相手になりたい
相手になりたい 第1話
ピンポーン。
もう住み慣れて久しい2LDKの賃貸のチャイムが鳴った。またか、と正直思わないでもないけれど、これも旦那が人生を謳歌している証拠だと思えばそれも受け入れられる気がする。在宅中であることを知らせるためにはーい。と大きく声を出してから作業を止めて立ち上がった。
2LDKの賃貸にしたのはゆくゆくは都会を離れたいという旦那の希望があったからだ。そのことに特に不満もなく、なんなら楽しみだと思っているくらいにはこの都会暮らしが性に合わない。友だちもいるし近所付き合いも別段困っているわけではない。それでも、どうしても窮屈な都会が性に合わない。そう
ふとその過程で床についた汚れを見つけてしまって、後で拭き掃除しなくちゃ。なんて、しっかりと身についてしまった専業主婦としての仕事を見つけながらちょっとだけ気分が下向きになる。
「はーい。今開けますね」
いつもお世話になってます。そう口には直接出さないものの、扉の向こうにいる見慣れた宅配業者さんにぺこりと頭を軽く下げる。お互い慣れたもので大概のやり取りは簡略化されている。こんなに頻繁に顔を合わせる相手をどう思っているのだろうか。いや、仕事だしな。そんなに深く考えてなんていないか。
そう空いた思考に妙な思考が入り込んで顔がにやけそうになるのを堪えた。
「サインか印鑑お願いします」
宅配業者さんが抱えていたダンボールを受け取るとそれを台にして、すっかり意識しなくても書けるようになった自分の名字を受け取ったボールペンで書ききると、無言でそれを返す。これも最初の頃はちゃんと言葉にしていた気がするのだけれど。宅配業者さんはそんかことを気にした様子もなく儀礼通りぺこりと頭を下げながらそれを受け取って去っていった。
今日のは比較的軽いんだな。ダンボールを抱えてそんな感想を抱く。旦那宛てのその荷物は日によって重さがずいぶんと違う。一度だけだが重たすぎて床にそのまま落としてしまったことがあった。あの時は宅配業者さんに随分と心配されたものだ。結局、ダンボールの角がつぶれたくらいで中の箱には影響がなかったらしい。旦那が確認する間でヒヤヒヤしたものだ。もうああいう思いはこりごりだとそんなことを思い返しながら旦那専用の部屋の扉をダンボールを持った手で器用に開けた。
家に届いたボードゲームは壁にぎっしり置かれている棚にキレイに入れられている。順番やなんかは旦那にしかわからない決まりがあるらしく勝手に入れたりするとぐちぐち言われるので、一度文句を言われてから触るのを止めた。触るとしても積み上がったホコリをはたき落とすくらいだ。
いつみてもよく集めたのもだと、口から大きく息が漏れる。こうやってダンボールが届き続けるのも、いよいよもって日課になりつつある。少なくても週1回。多ければ週3回のペースで送られてくるこれらは、ほとんどが旦那の購入したボードゲームだ。部屋の中心に置かれたボードゲームをやるためだけに買ったテーブルの上にダンボールを置いた。
今日も帰ってきたら子どもみたいに嬉しそうにしながらダンボールを開けるのだろう。その姿を想像して、ちょっとだけ胸が躍るあたり、まだまだ若いなと自分のことながらそう思う。純真過ぎるその姿が子どもみたいでずっと見ていたくなる。旦那にはとてもじゃないけど直接は言えないのだけど。
新品のボードゲームは準備することも多いらしく、ご飯を食べたらすぐ作業に取り掛かるのが常だ。説明書を読み込んだり、ボードゲームのコンポーネント(ボードゲームに使うコマとか色々)を小分けにしたり、カードをスリーブと言われる傷つくのを防ぐためにカード専用の袋に入れたりとか。それはもう遠足前の小学生かと突っ込みたくなる位には楽しそうにそういう地道な作業をするのだ。
休みの前の日なんかは夢中になりすぎて寝るのを忘れることがあるみたいで、敬子が朝起きるまでベッドに入ってこないことすらある。
いい年してとか、いい加減卒業したらとか、周りに色々言われているみたいだけど本人が楽しければそれでいいとは思っている。そしてそう思っている敬子だからこそ旦那が結婚したのも知っている。
『ほんと惚れたら負けだよねぇ』
しみじみと高校時代からの親友にそう言われたのを自分で妙に納得してしまった時のことをよく覚えている。たしかにそのとおりだ。どれだけボードゲームに夢中でも。一緒にいられるだけで満足してしまっている。
ただひとつだけ不満と言うか自分の中に許せないことがひとつだけある。思い出したくもないが向き合わなくてはならない問題。自分が悪いのか旦那が悪いのかそれすらも分からない問題。
『ねえ。ちゃんと勝とうとしてよ。これじゃあ、やる意味ない』
結婚したころに当然のように相手をしていたボードゲームの対戦中だ。泣き出しそうなほど驚いたことを覚えている。でも自分でも確かに勝てないからと言って諦めていた部分があるのもわかっていた。でも仕方ないじゃないかとも思う。どうやって勝っていいのか全く検討がつかなかったんだ。敬子にはどうしてそんなに真剣になってボードゲームに勝たなきゃいけないのかがいまいちピンとこなかった。
そしてそれ以来、旦那はボードゲームの相手に敬子を指定してくることはなくなった。休みのたびに友人を家に招き入れては盛り上がっているのが常だがそこに敬子の姿はない。楽しそうな声が専用部屋から響き渡る中で敬子はそれを眺めていることしかできない。もっと私の相手をして欲しいのに。そう思えば思うほど、このボードゲームの箱が重くなっていくのだ。
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