7月22日  17−1

目が覚めた。七月二十二日の朝はやはり茹だるような暑さだ。


妙な夢を見た気がする。まだこのループに閉ざされる前の日常の夢。のんきに猫の話ができた頃の夢。それらを思い出した瞬間、俺は神に感謝した。


記憶がある。死の瞬間こそおぼろ気だったが、真っ赤に染まった視界。体が何かに追突した衝撃。生々しい記憶が残っていた。だが、体は問題なく動く。


今度は、今度こそは上手くやれるかもしれない。俺は意気込んだ。


階下で幼なじみの声がした。意を決して階段を下りる。彼女はいつものように笑顔を向けてくれていた。その背中から白いモヤが見えた。



通学路を歩いていくと、野猫に出会った。思わず警戒する。猫からは黒い蒸気が、以前よりも濃厚に出ていることが見て取れた。このモヤは何なのだろう? 


道行く人全員に見える。人によって色が違うが、たまに似通った色を出している人もいた。


だが、幼なじみとこの猫は特別だ。他の人は鮮やかな色合いのモヤを出しているのに、このひとりと一匹は無彩色。つまり、白と黒。これだけ繰り返すと、その事に違和感を覚えずに居られない。


幼なじみの死か、野猫の死か。それを判別している? それとも別の意味が? だがどちらも黒、もしくはどちらも白というのならば納得できる。だが二人のモヤは白黒。だめだ。分からない。でも、何かを提起していることは確かだ。

 

 

しばらく歩き、校門前の横断歩道に着いた。俺たちふたりの横に野猫がすました顔でちょこんと止まった。信号が青になり、幼なじみが一歩、前に出ようとした。



俺はそれを止めた。驚いた顔で彼女はこちらを見る。すると、猫も戸惑ったように止まった。

「……右を見て。あのトラック、なんかフラフラしてる。……運転手、スマホいじってやがる」

ハッとした顔で幼なじみが俺を見た。


「危ない! 」

俺はそう叫んで幼なじみと野猫を後ろに引っ張った。ぐおん、と轟音をあげトラックが横切る。猫は怯えたようにさらに一歩後ろに下がった。そしてその数瞬後、トラックは電柱に派手な音を立てて衝突した。


 

終業式が始まったとき、俺の脳からはドーパミンが全開で分泌されていた。勝利の余韻 いんに浸っていた。

 

 やってやった。

 変えてやった。

 

 これできっと、運命が変わる。



もしかしたらループから抜けられるかもしれない。幸福な夏休みを迎えられるかもしれない。ずっとそんなことを考えていると、退屈な校長の話すら愛しかった。


あとは幼なじみを助けるだけ。上手くいくか分からないが、それには手がある。起こる出来事がわかっているなら、時間をずらしてやればいい。


食事には行かずさっさと家に帰ろう。ちゃんと彼女を送って確実に家に帰す。そうすればきっと彼女の死を回避出来る。ぐるぐると頭を巡らせているうちに、あっという間に終業式は終わった。


後片付けの時間。相変わらず妙なモヤが生徒たちから見えてはいるが、俺はいつになく張り切って片付けを進めた。白いモヤを漂わせた幼なじみがそんな俺の様子を訝しげに見つめていた。そう言えばあの後、今日は喋っていない。


精一杯の笑顔で彼女に話しかけた。

「さっさと片付けてしまおう。それですぐ帰ろう。俺ん家でご飯食べないか? 夏休みが待ちきれなくてさ」

家ならば安全なはず。意気揚々と誘う俺を彼女は不思議そうな顔で見つめた。


「うん、いいよ。なんだか、嬉しそうだね。そう言えば……朝の、横断歩道。よく分かったね? 」

「なんて言うか、勘かな? 嫌な予感がしたんだ。あそこで何かしないと、不幸な出来事が起こる気がして」


幼なじみは怪訝けげんな顔をして肩をぶるっと震わせた。ちょっとからかってやろう。


「……実はあの猫から何か真っ黒いオーラみたいのが見えた。あれは死相かも」

それを聞いた幼なじみが急に真顔になった。

「……オーラ? 」

「そうだ。だから思わず助けた」

幼なじみはしばらく俺の顔を凝視したと思うと、ぶるぶると震えた。


「怖がるなって。冗談だよ冗談」

「……ホント、酷い冗談」

俺はその少し脅えた顔を見ながらあえて破顔してみせた。

 

 

帰路。俺は注意深く進んだ。特に車には要注意だ。角を曲がる度、横断歩道を渡る度、左右を警戒した。あの大きな交差点は特に注意だ。ボディガードのように、過剰に幼なじみを防護する。


「どうしたの」

そう言いながら、彼女は少し嬉しそうだった。もう家の前まで来た。大丈夫。門扉を開けて幼なじみを招き入れようとした。だが、来ない。門の前で明後日の方向を見ている。


「どうした? さあ、入ろう」

そう言って彼女を招くと、彼女は何かに怯えたような顔をしていた。頬は蒼白だ。

「何かあるのか」

そう聞いても何も答えない。


「おい、 」

少し語気を荒らげるとようやくこちらを見た。その顔は怒りと恐怖が入り交じった表情だった。


「猫ちゃんがこっち見てた」

「ほんとか! 」

思わず門扉から飛び出して探そうとすると、玄関のドアが開く。振り返ると、母がいた。


「どうしたの? 二人揃って。ご飯、食べるでしょ」

そう言われたので、俺と幼なじみは頷いた。俺たちは、勝利の晩餐ばんさんに向かった。

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