第3話 神津恭子という人

――恭子さんは名探偵だった。


 彼女が一躍時の人となったのは、高校1年生の時。


 迷宮入りかと思われた殺人事件を警察の協力なしに独自の推理で解決へと導いたことが話題となり、各所メディアがこぞって『女子高生探偵誕生!』と取り上げたのが全ての始まりだった。


 加えて、長い黒髪にアイドル顔負けの美貌というメディア受けするルックスの良さも相まって、恭子さんが事件を解決するたびにその活躍ぶりが新聞やネットニュースで大きく取り上げられた。


 そんなさなか、恭子さんはある事件に巻き込まれる。


 それは、当時の彼女にとってはなんて事のない、連続殺人事件だった。


 そのはずだった。


 彼女はその頭脳を駆使して、一つ一つ謎を解き明かしていく。

 時には警察関係者と協力して、またある時には組織に属さない身軽さを武器に独自の調査を行って。


 そして、聡明な彼女は、この一連の事件にある団体が関与していることに誰よりも早く気づいてしまう。


 人神会――。


 人の手で神を創り出すことを目的とするカルト教団。その教団が信者を扇動して犯罪行為を行わせているというのだ。

 恐れ知らずの恭子さんは助手とともに、事件解決の糸口を掴むため人神会に密かに探りを入れる。


 待ち受けていたのは、最悪の結末だった。


 彼女たちは調査の最中に何者かに襲われる。おそらくは人神会の信者による犯行だろう。

 恭子さんは頭部に激しい傷を負った状態で発見される。何とか一命はとりとめたものの、記憶障害に伴う思考能力の低下という、名探偵としては致命傷となる後遺症が残った。


 そして当時の彼女の助手にして、僕の兄――松下功の行方は未だわかっていない――……。


「あいたたたた……」

「恭子さん、頭痛薬ちゃんと飲みました?」

「ああ……忘れていたよ。どうりで頭が痛いわけだ」

「あれほど忘れないでって言ってるのに」


 僕は、頭を抱えて机に突っ伏す恭子さんのために、コップに入った水を差しだす。


「いつもすまないねぇ」

「おばあちゃんみたいに言うのやめてもらっていいですか」


 冗談を軽く流し、定位置である恭子さんの真向かいに座る。


 ここは、僕たちが通う都立黎明高校のミステリー研究会の部室。まあ部室と言っても、長机が一つ収まって丁度いいくらいの広さしかない質素なものだけど。


 恭子さんは僕から水を受け取ると、ポケットから取り出した錠剤と一緒に流し込んだ。


「自分の体のことなんだから、もっと大事にしてくださいよ」

「錠剤は苦手なんだよ。あと、苦いやつも」

「おばあちゃんなのか子供なのかはっきりしてください」


 あの事件以来、恭子さんにとって頭痛薬は必需品となっている。脳を酷使すると痛みが出るらしい。始業式早々、推理ごっこなんかするからだ。


 でも医者が言うには、脳に刺激を与えることは悪いことではないそうで、もしかしたら何かの拍子に障害が突然完治する可能性もあるという。


 まあ障害と言っても、恭子さんの場合は、超高校級の天才的頭脳が校内トップクラス程度の頭脳(と絶望的な推理センス)に落ち着いたというだけで全然日常生活に支障はないし、それどころか以前よりも人間味が増して親しみやすくなったと校内で密かに話題になっているくらいだ。


 だから僕は今のままの恭子さんでもいい気がする。


 いや、


 僕は昔と比べて短くなった恭子さんの黒髪を見つめながら、話を切り出す。


「ところで恭子さん」

「うん?」

「なんで僕たち、部室に居るんですかね」

「そりゃあ部活中だからだよ。それに依頼人がいつ来るかわからないでしょ?」


 恭子さんが”リハビリ”と称して、復学と同時に発足させた黎明高校ミステリー研究会には、おあつらえ向きに『探偵業務』なるものが存在する。学校関係者が持ち込んできた依頼を解決するという如何にもなやつだ。


 推理バカの恭子さんがミステリーを研究するだけで満足するわけないのはわかっていたので、部活の内容に関してとやかく言うつもりはない。けど、その在り方については一部員として意見してもいいはずだ。


「今日はさすがに依頼人は来ないと思うので早く帰りたいです」


 まあ今日どころか1回も来たためしがないんだけど、そこは恭子さんのなけなしのプライドを気遣って伏せておく。


 恭子さんは僕の言葉に眉をひそめながら、どっかの司令官みたいに顔の前で両手を組む。

 

「依頼人が来ない? ……その推理、詳しく聞かせてもらおうか」

「推理するまでもないです。だって――」

「だって?」

「――今日は始業式でもうみんな帰ってますから」


 そうなのだ。今日は始業式。

 一般生徒はもちろんのこと、普段は夜遅くまで練習に打ち込んでいる体育会系の生徒ですら、始業式後のミーティングが終わり次第速やかに下校している。

 おそらく今校内に残っているのは僕たちと教職員だけだろう。


「そうとは限らないよ。現に私と松下君はまだ学校にいるわけだし」

「それは恭子さんに無理やり部室まで連れてこられたからです」

「だって部室に行く途中で2階の廊下を通りかかったら、松下君が他の生徒と一緒になって下校しようとしてるんだもん。サボりはだめだよ」

「いやだから今日は部活しちゃいけない日なんですって!」

「そんなの誰が決めたの?」

「学校です!」


 何を言っても暖簾に腕押し状態の恭子さんに、僕の語気もだんだんと荒くなっていく。

 言葉が通じない宇宙人を相手にしているみたいだ。


「とにかく僕は帰りますからね」

「あっ! こら勝手に――」


 このままでは埒が明かないと、僕が逃げるように部室を出ようとしたその時だった。


 目の前の扉からノックする音が聞こえて、僕は動き出したばかりの足を止めるはめになった。

 

「ほら見たことか! いつやってくるかわからないって言ったでしょ!」


 恭子さんが勝ち誇ったように言う。

 だが、メトロノームのように正確なこのノックの感じ。

 僕はそれこそ推理するまでもなく、あの人のものだと瞬時に察した。


「どうぞどうぞ!」


 しかし、依頼人が来たと思い込んでいる恭子さんはそれに気づかない。テンション高めに呼びかけると、それに応えて扉がガチャリと開いた。


「私だ」

「ゲッ」


 そして入ってきた人物を見るなり、恭子さんが首を絞められたカエルのような声を上げた。


「教師に向かって『ゲッ』とはなんだ。神津」


 フレームの細い銀ぶち眼鏡の奥から鋭い眼つきで恭子さんを睨みつけるのは、数学科の教師でミステリー研究会の顧問を務める羽鳥壮一先生だ。


 オールバックの黒髪が印象的な長身瘦躯の男性。28歳独身。その髪型と目つきの悪さでぴっちりとスーツを着こなすものだから、生徒たちの間で『裏社会の人間なのでは?』と度々噂されている。


「お前ら。今日は始業式だからすぐに下校しろと言ったはずだが」

「依頼人だと思って期待したのに……」


 ドスの効いた羽鳥先生の声にうろたえるどころか、唇を尖らしてそっぽを向くという強行にでる恭子さん。恐れ知らずにも程がある。


「ならこの俺からお前たちに依頼だ。さっさと下校しろ」

「名探偵は年中無休なのでそうはいきません」

「助手は休暇を欲しているようだが?」


 羽鳥先生と目が合い、反射的にコクコクと頷く僕。超怖い。

 だけど恭子さんは動じないどころか、やれやれと肩をすくめてみせた。


「上司が働いているのに部下が休むなんてもってのほかです」

「どこのブラック企業だ」


 羽鳥先生が呆れたようにため息をつく。さすが恭子さん。羽鳥先生を困らせられるのは学園でただ一人だけだろう。


 結局僕たちは羽鳥先生に首根っこを掴まれる形で部室を追い出された。ありがとう羽鳥先生。


「はぁ……。今日は登校中に勧誘もしたから、もしやとは思ってたんだけど。期待したぶん失望も大きいよ」

「そろそろこのパターンにも慣れましょうよ」


 部活の終わりを告げるのはいつも羽鳥先生の役目だった。今日も例に違わずそうなった。


 誰もいない廊下を2人で歩く。日はまだ高いのに人影が見当たらないというのは何とも不思議に思えた。


 隣を歩く恭子さんが急に小走りになって僕の前を行く。

 僕はそれについて行こうとしたが、タイミングを見計らったように恭子さんが振り向いたので、その場で立ち竦んでしまった。


 僕の視界で彼女だけが動きを伴って映る。ピルエットのように回る足。翻るスカート。靡く黒髪。


 彼女が舞い終わったと同時に――時が止まる。


 窓から降り注ぐ太陽の光が彼女の半身を照らす。すると、日に当たらないもう半分が補うようにその黒を濃くしていった。

 僕は今、どちらの恭子さんを見ているのだろう。どちらを見て美しいと感じているのだろう。


 ――答えが出る前に、時は動き出す。


 恭子さんは僕の目を真っ直ぐに見つめ、口元にうっすらと笑みをたたえてこう言った。

 

「今年度もよろしくね。松下君」

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