自然に映ると思い、おれは自分よりもやや上の女を頼んだ。適当に話をつけて、飯でも食ってごまかすつもりでいた。

「お宮でございます」

 部屋で所在なげにしていると、しばらくして女がやってきた。市井にいる町人のような恰好をしているから、普段は店の手伝いもしているのかもしれない。実際、店のものが茶でも運んできたのかと思った。愛想はいい女であった。

「そんでお客さん、ご飯召し上がってからにしますか。それともさっそく――」

 この手の店を利用したことがなかったとはいえ、なんとなくの空気は仄聞していた。それと比べれば、ずいぶんと勝負が早いことだといささか気圧された。

「すまんが今日はそういう気分ではないのだ。飯だけもらおうか。気を悪くせんでくれ」

 女は特段の嘲りや困惑を浮かべることもなく、「あらまあ」とおどけて驚くふりをした。

「お客さん、お坊さんでしょ。うちの店は口が堅いんでよく使ってもらっとるんです。でもやっぱり根がまじめな人が多いんでしょうね。直前でお客さんみたいに断る人も結構いますよ、ええ」

 お宮はおれの外見と携行品から納得しているようだった。坊主の話の真贋は不明だが、おれに気を遣っているらしい物言いであることは感じられた。

「おしろいの匂いだけで満足する人とか、元からご飯の方が目的の人なんかもおりますかねえ」

 しゃべる気分になれず、おれは懐手でむっすりとしていた(頭巾で隠したままなので表情は見えぬだろうが……)。お宮はそういう客のあしらいにも慣れているのか、おれの態度に頓着することなく、てきぱきと茶を淹れていた。その所作やお宮の体つきに特段なんの感情も浮かばないまま黙って見ていた。お宮は自身の分を淹れると「忙しくってのど乾いてるもんで、ちょいと失敬」と一息で、ぐいっ、と飲み干した。

 お宮の気風のあけすけしたところに半ば感心しつつ、おれも茶を飲んだ。三杯飲んだ。義ちんちんに仕掛けられたからくりを動作させるためには、尿が不可欠だからである。

「今日はしじみが入りましたんで汁にしましたけど、食べられます?」

「もらおう」

 お宮は厨房かどこかへ下りていった。おれはこの店に通う生臭坊主どものなりふりを勝手に想像して一人でほくそ笑んだ。人間らしくて結構なことではないか。

 おれはお宮が持ってきた飯を食った。寺では肴のようなものばかりだったので、温かい汁をゆっくりすすっているとかつての平穏な生活をしみじみ思い出した。しじみだけに。胸に込み上げるものがあり、まだこれからだと自分を叱咤した。飯を食っているあいだ、お宮は店に来た変な客の話をしておれを接待した。

 飯を食い終わり、おれはお宮に竹筒に茶を満たすように頼み、それから刻限を知らせるついでに部屋に持ってくるように告げた。酒を飲まず、女にちょっかいも出さないとなるとずいぶんと早くすることがなくなった。おれは畳の上にごろんと転がった。天井を見つめながらとりとめもないことを思った。

 宗次郎を斬れるだろうか? 頭の中で自信がある瞬間とない瞬間がみなものように浮き沈みした。宗次郎に嫡子がいるとは聞かぬから、斬れば三島の血は断絶することになる。さもあればあれ、だ。そのときは養子でも取るよりほかない。おれは近代法理論における相続の合理的な正当性に対して機会均等の概念から批判しようとしたが答えは出なかった。しかしともあれ、宗次郎を斬らなければおれは未来永劫にわたって不当に侮辱され続けるのであるし、やつがおれのもっとも私的な財物を不当に所持していることは確かなのである。

 いつのまにかおれは眠っていた。浅い夢の中でおれは鴨になって、ほかの多くの鴨といっしょに池で群れていた。突然、周囲の鴨が一斉に飛び立つのだが、おれだけは脚に水草か何かがからまってうまく飛べず、もがいて、そのうちに疲れて溺れてしまった。

「お客さん、ずいぶんとうなされとったけど、大丈夫ですか」

 目を覚ますとおれの傍らでお宮が座っていた。定刻になったことを告げに来たらしい。おれは「うむむ」とあくびと伸びが混ざったような声で返事をした。上半身だけ起こして、しばらく腑抜けた顔をさらした。

「では世話になった。良いひとときであったぞ」

「どうも、またのお越しを」

 おれは二度とは来ない店をあとにして、一人、ちんちんを取り戻しに敵の根城へと向かった。

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