無数の世界へようこそ 第2話

 一通り説明が終わり、安定してゲームが進行し始めるのを確認すると、店長がいるカウンターの中へと戻る。


「お疲れ様。それじゃあ、休憩いっておいで……といいたいところなんだけど、チヒロちゃんの卓に入ってくれないかなぁ。なんかひとり急用ができたみたいで帰っちゃたんだよね。仕事ってことでいいから入ってくれない?」


 説明でそのテーブルに入ることはあるけれど面子合わせでテーブルに入ることは基本は行っていない方針だ。その方針のお店でそうお願いされるからにはそれなりの理由があるということか。


「ね。うまくやっておいで」


 そう悪そうな笑みを浮かべる店長にそんなに深い意味を求めてはいけないのかもしれない。


「あっ、智也さん来てくれたですね!」


 他の面子に会釈しながら促されるように空席となったチヒロの真正面の場所へ座る。このカフェの机は、ふたりかけのテーブルを組み合わせた長方形のテーブルがメインだ。1卓だけ六角形のテーブルがあり、大人数で遊ぶ際にはそちらを使用する。これだけは店長のこだわりらしく、よく磨いている姿を見る。チヒロたちが座っているのは長方形のテーブルの方だ。


 テーブル全体を見渡した。正面がチヒロ。その右にいるのがさっきのゲームで負けていた娘。胸の辺りについているお店の名札に、カタカナでハルと書いてる。その反対……つまり智也の隣がミツルだ。


「よろしくお願いします」


 いつでもこの瞬間は緊張する。初めての相手とテーブルを囲む感覚。これからどういう空間が作り上げられるのか楽しみでもあり、多少の不安もある。


「ボドゲカフェの店員さんて上手なんでしょう?」


 ミツルが更なるプレッシャーを与えてくる。当然、そんなはずもないのだが、あいまいに笑ってごまかす。接客中だ。無理に否定することもない。


「智也さん。ごきぶりポーカーです。ルールはわかりますよね?」


 比較的簡単で有名なボードゲームなのでバイトを始めてすぐに店長にレクチャーしてもらった。ルールは覚えているけれど、自信があるかと問われると、ないと自信を持って言える。チヒロにルール自体は大丈夫だと告げるとチヒロはカードの束を手に取った。


「じゃあ、配るねー」


 仕切っているチヒロが混ぜられた束からカードを各自に配り始める。カードは全部で64枚。ごきぶり、コウモリ、蝿、ネズミ、さそり、カエル、蜘蛛、カメムシが各8枚ずつだ。今回はこれを4人に配るからひとりあたり16枚が配られる。これが各自の手札となる。このゲームは負ける人がひとり決まるゲーム。つまり負けないように動くゲームだ。負けの条件のひとつに手札がない状態で番が回ってくるというのがある。つまり手札がなくなってはいけないのだ。


「じゃあ、負けた私からね」


 ハルがそう宣言する。あれから数回はやっているだろうに、また負けたのかと思わないでもない。


「じゃあ、チヒロ。これはごきぶりです!」


 ハルは手札のカードを裏向きのままチヒロへと差し出した。手番の人は手札の好きなカードをそうやってほかのだれかに差し出す。差し出された側の人には選択が与えられる。そのカードがなんの動物が描かれているか当てるか、ほかの人に判断を委ねるかだ。


 当てる場合はYESかNOのどちらかだ。すなわち今回の場合だと、ハルによって差し出されたカードをチヒロがごきぶりかどうかを当てる。


「これはごきぶりではありません!」


 自信を持って表にしたカードはハエだ。つまりチヒロの宣言は当たっていたことになる。


「なんでわかるの!?」


 ハエのカードがハルの目の前に置かれる。これはチヒロがカードに描かれた動物を当てたからだ。もし外れていた場合、このカードはチヒロの目の前に置かれていたことになる。


 そして同じ動物が4枚自分の前に並べられたときもその人は負けとなる。


「えー。じゃあ今度は智也さん。これはごきぶりです!」


 カードが目の前に置かれた人が次のスタートプレイヤーだ。ハルがこんどは智也の前にカードを差し出してくる。


 先程チヒロはこれを見ずに答えたが実はみてもよい。


 他の人になんだか分からないように軽くめくって確認する。


 ごきぶりだ。


 今回は素直に正しいものを宣言したようだ。さてと、顔をあげてハル以外のふたりを見る。確認した場合は次の相手にスタートプレイヤーと同じように宣言して差し出さなくてはならない。


 チヒロがニヤニヤしている。その自信たっぷりな様子にしり込みをする。つまりはミツルに渡す方が気が楽だ。


「これはハエです」


 他の人に回す際には宣言を変えてもよい。もちろん同じままでもよい。


 ハルの最初の行動はハエを出しつつ、ごきぶりと宣言した。今回はそれを利用する。さっきと同じですよと宣言を変えることでミツルのミスリードを誘おうとしているのだ。


 ちらりとハルの方を見るとあからさまに驚いた顔をしている。おいおい。それじゃあ、違うってバレバレじゃないか。そりゃ勝てないわけだよと突っ込みたくなるのを心の中で留める。


「えー。私ですかぁ」


 しかし、当のミツルはその事に気づいた様子はなく、悩み始める。そして、ちらりとめくった。智也と同じように次の人に回すことを決意したのだ。しかし、残るはチヒロのみ。そしてそのチヒロは自信満々の笑みを浮かべている。ハルの驚いた表情を見ていたのだろう。


「じゃあ、これはごきぶりです」


 ミツルはハルの宣言に戻した。これでチヒロにカードが差し出されたが、チヒロはこれ以上、伏せられたカードの内容を知らないプレイヤーがいないため、答えなくてはならない。しかし……


「これはごきぶりだね」


 チヒロは自信満々に裏返す。そうして確かにごきぶりだったそれはミツルの前に置かれた。


 正直チヒロの実力には驚いた。ごきぶりポーカーは序盤心理戦に使える情報が少ない。あるのは自分の手札にあるカードが他の人の手札にないことくらい。あとは盤面にあるカードと照らし合わせて残り枚数や、ある動物が極端に多くなっている場合など、攻められやすい状況を考慮して宣言や差し出すカードを決めていくので終盤の盛り上がりが大きいのだ。しかし、序盤は情報が少ないので勘に頼ることが大きくなる。それなのにチヒロは少ない情報で確実に当てに来ている。他のふたりと付き合いが長いのもあるだろうが、単に勘が鋭いのもありそうだ。


 智也自信、ゲーム自体が得意というわけでもない。まあ、勝つことが目的ではないし、楽しめばいいだろうと思いチヒロへの警戒を解く。しかし、他のふたりはそうも行かないようで、チヒロへカードを差し出すことへの恐怖が生まれている。つまりどう言うことかというと、チヒロはカードを差し出しては貰えない。そして、ハルとミチルはお互い、カードが目の前に置かれた者同士。必然としてふたりは結託。智也がチヒロへカードを差し出す番が回ってくる。


 ただ、ここで答えてしまえば良い話でもある。チヒロに答えを当てられる可能性が高いのであれば、可能性がある今、答えて当ててしまった方が、気が楽だ。


 ミツルからスタートしたカードは『サソリ』と宣言され、ハルへ、そして、同じく『サソリ』と宣言され智也の前に回ってきている。


 サソリのカードは場になく手札に3枚あるが、全部で8枚の他に5枚あることを考えると、サソリであってもなんにもおかしくない。難しく考えてもしかたなく。


「これはサソリです」


 そう宣言してめくった。


 そこに描かれていたのは『ネズミ』。はぁと。気がつくと止めていた息を吐き出と、そのカードを目の前に置いた。これは先が思いやられる。すっかりチヒロのペースだ。


 案の定そのままチヒロ有利のままゲームは続いた。ゲームも終盤。各自の盤面には相応のカードが並べられていて、チヒロ以外はリーチ(ひとつの動物が3枚並んだ状態)となっている。みんなチヒロへの攻撃を警戒しすぎての結果だ。しかし、負けたくない3人は各自の危なそうなカードを出さなくなった。しかし、ここまでゲームが進むとそうも言っていられなくなる。


 決着の時は近い。その場の全員がそう感じている。


「これはごきぶりです!」


 ハルがミツルへと差し出した。宣言はごきぶり。まずは盤面のカードを確認する。


 まず、智也の盤面はネズミが3枚。ごきぶり2枚、サソリ、コウモリ、ハエが1枚ずつ。の計8枚。


 ミツルがサソリ3枚、コウモリ3枚、ネズミ、ハエ、蜘蛛、カメムシが2枚。


 ハルがごきぶり3枚。サソリ、ネズミ、ハエ、蜘蛛、カメムシ、コウモリ2枚。


 チヒロがごきぶり、カメムシ2枚。ハエ、ネズミ、サソリが1枚だ。


 盤面にはごきぶりがすでに7枚ある。つまり、ミツルが本当にごきぶりを出したのだとしたら最後の1枚だということだ。智也は自分の手札を確認するがそこにはごきぶりはない。つまり、可能性はゼロではないことがわかる。


 そしてミツルの盤面にはごきぶりのカードは1枚もない。つまりミツルはごきぶりを受け取っても負けにつながることはなく、リスクは何もないと言える。まあ、次の手番が誰かに渡さなければならない以上、リスクはあるのだけれど。


 最後の1枚なのでハルがごきぶりを本当に出していた場合ミツルがこれをごきぶりだと当てることが出来ればごきぶりはハルの元へ帰っていき、ハルの負けが決まる。つまり、ハルはそんな危ない橋を渡る必要は少なく、違うカードを出している可能性が高い。しかしそれすら読んでごきぶりを消化することによって自分の負けを避けることが出来るとも言える。


 何が言いたいかって、どう動いたって裏目が存在するということだ。ただ、どう考えてもハルの一手は悪手と言わざる負えない。


 問題なのはミツルにリスクを追う必要が全くないところだ。チヒロに一泡ふかせたいのは山々だが負けたくない方の気持ちが強いように見える。


 つまり……。


「これはごきぶりです!」


 店内にその声は響き渡った。こうやって聞くとこの言葉も案外悪くないモノだと思ってしまう自分がいた。

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