7月22日  17−2

夕食は子持ちカレイの煮付け、青菜のお浸し、きんぴらという、やや田舎のおばあちゃんの家のような献立であったが、久しぶりに何の気兼ねもなく食事を取れた俺はずっと上機嫌だった。


そんな俺の様子を、母と幼なじみは微笑ましく見ていた。食後も会話は弾み、楽しい時間を過ごした。しばらくして、彼女を送っていく時間になったので俺は切り出した。


「今日は送っていく」

「いいよ、すぐ近くだから」

彼女は固辞したが、ここは譲れないところだ。


「いや、絶対に送っていく」

そう言うと、幼なじみは母の顔をなんとも言えない顔で見た。母は、

「……送ってもらえばいいんじゃない? 散歩よ、散歩」

と促した。幼なじみは仕方ないといったていで承諾した。


俺たちは外に出た。ぬるい夜風が吹く中、俺は足取り軽く歩みを進めた。

「そこ、右曲がって、右ね」

幼なじみは俺を案内する。いや知っているよ、と言いそうになったが辞めた。


出し抜けに幼なじみが俺に話しかけてきた。

「……ほんとに、オーラとか見えるの? 」

やや驚いたものの、俺は落ち着いた振りをして、うん、と答えた。幼なじみはさらに質問する。


「猫ちゃんは黒って言ってたね。他の人にも見える? 」

「見える。人によって色とりどりだよ」

そう答えると、彼女は続けた。


「私は? 」

俺は少し間を取って彼女をまじまじと見つめた。視線を受けて彼女は少し身じろぐ。

「……黒」

そう言うと、驚かさないで、もう! と彼女は肩を震わせた。俺はその様子をニヤニヤと見ていた。しばらくすると、彼女は真剣な顔になった。


「じゃあ……あなたは? 」

そう静かに彼女は尋ねてきた。俺? そう言えば気にしてなかった。俺は何色なんだろう。


「何色に見える? 」

「……知らないよ」

頬をふくらませて彼女は抗議した。俺が何色なのか。今度、鏡で見てみよう。


そんなやり取りをしているうちに、次の角を曲がり、彼女の家が見えてきた。

「……寄ってく? 」

彼女はそう言った。俺は少し懊悩おうのうしたが、承諾した。


「お茶飲んでいきなよ」

そう言いながら彼女は俺を招き入れてくれた。


自分の両親とよく似た印象の彼女の両親は、時間など全く気にせず俺を優しく迎え入れてくれた。冷たい麦茶が出され、しばしほっとする。


幼なじみとの会話が心地いい。しばらくの間、他愛たわいない会話を楽しむ。三十分ほどして、話すこともなくなり、少しの沈黙が訪れた。幼なじみは

「あたし、先にお風呂入るね。ゆっくりしてて」

と言って、バスルームの方に向かった。


途端に手持ち無沙汰ぶさたになる。彼女の両親も自室に戻り出てこない。どうしようか。


そうだ。

ちょっとしたイタズラ心が刺激された俺は、彼女の部屋に向かった。確か、部屋は二階だ。


音が出ないように気をつけて階段を上る。彼女の部屋に入るのはいつぶりだろうか。風呂に入っている間に何か、面白いものを見つけてやろう。そんな悪童のような思考で、俺は彼女の部屋に忍び込むことにした。


キィと静かにドアノブを開く。真っ暗で何も見えない。部屋から彼女の匂いがほんのり漂ってくる。本や服が乱雑に置かれている。俺はクスリと笑った。昔から片付けが苦手な奴だったな、そう言えば。


悪いと思いながらも辺りを探していると、デスクに白い表紙の大学ノートを見つけた。表紙には何も書いていない。好奇心でちらりと一ページめくって見る。そこにはこう書かれていた。

 


 四月二日。今日も猫と登校した。本当に人懐こい。あいつにもよく懐いていて、横断歩道を待っている間足に鼻をこすりつけてきた。マーキングされてる。今度、にゃおチュールあげようかな。

 

 

日記だ。面白いものを見つけた。どんどん湧いてくる危険な好奇心に任せて、次のページをめくる。

 

 

 五月十日 付けをしたらとても機嫌が良くなった。お腹を丸出しにして撫でろとばかりのポーズだ。お腹の毛はやはり真っ白でふわふわだった。幸せ。

 

 

日記はそれからも続いた。野猫を可愛がる話が多い。俺も隣でよく見ていたからわかる。それだけに心が締め付けられる思いだった。本当に、なんであんなことが……


ペラペラとページをめくる。だんだん行数が少なくなっていった。彼女は割とズボラなタイプだ。そして、あるページで指を止めた。

 

 

 私は許せない。のうのうと生きているあいつ。死んで償うべきだ。○○は死ぬべき。死ね死ね死ね!!!!!!

 

 

俺は凍りつく。そしてすぐにノートを閉じた。今のは何かの見間違いか? 俺の名前が書いてなかったか? 


 

ドアノブが突然キィと音を立てた。俺は驚いて身構える。だが、しばらくしても、誰かがいるような気配はなかった。かすかに開いたドアが風で動いただけのようだ。


念の為、部屋を出て階下の音に耳を傾ける。まだシャワーの流水音が聞こえた。安堵あんどすると共に、俺はまた彼女の部屋に向かった。



もう一度、問題のノートに向き直った。恐る恐るページをめくりながら探す。例のページで止まった。

 

 〇〇は死ぬべき。

 

間違いなく、俺の名前が書いてあった。再び混乱する。俺はなにか彼女に恨みを買うようなことをした覚えがなかった。一日前、一週間前、一月前、一年前、十年前。記憶を辿るもやはり覚えがない。


疑問が解けないまま次のページをめくると、巨大な文字で「〇〇は死ね」と書かれてあった。次のページもその次のページも、同じだった。段々と字が大きくなり、歪んでいく。


俺は恐ろしくなり、ノートを閉じた。そして慎重に部屋に入った形跡がないか確認したあと、そっとドアを閉めて彼女の部屋を発った。音を立てないように階下のリビングに戻る。


このままここにいることに危険を感じる。おもむろに、俺は帰る準備を始めた。



「どこに行くの? 」

突然、話しかけられる。振り返ると、風呂上がりの湯気をまとったキャミソール姿の彼女がいた。


「いや、か、帰るよ」

平静を装い、辛うじて俺は声を出した。

「? 大丈夫? 」

「……大事な用を思い出した」

一刻も早くここを離れたい。


そんな心を見透かすように彼女は抑揚なく答える。

「そう。じゃあ私も送っていくね」

優しいその言葉は、何か不穏な空気をかもし出す。


「いや、いいよ、ほんとに」

俺はそう言って早々に支度をして玄関に向かい、靴を履く。そのまま振り返らずドアを開けて門扉を出ようとした俺の肩に手が添えられた。


「あぶないよ」

体がこわばる。声が出ない。


彼女は右を指さした。見ればトラックが丁度角を曲がってこちらに向かってくるところだった。

「あ、ほんとだ。危なかった。それじゃ、また」


そう言って彼女の顔を見ると、湯気をかき消すほどの勢いで白いモヤが色濃く立ち上がっているのが見えた。


それを見て思わず身動 じろぎする俺を、彼女は、今まで見た事のない表情で見つめる。なぜか彼女の眉は歪んでいるように見えた。俺はまた怖じ気付く。


「ダメ、このままでは……」

その彼女の最後の台詞を俺はよく聞き取れなかった。


なぜなら、スピードを上げて家の前の道路を突っ切るオレンジ色のトラックに、上半身が吹き飛ばされたからだ。彼女は俺を、トラック目掛けて全力で押した。押したのだ。


経験したことの無い速度で地面が遠ざかっていく。その視界は星の瞬く夜空を一望した。満点の星空。


これが帰り道なら、星座を探して夢中で彼女に話したかも知れない。だが、その空は徐々に高度が下がり、上下と左右が反転する。突然、視界は金属と回転する巨大な車輪を写し込んだ。


次の瞬間、轟音と共に俺の頭は壁に衝突し、意識が切れた。

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