第2話 名探偵が死んでから

「おはよう、松下君」

「おはようございます。恭子さん」

「今日から私は3年生。とうとうラストJKの年になってしまった。ああ、松下君の若さが羨ましい」


 春。桜の季節。桃色に彩られた通学路を2人並んで歩く。

 春三番くらいの緩やかな風に乗って、恭子さんの艶やかな黒髪が揺れた。

 拗ねたような表情は、口調の落ち着き具合とは裏腹にどこか幼げに映る。


「羨ましいって……1つしか違わないじゃないですか」

「1つ違うだけで状況は激変するんだよ。それこそ推理小説のトリックのように」

「そうやってすぐそっち系の話に持っていこうとする」

「突然だけど、私たちの前を歩くウチの女子生徒――カバンの真新しさから見るにおそらく新入生だろう――あの子が何の部活に入ろうとしているか予想し合おうじゃないか」

「本当に突然ですね!?」


 恭子さんは推理という言葉を聞くとすぐこうなる。

 まったく、彼女の推理好きな性格には困ったものだ。なんせ自分で言って自分で反応しちゃうくらいなんだから。


「松下君はどう思う?」


 恭子さんが視線を前に向けたまま聞いてくる。

 僕に拒否権はないみたいだ。自由気ままで勝手な性格は変わっていない。


「どう思うって言われても……」


 僕は仕方なしに、前方の女子生徒を見やる。


 我が校の紺色のブレザーに身を包んだ、茶色がかった長い頭髪の女の子。

 バックにキーホルダーがぶら下がっていたり、手首にシュシュをつけていたりと、普通の女子高生然としていて特に目立った要素はない。気になるのはスカートが短いことぐらいだ。けしからん。


 そもそも後ろ姿だけで部活を、しかもこれから入部する予定の部活を当てることなんてできっこないだろう。


「しょうがないなぁ~。なら、運動部か文化部かだけでも当ててみなよ」


 う~んと唸っていると、恭子さんがそう言ってきた。余裕の表情の裏には確かな自信が窺える。もしや、もう答えに辿り着いたっていうのか。


 しかしまあ、運動部か文化部かの2択なら推理素人の僕でも何とかなりそうだ。


「そうですね……。じゃあ運動部で」

「その心は?」

「彼女の足を見てください。全体的に肉付きのいい足をしています。張りのある太ももに、引き締まったふくらはぎ。あの健康的なラインを文化部でくすぶらせるなんてもったいない。よって、答えは運動部です」

「『もったいない』って……。松下君。最後を主観で締めるって、キミは推理の『す』の字も知らないんじゃないの? あと、そういういやらしい視線で女子を観察するのはキモいからやめた方が良いと思う。女子受けが、ひいては私受けが悪くなるから」


 そう言って、恭子さんは僕から少し距離をとった。


「キモッ!? きょ、恭子さんがゲームしようって言ったから頑張って僕なりに推理したのに!」

「君のは推理じゃない」

「じゃあ恭子さんが本当の推理ってやつを見せてくださいよ」

「名探偵の私を挑発するなんて良い度胸だね」

「”元”ですけどね」


 僕の嫌味をさらりと聞き流して、恭子さんは滔々と語り始めた。


「松下君は足のラインがどうとか言っていたけど、それだけで運動部であると決定づけるのは早計だよ。イマドキの女子高生は美脚獲得のためならジョギングでもフィットネスでもなんだってするからね。だからあれくらい普通だ。……それに、私だってボディラインには結構自信があるんだよ?」

「何と張り合っているんですか」


 着痩せするタイプなのは認めるけど。


「ということは、恭子さんの推理では文化部ってことですか?」

「いかにもだよ」

「その根拠は? 正直、あの後ろ姿だけじゃ判断材料に乏しい気がしますけど」

「簡単なことだよ、松下君」


 そう言って恭子さんが僕の鼻先に人差し指をピンと突き付けてくる。


「ヒントはあの娘が身につけているキーホルダーとシュシュさ」

「キーホルダーとシュシュ?」

「そう。まずはあのキーホルダー。あれが何のキャラかわかるかい?」


 恭子さんに言われてもう一度キーホルダーに目を向けてみる。


 アニメのキャラクターだろうか。二足歩行の目つきの悪いネコが、針を通した毛糸のボールをハンマーみたいに振り回している。全然可愛くない。


「いや、わからないです」

「あれは、悪(体育会系)を滅ぼす正義のヒーロー『文化戦隊ゴニャンジャー』の手芸部担当、ウールハンマーのタマだよ」


 なんだそれは。


「そして、私が持っているのがマタタビ・ディテクティブのクロ。タマの仲間。推理部担当」


 恭子さんはバックを漁ると、中からハンチング帽を被ったニヒル顔の黒猫ストラップを取り出して僕に見せてきた。

 なんで持ってる。あと、推理部ってなんだ。


「まさか彼女がその、文化戦隊?のストラップをつけているから文化部ってことですか? だとしたら僕の推理と大して変わらな」

「もちろんそれだけじゃないよ。あのシュシュを見て」


 食い気味に僕の言葉を遮ると、恭子さんは女子生徒の手首を指さす。

 チェック柄のシュシュが躍っている。別に何の変哲もないただの飾りだ。


「あれがなにか?」

「あれは手製のシュシュなんだよ」

「え、手製? どうしてそんなことがわかるんです?」

「あの柄に見覚えはない?」

「見覚え? ……あっ!」


 言われて目を凝らしてから、思わず少し大きめの声を上げてしまう。


「気づいた? あのシュシュは、我が校の制服のスカートと同じ柄なんだよ」


 恭子さんの言う通り、女子生徒のシュシュとスカートはまるでペアセットのように同じ柄をしていた。


 ウチの高校はなぜか制服のデザインに力を入れている。なんでも有名なデザイナーが手掛けているそうで、制服目当てで受験しに来る学生もいるとか。


 確かに、そんな無駄にオリジナリティーのある制服と全く同じ柄のシュシュというのは簡単には見つからなさそうだ。


「そして、彼女がその布地をどこから調達したのかというと」

「自分のスカートからってわけですね」

「その通り。彼女の足をジロジロ眺めていたからすぐわかったみたいだね」

「変な言いがかりはよしてください」


 見ていたことは否定しないけれど、それは推理するためでやましい気持ちは一切ない。断じて。


「彼女は裾上げをする際に切り取ったスカートの布地をシュシュとして再利用したんだろうね。あれ、簡単に見えてけっこう難しいんだよ」


 恭子さんが感心したように頷く。

 恭子さんも手芸やってたりするのかな。ちょっと見てみたいかも。


「ゴニャンジャーのタマのストラップに手製のシュシュ……これはもう、手芸部に入部すると宣言しているに等しい!」


 ドドンという効果音が出てきそうな勢いで言い放つ。


 いや、でも……。


 勝ちを確信しているところ悪いけど、この推理――じゃなかった当てっこゲームには1つ大きな欠陥があった。


「恭子さんの推理は分かりましたけど、肝心の答えがわからないんじゃ意味ないですよね」


 僕たちが後ろであーだこーだ言ってても、実際のところ彼女がどの部活に入るかなんて知る由もない。


「そんなの本人に聞けばいいじゃない」

「あっ、ちょっと!」


 言うが早いか、恭子さんは前方を歩く女子生徒に歩み寄ると、「キミ、ちょっといいかな」ポンと優しく肩を叩いた。


 急に後ろから声をかけられた女子生徒は、何ごとかとビクッと体を震わせて振り向く。

 不躾な恭子さんが全面的に悪いけど、少し大げさなリアクションだなと思った。


 ロングヘアーがよく似合う、目鼻立ちのくっきりした顔立ちの女子生徒だった。さぞ華やかなモテモテ高校生活を謳歌することだろう。


「な、なんですか……?」


 しかし、彼女は顔に似合わず暗い表情をしている。これから高校生活が始まるというのに。


 不審者だと思われているのかもしれない。制服着ていてもこういう変な人(恭子さん)っているからね。


「急に尋ねて申し訳ない。今、私と松下君の2人でキミが何の部活に入るのかを推理しててね」

「恭子さん! もうちょっとオブラートに包んで」

「因みに、この隣にいる男はキミの太ももが――モグォッ!?」


 瞬時に恭子さんの口を塞ぐ。危うく本当の不審者になるところだった。


「あ、あの……」


 女子生徒が不安げな眼差しでこちらを見ている。


「あ、ごめんね。この人のことは気にしないでいいから」

「は、はあ」


 立ち去ろうとする女子生徒。と、恭子さんがモガモガ暴れて僕の拘束を解く。


「ぷはっ! ちょ、ちょっと待って、せめて答えだけでも教えて!」


 どうしても自分の推理が正しいのかどうか知りたいご様子。

 恭子さんのよくわからない熱意に押されたのか、女子生徒は引き気味ながらもコクリと頷いた。


 さあ、正解は……!?


「私、部活に入る予定はないです……」


 まさかの帰宅部志望だった。


「なん、だと……」


 予期せぬ回答に啞然とする恭子さん。


「ほら、必殺技が効かなかった時の主人公みたいな声出してないでさっさと行きますよ。ほんとごめんね、この人が訳の分からないこと言って。え~と……」

「あ、水島真理です。1年生です」

「僕は2年の松下研。で、こっちにいる人が3年の神津恭子さん」

「神津、恭子……」


 うなだれる恭子さんを訝しげに見つめ、思案顔で反芻する水島さん。要注意人物としてマークされたのかもしれない。


「まだだ……」


 で、その要注意人物はというと、何かまた訳の分からないことを言い出した。


「水島さんと言ったね。……キミ、推理に興味はないかな!? 今なら私が所属するミステリー研究会の第3助手のポジションが空いてるから、ぜひ!」


 水島さんの手を取り、顔をこれでもかと近づけて妄言を吐く。


「何勝手なこと言ってるんですか!?」

「もし水島さんがミステリー研究会に入部すれば、文化部に入るという点では私の推理が正しいことになるからね。さあ、水島さん! 私たちと一緒に青春の謎を解き明かそう!」


 恭子さん、それは推理じゃなくて勧誘だと思います。


 うろたえる水島さん。僕は慌てて黒猫でも引き剥がすみたいに恭子さんを遠ざけた。


 季節は変われど、人は変わらず。

 恭子さんは相変わらず推理が好き。


 けれどそれは以前、名探偵と呼ばれていた頃の本質からはかけ離れ、『好きこそものの上手なれ』から『下手の横好き』へと確かな変化を遂げていた。

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